ホーチミン廟の近くには、ホーチミンの家や一柱寺など、観光スポットがいくつかあります。
黄色い大きな洋館は「外務省庁舎」

バーディン広場を挟んでお向かいには「国会議事堂」

ホーチミン廟を見学した後は、ホーチミン氏が晩年まで過ごしたホーチミンの家へ向かいます。
初めに見える黄色のお洒落な洋館は、「大統領府」各国の要人を招いた時に使われたようです
↓の写真

その先には「政治局会議室」
1954年から1958年までは、こちらの住居兼仕事部屋で過ごされていたそうです。
実際に使われていた車が3台展示されていました。
車はソ連などから贈られたものなのですが、ホーチミン氏は数回しか乗っていないそうです。
派手な暮らしを好まなかった事と、そのような車に乗っていると目立つので、安全性を考えていたそうです(常に戦争中でしたから)
下の写真は、池の向いに見える「政治局会議室」と、池の周りに生えている、根が観音様の様に見える木

敷地内には大きな池やマンゴーの木が立ち並ぶ「マンゴーの道」があり、ホーチミン氏はよく散歩をされたそうです。
池には沢山の鯉が泳いでいました、ホーチミン氏も餌をあげていたとか・・・
敷地内には多くの植物が植えられており綺麗なお花が咲いています。

こちらが1969年、亡くなるまで住まわれていた「ホーチミンの家」
高床式の簡素な家です。
壁の無い一階がダイニング、二階には寝室と書斎。
中には入れませんが、中が見えるようになってなっています。
家具や調度品もとてもシンプルです。
国民からは「ホーおじさん」と慕われていた人柄が感じられる住居です。
(亡くなったのはこの家のお隣にある一階建ての小さな一室です)

池のお向かいから見える「ホーチミンの家」
絵になる景色です。

ホーチミンの家から歩いてすぐの場所にある「一柱寺」
一本の柱の上に建てられているお寺です。
蓮の花に見立てた作りになっているそうです。

11世紀、子供に恵まれなかった李朝第ニ皇帝が「蓮の上に立つ観音菩薩」の夢をみたところ、妃が妊娠したので、この様なお寺を建てたそうです。
そのため、沢山の人が子宝祈願に訪れるお寺となったそうです。
黄色い大きな洋館は「外務省庁舎」

バーディン広場を挟んでお向かいには「国会議事堂」

ホーチミン廟を見学した後は、ホーチミン氏が晩年まで過ごしたホーチミンの家へ向かいます。
初めに見える黄色のお洒落な洋館は、「大統領府」各国の要人を招いた時に使われたようです
↓の写真

その先には「政治局会議室」
1954年から1958年までは、こちらの住居兼仕事部屋で過ごされていたそうです。
実際に使われていた車が3台展示されていました。
車はソ連などから贈られたものなのですが、ホーチミン氏は数回しか乗っていないそうです。
派手な暮らしを好まなかった事と、そのような車に乗っていると目立つので、安全性を考えていたそうです(常に戦争中でしたから)
下の写真は、池の向いに見える「政治局会議室」と、池の周りに生えている、根が観音様の様に見える木

敷地内には大きな池やマンゴーの木が立ち並ぶ「マンゴーの道」があり、ホーチミン氏はよく散歩をされたそうです。
池には沢山の鯉が泳いでいました、ホーチミン氏も餌をあげていたとか・・・
敷地内には多くの植物が植えられており綺麗なお花が咲いています。

こちらが1969年、亡くなるまで住まわれていた「ホーチミンの家」
高床式の簡素な家です。
壁の無い一階がダイニング、二階には寝室と書斎。
中には入れませんが、中が見えるようになってなっています。
家具や調度品もとてもシンプルです。
国民からは「ホーおじさん」と慕われていた人柄が感じられる住居です。
(亡くなったのはこの家のお隣にある一階建ての小さな一室です)

池のお向かいから見える「ホーチミンの家」
絵になる景色です。

ホーチミンの家から歩いてすぐの場所にある「一柱寺」
一本の柱の上に建てられているお寺です。
蓮の花に見立てた作りになっているそうです。

11世紀、子供に恵まれなかった李朝第ニ皇帝が「蓮の上に立つ観音菩薩」の夢をみたところ、妃が妊娠したので、この様なお寺を建てたそうです。
そのため、沢山の人が子宝祈願に訪れるお寺となったそうです。