どうもカゼをひいたみたいだ。
2、3日前、朝起きたらノドが痛くて
今日になったら鼻水まででてきた
そろそろ暖房器具買おう
さて、この前の話しの続き。
超長い。
1981年9月28日にH家の長男としてこの世に生を受けた。
その後、兄弟は生まれていないので1人っ子だ。
生まれてから19年間、早稲田の6階建てのマンションに住んでいた。
6階には母方の家族(祖父母、ひい祖母ちゃん、母の妹)が住んでおり、
その男は2階に両親と住んでいた。
2階に住んでいたと言ってもほとんどの時間は6階の母家族の家で
父も合わせ、みんなで過ごしていたので
両親と3人で過ごしてきたという感じではない。
周囲の近くにいる子供はその男1人であったということもあり、
相当可愛がられた。
男の周囲には大人の人しかいなかったのである。
可愛すぎてその男をひい婆ちゃんと母親の2人で取り合う修羅場が頻繁にあった。
小さい頃は大変だったようだ。
あまり記憶がないが男は小学校受験をしたらしい。
母親がイイ学校に入らせたかったらしいが、結局落ちて
近くの区立に通うことになったのだ。
小学校をその区立の学校で育ち、小学4年から受験塾に通うことになる。
彼女はあきらめられなかったのかもしれない。
3年間塾に通い、色々な学校を受験していたが1校滑り止めで受けたところが
引っかかり運良く私立に入学することになった。
塾の復習、予習は一切せず、宿題しかやっていなかったのに
良く受かったものだと思う。
小学校の頃の男はクラスでも人気者であり、塾でもみんなを笑わしていた。
塾に行くのも勉強に行くというよりか仲間に会いに行く感じだったので
それほど塾は「苦」ではなかった。
それまでは普通の幸せな生活だったと世間は言うのかも知れない。
さて、その私立に入学しばらくして変化が起こった。
どうも両親でケンカをすることが多くなった。
ケンカの発端は今でもわからないが、
どうも、父が「俺の実家でこれからは生活したい」ということだと思う。
父の両親はとっくの昔に亡くなっていたが、父には兄弟がいた。
兄貴と妹が確かいた。
どちらも障害者である。
原因が病気か事故か定かではないが、
兄弟達は手と足が悪く、足に器具をつけて車椅子の生活をしていた。
男は小さいころからそのような彼の兄弟に接してきているので
障害者に対しての偏見などはないと思う。
男が中学生に上がってしばらくした頃、父の兄弟達の体調が悪くなった。
と記憶している。
おそらく父は兄弟の世話をする為に家族で実家に移ろうと
考えていたのかもしれない。
しかし、彼女はそれを拒んだ。
彼女は早稲田のある学校の購買部で働いていた。
その購買部は昔から家族でずっとやってきたので
辞めることはできなかったのかもしれない。
というのは建前であり、
おそらく彼女はその兄弟と過ごすのが嫌であったのだと思う。
彼の実家に行けば障害を持った兄弟の世話を行わなければならない。
それが嫌だったのだと思う。
すべて推測だけど、あの女のことだからそう思う。
しばらく彼と彼女のケンカの日々が続いた。
そして、ついに彼は2階の家から1人実家に出て行った。
車に荷物をまとめ、実家に帰る日。
状況を忘れたが、男も彼についていくことになった。
男が車の助手席に乗り、彼が運転した。
出発の時、マンション入り口で泣き叫びながら追いかける姿が見えた。
それは男の母であった。
怒っているのか悲しんでいるのか良く分からない奇声を上げながら
車に向かって罵倒を浴びせていた。
その声は周囲を歩いている人が振り返るぐらいの声であった。
その声も虚しく、彼女の姿は車のミラーから消えた。
彼女は彼に男が誘拐されたと思ったのであろう。
そのまま、自分のもとへは帰ってこないと感じたに違いない。
その時の人間性を失った感じは言葉に言い表せない。
車中、男はその状況の冷静さを取り戻そうと一心不乱に理科問題集を解いた。
あと1週間ぐらいで中学最初の中間テストが始まろうとしていた。
