こんにちは!梅田店大藤です。
本日のご紹介は東洋エンタープライズさんからバズリクソンズの デニム ミリタリー ダウン ベスト ” U.S.N ” です。
飛行士の命を守る為に開発されたフライトジャケットは、軍装備品というカテゴリーを超越し、民間衣料品にまで波及した。これは一切の無駄を削ぎ落した究極の機能美と快適性に優れているからに他ならない。
従来のフライトジャケットには長年着用する事で身体に馴染み、経年変化による摩擦傷や褐色が生まれ、その表情は我々を惹きつける不思議な魅力が宿っている。
1950年代、朝鮮戦争が冷戦を迎えると優秀な腕を持ったコントラクターが、デニムを用いた飛行服を民間に流通させた史実があり、当時の最先端素材として飛行服に採用されたナイロンと比較すると、お世辞にも軽いとは言い難いが、タフな素材で有る事には変わりなかった。
最初はゴワゴワとした無骨なデニム生地であるが、雨風に晒され、擦れや摩擦を繰り返す事でインディゴが磨かれ、新品の時のジャケットは未完成だが、度重なる着用で身体を形状記憶する飛行服の持つメカニズムと、インディゴの甘美を併せ持つこのジャケットは、袖を通す完成と向かう。
バズリクソン(BUZZ RICKSON'S)は東洋エンタープライズがプロデュースするミリタリー復刻ブランドです。
復刻作業は、スペック、素材、フォルム、パーツに至るまで徹底的にこだわり、一着一着にクラフトマンシップを込め、本物だけが持つ魅力に肉迫します。 ぜひ店頭にておためしくださいね!
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こんにちは!梅田店大藤ですよ!
東洋エンタープライズさんの2017ウィンターコレクションのご紹介です。
Buzz Rickson's 34オンス・ウールメルトン スカピーコート BR13879
防寒性に優れた厚手のメルトンウールを使用し、
1900年代初頭からほぼ変わらぬ完成された外観を持つピーコートは、
米海軍下士官達からも絶大な支持を得ていた。
1900年代初頭からほぼ変わらぬ完成された外観を持つピーコートは、
米海軍下士官達からも絶大な支持を得ていた。
【ピーコートの歴史】
現在では冬のファッションの定番として広まっているピーコートも
元をたどれば海軍が着用としていたミリタリーウェアであり
ミリタリー基準にのっとった堅牢な造りと高い防寒性を誇るコートです。
このピーコートの原型は、18世紀には存在していたとも言われています。
名称はオランダ語の"Pij jekker(ピージャッケル)"を英語にした言葉で
"Pij"が荒い毛織物、"jekker"がジャケットを意味しています。
ヨーロッパの軍隊でもピーコートは採用されていましたが、
アメリカ軍がピーコートを正式に採用した詳細な時期は不明だが、
第一次世界大戦当時にはすでに服装規定書に掲載されていた。
襟が大型なのは海上で作業する際、襟を立てて顔を覆い、強風対策を十分に確保できるように設計されている。
このような重厚なピーコートは、1930年代以降は見られなくなり、軽量化が進む。
このピーコートの背面に刺繍された米海軍護衛艦USSコレヒドール「CVE-58」は朝鮮戦争時、
パナマ運河を通過して兵員と貨物を朝鮮半島の国連軍に5回送った。
その際に乗員が日本に立ち寄り、個人でカスタムオーダーした特別なものである。
オリジナリティーに溢れる一着を作ろうと目論んだ下士官は、横須賀基地にあるネイビーエクスチェンジ内のテーラーに持ち込み、刺繍入りのピーコートを仕立てたのであった。
当時から横須賀の街には、卓越した手振りの刺繍技術を持つ刺繍店が数多く点在しており、
日本へ駐在した米兵達はこぞって刺繍店へと足を運んでは スカジャンやスコードロンパッチをオーダーしていた。
その背景には為替相場が1ドル=360円であり、彼ら兵士からすれば非常に安価で刺繍を施すことができたのも魅力の一つであった。
豪華でオリエンタルな和柄を全身に刻み込んだ異端児的存在とも言えるこのピーコートは、
他人と一線を画すのは明らかであり、刺繍の豪華さと同様に着用する兵士の優越感も相当なものであっただろう。
パナマ運河を通過して兵員と貨物を朝鮮半島の国連軍に5回送った。
その際に乗員が日本に立ち寄り、個人でカスタムオーダーした特別なものである。
オリジナリティーに溢れる一着を作ろうと目論んだ下士官は、横須賀基地にあるネイビーエクスチェンジ内のテーラーに持ち込み、刺繍入りのピーコートを仕立てたのであった。
