倖せは自分しだい!

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日々の想い、出来事、大切な思い出を綴ります。

ホーチミンの家・一柱寺

2018年11月10日 | ビジネスクラスで行く ベトナム ハノイ旅行(2018.9)
ホーチミン廟の近くには、ホーチミンの家や一柱寺など、観光スポットがいくつかあります。
黄色い大きな洋館は「外務省庁舎」



バーディン広場を挟んでお向かいには「国会議事堂」



ホーチミン廟を見学した後は、ホーチミン氏が晩年まで過ごしたホーチミンの家へ向かいます。
初めに見える黄色のお洒落な洋館は、「大統領府」各国の要人を招いた時に使われたようです
↓の写真




その先には「政治局会議室」
1954年から1958年までは、こちらの住居兼仕事部屋で過ごされていたそうです。
実際に使われていた車が3台展示されていました。
車はソ連などから贈られたものなのですが、ホーチミン氏は数回しか乗っていないそうです。
派手な暮らしを好まなかった事と、そのような車に乗っていると目立つので、安全性を考えていたそうです(常に戦争中でしたから)

下の写真は、池の向いに見える「政治局会議室」と、池の周りに生えている、根が観音様の様に見える木



敷地内には大きな池やマンゴーの木が立ち並ぶ「マンゴーの道」があり、ホーチミン氏はよく散歩をされたそうです。
池には沢山の鯉が泳いでいました、ホーチミン氏も餌をあげていたとか・・・
敷地内には多くの植物が植えられており綺麗なお花が咲いています。




こちらが1969年、亡くなるまで住まわれていた「ホーチミンの家」
高床式の簡素な家です。
壁の無い一階がダイニング、二階には寝室と書斎。
中には入れませんが、中が見えるようになってなっています。
家具や調度品もとてもシンプルです。
国民からは「ホーおじさん」と慕われていた人柄が感じられる住居です。
(亡くなったのはこの家のお隣にある一階建ての小さな一室です)




池のお向かいから見える「ホーチミンの家」
絵になる景色です。





ホーチミンの家から歩いてすぐの場所にある「一柱寺」
一本の柱の上に建てられているお寺です。
蓮の花に見立てた作りになっているそうです。



11世紀、子供に恵まれなかった李朝第ニ皇帝が「蓮の上に立つ観音菩薩」の夢をみたところ、妃が妊娠したので、この様なお寺を建てたそうです。
そのため、沢山の人が子宝祈願に訪れるお寺となったそうです。

今回の旅行で一番見学して良かったと思った「ホーチミン廟」

2018年11月07日 | ビジネスクラスで行く ベトナム ハノイ旅行(2018.9)
「ホーチミン廟」はベトナムの民族解放と独立、南北統一に生涯をかけ、ベトナム国民の父として敬愛され続けている「ホーチミン」氏の御遺体が安置されています。



ベトナム全土から集められた自然の素材を用いて、1973年から2年かけて建造されました。
かつて「独立宣言を読んだ」バーディ広場を臨むように建てられています。

御遺体は【永久保存処理】を施され、ガラスケースの中でまるで眠っているかのような穏やかなお顔をされていました。
入室したら、ガラスケースの周りをコの字型に進み歩きながら見学をします。

廟の周りと内部はベトナム人民軍の衛兵により警護されており、立ち止まったり私語は厳禁です。
内部は冷房でかなり室温が低いです。
敷地内の入り口でセキュリティチェックを受け、スマホ、小型カメラは持ち込みが可能ですが、撮影は禁止です。
大きなカバン類は預けなければならないようです。
年に一度2ヶ月かけて御遺体のメンテナンスの為に休館します。
例年は8月〜9月に行われているのですが、今年は早めに行われたので私達も見学することができました。


私はハノイに行くまで「ホーチミン廟」はそれほど興味がありませんでした。
待ち時間が長い時は中止になることもあるらしいと言われ、それならそれでも良いかなぁ‥位でした。
よその国のお偉い方の御遺体をそれほど見たいとは思っていなかったのです。

