この写真は2年前の広場を写したものです。
所々低木が見受けられます。雑草も生い茂っています。
今は低木はありません。土砂を埋めたてているようで
年毎に地形も変わっているように見えます。
もし、この広場の埋めたてられた場所に松のような低木があって
ここにいるようなら捜索は大変です。
霊らしきものが写した写真はまだありますが、アップロード
したら画面が流れてしまいしっかり見えませんでした。
5枚ほど流れてしまいました。
こんなことは初めてです。
余談ですが、伊勢地方は古くから神宮があり聖地の
考えがありました。そのため古くから自治が認められていたのです。
そして豊臣秀吉により宮川以東が神領となり自治特権が
見とめられたのです。
徳川家康により
内宮の宇治地区と外宮の山田地区に大きく自治が認められました。
宇治会合と山田三方衆です。
宇治は門前町、山田は集落の複合体でした。
二つの地区は争うことがあり大きな戦がありました。
この地区の近くには貝吹山という山もあります。
この山の名の由来は武士団が山の上で戦いのため法螺貝を吹いた
ことだと聴いています。
山田と宇治の争いがあり
室町時代以降に大きな戦があったと聞いています。
多分昔ここが戦場で、霊が写るのではないかと考えます。
余談になりましたがこれからも、さらに自分でできることは
やっていきたいと考えています。
怪しい、場所は
① 棕櫚(しゅろ)の木の下
② 霊らしきものが写る地点
③ 掘り返してあった地点
④ 広場
の4箇所です。
捜索は大変ですが協力してくれる方がおられれば
連絡お願いします。