昔の感覚を、今やろうとしたら。
理解では「黄昏の狩人」の作者である”あげちう”を「神」にしなければならない、訳で。
「取りあえず、5000兆円下さい」
…それは、ちょっと。
今まででも「黄昏の狩人」を下敷きにされ、それによる損害は甚大だ。その問題を起こしてる「九尾の狐」?も実感は有る筈だが、”要求されるだけ”で、利益は”一切”ない。授業料、と言える間は良いが、そんな時間は何時までも持たない。後に残るのは絶望的な後悔と、そしてトラウマに近い否定感、そして甚大な損害だ。賠償を世間に要求する!所に、それはまあ、神の意向みたいなのは発生するのだが。
今の「九尾の狐」は、その「賠償を請求する!」それと、”戦ってる”訳だ。
昔の感覚で言うなら「邪悪なる王を倒せ!」を、再現する為に、「鬼役」が必要になる…”それ”が、全てのお金を払わねば、ならない。
何はともあれ、袋小路ではある。
要するに、”ここ”がカウンタ制御されている、あげちうの言ってる事は正しい、としても。
あげちうを王様と認める事には…かなり抵抗がある、訳だ(-_-;)。
この抵抗が、平成の始まりに、森宮から皇帝が、「黄昏の狩人」を横取りする事に成った原因でもあり、そこは根本的にまだ、消えていない。ともかく誰でも良いが、「王様」その強制力は、相手に「死ね」そこまでの命令をする事が出来る、特攻隊の悪夢。だから、求めているのは”御しやすい王様”だ、叩けば金だけ無限に出してくれる奴が、一番良い。そう言う人がいれば!この世界は、今のまま続くのだ。
「新世紀エヴァンゲリオン」
その劇場版のラストは、そんな、夢の終わりな訳で。
良くも悪くも、「エヴァンゲリオン」としてはその帰結で結末に成っており、それは「正しい」名作、そんな結果には成った…のだが”その後”だ。「後は?」夢は終わったんです、”それ”を認めない人々により、「ヱヴァンゲリヲン」ちょっと違う何か、として強引に延命的継続?が始まった、今の自分はそんな認識。その評価は、旧ファンには非常に…悪い。前に描いた、「兎と亀」の話の様に、何ともグダグダに成って行って。確か作品として重要な演出家の人も、もう病で…居なくなってしまった。その後、何かの急激な「皇帝的なパワーの失墜」が始まる。今は皇帝の影を見る事は出来ない、或いは「皇帝」それは、その人だったのかも…しれない。
それでもまだ、何かの幻は、続いているのだ。
「貴方は部外者なんです」余所に行ってて貰えますか?「責任」を問う時、彼ら?に対してそう、言える様な状況は発生しつつある、気は…する。それまでは、「黄昏の狩人」と言う、平成唯一のヒット作、を持った人々、として或いは、何かの重大な地位を確保していたのかもしれない、が。その瓦解、と言うのは有り得る。「カウンタ制御」は結局、「王の権威」それを隠蔽する為の物だが、それはそのまま”利益性の否定”に繋がって。確かYoutubeも赤字続きで…決して黒字には成ってない、らしい。
「金の為にやってるんじゃないんだ!」
それは、何かの正論の皮を被った違うモノとして、なんともまだ、残る。
自分もまた、お金だけの為と言う訳もなく。