当時から横須賀の街には、卓越した手振りの刺繍技術を持つ刺繍店が数多く点在しており、
日本へ駐在した米兵達はこぞって刺繍店へと足を運んでは スカジャンやスコードロンパッチをオーダーしていた。
その背景には為替相場が1ドル=360円であり、彼ら兵士からすれば非常に安価で刺繍を施すことができたのも魅力の一つであった。
豪華でオリエンタルな和柄を全身に刻み込んだ異端児的存在とも言えるこのピーコートは、
他人と一線を画すのは明らかであり、刺繍の豪華さと同様に着用する兵士の優越感も相当なものであっただろう。
素材
表地:ウール90% ナイロン10%
裏地:コットン57% レーヨン43%
刺繍部分:レーヨン100%
カラー:ネイビー
ぜひ、店頭にておためしくださいね。
表地:ウール90% ナイロン10%
裏地:コットン57% レーヨン43%
刺繍部分:レーヨン100%
カラー:ネイビー
価格 |
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ぜひ、店頭にておためしくださいね。
こんにちはこんばんは、おはようございます!梅田店大藤です。
東洋エンタープライズさんからバズリクソンズのCIVILIAN MODELのジャケットが入荷しました。
◆シビリアンモデル商品説明
飛行士の命を守るために開発されたフライトジャケットは、軍装備品というカテゴリーを超越し、いつの日からか民間衣料品にまで波及した。これは一切の無駄を削ぎ落とした究極の機能美と快適性に優れているからに他ならない。従来のフライトジャケットには長年着用する事で体に馴染み、経年変化による摩擦傷や褪色が生まれ、その表情は我々を引き付ける不思議な魅力が宿っている。1950年代、朝鮮戦争が冷戦を迎えると優秀な腕前を持っていたコントラクターが、デニムを用いた飛行服を民間に流通させた史実がある。当時最先端素材として飛行服に採用されたナイロンと比較すると、お世辞に軽いとは言い難いが、タフな素材である事には変わりは無かった。最初はごわごわとした無骨なデニム生地であるが、雨風に晒され、擦れや摩擦を繰り返すことでインディゴが磨かれる。新品の時にこのジャケットは未完成だが、度重なる着用で身体を形状記憶する飛行服の持つメカニズムと、インディゴの甘美を併せ持つこのジャケットは、袖を通す毎に完成へと向かう。
バズリクソンズはシュガーケーン・サンサーフなどヴィンテージ系アメリカンカジュアルブランドを擁する東洋エンタープライズ社のミリタリーブランドです。同社とミリタリーとの関係は古く、同社の前身企業である港商事時代に米軍ベースにスーベニアジャケット(スカジャンなど)などの商品を納入していたというルーツを持ち、1993年にはフライトジャケットのファーストを発売。以後次々と復元されるミリタリーウエアはサンサーフのハワイアンシャツ、シュガーケーンのデニムウエアーと同様、どれも完璧な出来ばえです。
こちら↓の商品は心斎橋店の取り扱いとなります。
こんにちは!梅田店大藤です。
東洋エンタープライズさんからの新商品のご紹介です。
LOCKHEED SKUNK WORKS EXTENDED COLD WEATHER CLOTHING SYSTEMSバズリクソンズはアメリカ航空機産業の雄であるロッキード・スカンクワークスと2002年以降、夢の競演を果たし続けてきた。そのスカンクワークスのクルーユニフォームの製作依頼が舞い込んできた話は記憶に新しく、航空機産業の頂点に立つスカンクワークスがバズリクソンズの物作りのレベルの高さとディテールへのこだわりに深い感銘を受けたからであった。スカンクワークスという組織はロッキードマーチン社の中枢であり、延べ12万人の社員を擁す関連17企業の中で最も優れたエリートが集まる頭脳集団である。拡張式寒冷地被服システム、ECWCS(エクワックス)は、マサチューセッツ州にあるアメリカ陸軍ナティック研究・開発・技術・センターによって、M-65フィールド・ジャケットの後継モデルとして1986年に開発されたパーカーの決定版である。 アメリカ軍の寒冷地における環境において、20種類の衣類・手袋・帽子及び靴などの組み合わせで使用される。
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こんにちは、こんばんわ、おはようございます!梅田店大藤です。
バズリクソンさんから、かっこいいA-2入荷しました!