続く・・・。
2、3日前、朝起きたらノドが痛くて
今日になったら鼻水まででてきた
そろそろ暖房器具買おう
さて、この前の話しの続き。
超長い。
1981年9月28日にH家の長男としてこの世に生を受けた。
その後、兄弟は生まれていないので1人っ子だ。
生まれてから19年間、早稲田の6階建てのマンションに住んでいた。
6階には母方の家族(祖父母、ひい祖母ちゃん、母の妹)が住んでおり、
その男は2階に両親と住んでいた。
2階に住んでいたと言ってもほとんどの時間は6階の母家族の家で
父も合わせ、みんなで過ごしていたので
両親と3人で過ごしてきたという感じではない。
周囲の近くにいる子供はその男1人であったということもあり、
相当可愛がられた。
男の周囲には大人の人しかいなかったのである。
可愛すぎてその男をひい婆ちゃんと母親の2人で取り合う修羅場が頻繁にあった。
小さい頃は大変だったようだ。
あまり記憶がないが男は小学校受験をしたらしい。
母親がイイ学校に入らせたかったらしいが、結局落ちて
近くの区立に通うことになったのだ。
小学校をその区立の学校で育ち、小学4年から受験塾に通うことになる。
彼女はあきらめられなかったのかもしれない。
3年間塾に通い、色々な学校を受験していたが1校滑り止めで受けたところが
引っかかり運良く私立に入学することになった。
塾の復習、予習は一切せず、宿題しかやっていなかったのに
良く受かったものだと思う。
小学校の頃の男はクラスでも人気者であり、塾でもみんなを笑わしていた。
塾に行くのも勉強に行くというよりか仲間に会いに行く感じだったので
それほど塾は「苦」ではなかった。
それまでは普通の幸せな生活だったと世間は言うのかも知れない。
さて、その私立に入学しばらくして変化が起こった。
どうも両親でケンカをすることが多くなった。
ケンカの発端は今でもわからないが、
どうも、父が「俺の実家でこれからは生活したい」ということだと思う。
父の両親はとっくの昔に亡くなっていたが、父には兄弟がいた。
兄貴と妹が確かいた。
どちらも障害者である。
原因が病気か事故か定かではないが、
兄弟達は手と足が悪く、足に器具をつけて車椅子の生活をしていた。
男は小さいころからそのような彼の兄弟に接してきているので
障害者に対しての偏見などはないと思う。
男が中学生に上がってしばらくした頃、父の兄弟達の体調が悪くなった。
と記憶している。
おそらく父は兄弟の世話をする為に家族で実家に移ろうと
考えていたのかもしれない。
しかし、彼女はそれを拒んだ。
彼女は早稲田のある学校の購買部で働いていた。
その購買部は昔から家族でずっとやってきたので
辞めることはできなかったのかもしれない。
というのは建前であり、
おそらく彼女はその兄弟と過ごすのが嫌であったのだと思う。
彼の実家に行けば障害を持った兄弟の世話を行わなければならない。
それが嫌だったのだと思う。
すべて推測だけど、あの女のことだからそう思う。
しばらく彼と彼女のケンカの日々が続いた。
そして、ついに彼は2階の家から1人実家に出て行った。
車に荷物をまとめ、実家に帰る日。
状況を忘れたが、男も彼についていくことになった。
男が車の助手席に乗り、彼が運転した。
出発の時、マンション入り口で泣き叫びながら追いかける姿が見えた。
それは男の母であった。
怒っているのか悲しんでいるのか良く分からない奇声を上げながら
車に向かって罵倒を浴びせていた。
その声は周囲を歩いている人が振り返るぐらいの声であった。
その声も虚しく、彼女の姿は車のミラーから消えた。
彼女は彼に男が誘拐されたと思ったのであろう。
そのまま、自分のもとへは帰ってこないと感じたに違いない。
その時の人間性を失った感じは言葉に言い表せない。
車中、男はその状況の冷静さを取り戻そうと一心不乱に理科問題集を解いた。
あと1週間ぐらいで中学最初の中間テストが始まろうとしていた。
続く・・・。