昔からよく親の後ろ姿と言われてますが、100歳で他界した主人の義母は、戦後お菓子を作って生計を立ててました。7人の子供を育てるに大変苦労したようですが、明治生まれで、辛抱強く愚痴を言う事も無く、尊敬できる義母でした。
朝は5時に起きて、子ども7人のお弁当を作り学校に送り出した後、体の弱かった義父の世話をし、午前10時お店の開店までに、名物のお菓子を300個作って、お菓子は何時も午後2時ごろには完売してたそうです。
その後休む事なく、次の日のお菓子の下準備を整え、掃除・洗濯・買い物・食事つくり・子ども達の世話をし、夜お風呂に入って休むのは12時が日課だった様です。
主人は、両親に叱られた記憶が余りないというのです。7人(男5人女2人)も子供がいたら、喧嘩をしたり悪さをして叱られたと思うのですが、余り記憶にないと言います。そして何より、両親から7人の兄弟姉妹を比較するような言葉を聞いた事がほとんど無いそうです。
主人が高校生の時悪さをして、義母は学校に呼び出されたそうですが、学校から帰って、てっきりお灸をすえられると思って、覚悟をして帰宅したそうですが、普段と変わりなく、一言も叱らなかったそうで、主人が依然その事を話してくれた時、あの時はこたえたな~と言ってた事が在ります。
主人は高校の時の経験から、普段苦労してる母に、自分の事でこれ以上恥をかかせたり苦労かけない様にと心に誓ったと聞かされました。7人の兄弟仲が良かったのは、苦労してる母の見えない心づかいを、子供達が察してたからだと思います。
晩年義母は子供たちの家族と春と秋の、年2回温泉に行く事をとても楽しみにして居りました。他界した今でもその時の嬉しそうな優しい笑顔が思い浮かぶくらいです。
親子喧嘩や兄弟喧嘩が絶えない家族は、両親が仲が悪いか、親が子供を比較して争いの元を作ってるからだと思います。子供の喧嘩は子供同士で解決させ親は口を出さないことを、義母の姿から学びました。此れが昔から言われてる「親の後ろ姿」だと思います。
日々笑顔で感謝して過ごせますように!!