A-2と言えばあまりにも有名なコントラクター(納入業者)のラフウェア社のA-2のパッチカスタムモデル。
当時、A-2を生産したメーカーは数多く存在した中でも一際ワイルドなフォルムを持つラフウエア社。
襟元に台襟がつき存在感のある大きめの襟が高い位置に取り付けられた、軍服らしいシルエットで多くのマニアから支持を集めるラフウェア社が計5回の納入を果たした中の1942年契約の3番目に当たる「TYPE A-2」を忠実に再現したモデルになります。
当時、A-2を生産したメーカーは数多く存在した中でも一際ワイルドなフォルムを持つラフウエア社。
襟元に台襟がつき存在感のある大きめの襟が高い位置に取り付けられた、軍服らしいシルエットで多くのマニアから支持を集めるラフウェア社が計5回の納入を果たした中の1942年契約の3番目に当たる「TYPE A-2」を忠実に再現したモデルになります。
米陸軍航空隊は1942年の途中から「プロパティー・ エアフォース」の表記を義務づけしたため、2枚のラベルを重ねて付ける『2段ラベル』が特徴となっています。
本作はブロンコハイド(野生馬の革)独特のシワをそのまま活かしてある為、滑らかな馬革とは違った独特のムラ感が着込む程に味わい深く、魅力的な一着に仕上がっていきます。
この革はイタリア産の原皮を樹皮から抽出したタンニン槽に漬け置きし、濃度を変えながらゆっくりと時間をかけて鞣されています。
下地の染色はタンニン液の原料となるオークバークに限り無く近い色で染め、革の仕上げはシールブラウンのアニリン染料が職人の手によって丹念に擦り込まれています。
多少の色むらがあるのは手作業ならではの証であり、革の愛好家からも好まれる仕上りになっています。
ラッカー仕上げと比較すると、色に透明感があるので、使用感や経年変化で革自体に表情が出やすく色のコントラストや革本来の自然な風合いがダイレクトに伝わる質感はアニリン染料ならではの風合いで、視覚的にも感触的にも革の愛好者を魅了して止まない独特の趣きがあります。
時間をかけて鞣され、加脂される製品は革の本質が違い、身体の形状を記憶する程に馴染み出すと着用者にしか解り得ない革となり、愛着度は加速的に増していく逸品。
『345th BOMB.GROUP』
第5空軍隷下の第345爆撃大隊は、1942年9月3日サウスカロライナ州コロンビアAABで創隊した。同部隊の部隊章は、ネイティブインディアンの描写がシンプルながら力強い秀逸なデザインであり、比較的離れたところからでも認識し易く、アイデンティティとしての完成度も非常高いものがある。このジャケットに縫い付けられている部隊章は、当時オーストラリアで製作されたローカルメイド(現地調達)のパッチバージョンである。右胸には第345爆撃大隊に属する第501爆撃飛行隊の愛称である“ブラックパンサーズ”とハンドペイントが施されている。このネーミングは当時シカゴにあった人気カクテルラウンジ“ブラックパンサールーム”に由来している。
●MATERIAL:Bronco Hide
●TANNING:Vegetable
●FINISH:Casein
●FASTENER:Talon Mil Specs Nickel Finished
●NECK HOOK:Solid Brass Chrome Finished
●SNAP BUTTON:Brass Oxidized Black Ball Stud Typed
●LABEL:Rough Wear Clothing Co.