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ベトナムの「複雑な歴史」

2018年11月06日 | ビジネスクラスで行く ベトナム ハノイ旅行(2018.9)
去年ダナンへ行き、なんとなく魅力を感じていたベトナム。

ベトナムは私が子供の頃は戦争をしている国でした。
子供心に戦争をしている怖い国というイメージだった。

小学生の頃「ベトナムのダーちゃん」という絵本を読みました。
戦争で母親を亡くし妹と生き別れ、それでも頑張って生きている女の子の実話でした。
ダーちゃんは、私より少し年上の女の子でした。
同じ時代に生きているのに、こんなことが起こっていることがあまり理解できませんでした。
頑張ってほしいという思いより、可哀想という思いの方が強かったです。



それからずーっと、今でもノンラーを見ると「ダーちゃん」が重なります。
ダーちゃんはその後妹さんと再会し、医療従事者になっているようです。



その後はベトナムと関わる事無く暮らしていたので、ベトナムに興味を持つことも無く暮らしていました。

今回、ツアーに組まれている市内観光で「ホーチミン廟」を見学し、きちんとしたベトナムの歴史を知りたくなりました。
なぜこれほどまでに「ホーチミン氏」が尊敬され愛されているのか?
「ホーチミン廟」の事を書く前に、ベトナムの歴史を簡単におさらいしてみました。


ベトナムの歴史はとても複雑で厳しいものでした。
紀元前111年から期限後938年までの1000年間を中国に支配されていたそうです。
その後は中国の属国として北部から領土を拡大し続け、現在の縦長の領土を得たそうです。

1886年〜アヘン戦争で勢力の衰えた中国からフランスの植民地となり
1945年まで【フランス領インドシナ】となりました。
(1802年から約140年間、フエにて王朝が築かれていましたが、中国とフランスに支配され続ける)

フランスの植民地時代に第二次世界大戦が始まり、フランスがドイツに降伏したためドイツ同盟国である日本軍がベトナムに入ってきました。
このことにより日本が第二次世界大戦に敗北した1945年まで、ベトナムはフランスと日本からの二重の支配を受けることになりました。
現在は親日国と言われていますが・・・
おそらくこの頃は、ホーチミン氏をはじめベトナム人の誰もが日本を憎んでいただろうと思います。

日本が敗戦した1945年【ベトナム民主共和国 初代国家主席ホーチミン】が独立宣言をします

しかし、第二次世界大戦で結果的に戦勝国となったフランスが今度はベトナム南部を侵略したため、ベトナムは南北に分裂してしまいました。
そのため南北統一に向けて、ホーチミン氏率いるベトナム民主共和国とフランス(ベトナム南部)との戦争がはじまりますが、1954年フランスは敗戦し撤退します(1946年〜1954年)

しかしフランスの撤退後に今度はアメリカがベトナム共和国(南ベトナム)を作ります。
1964年『南北統一』のための【ベトナム戦争】は激しくなっていきます(実際の始まりは不明とされています)
この戦争は、ソ連側の北ベトナムとアメリカ側の南ベトナムによるソ連とアメリカの代理戦争とも呼ばれました。

1975年に終戦(アメリカ軍が撤退)
翌年1976年に南北統一選挙が行われ、北ベトナムが南ベトナムを吸収し
現在の【ベトナム社会主義共和国】が誕生しました。
(しかし、ホーチミン氏は1969年に南北の統一を見ずに心臓発作にて死去されています)

他国の侵略と戦い続けてきたベトナム、一つひとつの戦争の内容は本当に悲惨です
(長くなるので触れていませんが‥)
南北が統一されてまだ42年、統一されてからもベトナムの経済は不安定な状態が続き、経済成長は1990年代になってからのようです。

私が生まれたのが1963年、ベトナム戦争と同じ時代に生きていながら‥あまり詳しい事を知りませんでした。

今の日本の若者は、日本の未来に希望を感じることができないと嘆いていますが・・・
ベトナムは人口が増え続け、とてもエネルギッシュです。
長い月日ををかけて手に入れた平和と自由な日々を、一生懸命生きているパワーを感じるのです。