それにとても不思議でした、どうして【御遺体を永久保存処理】してまで公開しているのだろう?
このことは実際に見学して、ガイドさんの説明を聞いて、ベトナムの歴史を知って‥
ベトナムの方にとって、とても意味のあることなのだと知りました。

ご遺体の保存と公開はホーチミン氏の意志ではなかったようでした。
「ホーチミン氏の遺言(一部抜粋)」
【~私の遺体は火葬にして、遺灰を3つに分け、北部、中部、南部の人たちのために、それぞれの地域の丘陵に埋めてほしい。丘陵には石碑、銅像を建てず、訪問した人たちが休むことができるような建物、記念に植樹ができるようにしてもらいたい。日がたてば、森林となるだろう】

しかし、ベトナム当局は
「会いたくても統一まで直接会えなかった旧南ベトナム人民のため、統一後に会えるように体を保存した」そうです。

案内をしてくれた30代の男性ガイドさんは遺言のことを話しながら
「私達の世代の人も会えるので保存してくれて良かったと思います」と言っていました。
ホーチミン廟に訪れる人は観光客よりも、ベトナム全土からホーチミン氏に会いにくる人が多いのだそです。



もう一つ興味深かったのは保存法でした。
「本当に眠っているような綺麗なお顔」なのです。
これは「エンバーミング」(遺体衛生保全)というようです。

この方法で長期間保存されているのが、
ソ連の「レーニン」90年以上保存されているようです。
中国の「毛沢東」40年以上保存され北京で公開されています。
北朝鮮の「金正日・金日成親子」も保存されているそうです?

世界中で見学ができるのは、「毛沢東」と「ホーチミン」のお二人ということですから、とても貴重な経験であると思えたのです。

エンバーミングは葬儀の方法の一つとして日本でも行われているようです。
(生前と変わらないお顔で最後の別れを希望する場合や数日の保存が必要な場合など)


旅行記から少し離れた内容になってしまいましたが・・・
観光付きのツアーってこういう所が良いと思うのです。
興味がなかった事でも、実際に見ると「見て良かった」と思えることが結構あるので・・

ベトナムの「複雑な歴史」

2018年11月06日 | ビジネスクラスで行く ベトナム ハノイ旅行(2018.9)
去年ダナンへ行き、なんとなく魅力を感じていたベトナム。

ベトナムは私が子供の頃は戦争をしている国でした。
子供心に戦争をしている怖い国というイメージだった。

小学生の頃「ベトナムのダーちゃん」という絵本を読みました。
戦争で母親を亡くし妹と生き別れ、それでも頑張って生きている女の子の実話でした。
ダーちゃんは、私より少し年上の女の子でした。
同じ時代に生きているのに、こんなことが起こっていることがあまり理解できませんでした。
頑張ってほしいという思いより、可哀想という思いの方が強かったです。



それからずーっと、今でもノンラーを見ると「ダーちゃん」が重なります。
ダーちゃんはその後妹さんと再会し、医療従事者になっているようです。



その後はベトナムと関わる事無く暮らしていたので、ベトナムに興味を持つことも無く暮らしていました。

今回、ツアーに組まれている市内観光で「ホーチミン廟」を見学し、きちんとしたベトナムの歴史を知りたくなりました。
なぜこれほどまでに「ホーチミン氏」が尊敬され愛されているのか?
「ホーチミン廟」の事を書く前に、ベトナムの歴史を簡単におさらいしてみました。


ベトナムの歴史はとても複雑で厳しいものでした。
紀元前111年から期限後938年までの1000年間を中国に支配されていたそうです。
その後は中国の属国として北部から領土を拡大し続け、現在の縦長の領土を得たそうです。

1886年〜アヘン戦争で勢力の衰えた中国からフランスの植民地となり
1945年まで【フランス領インドシナ】となりました。
(1802年から約140年間、フエにて王朝が築かれていましたが、中国とフランスに支配され続ける)

フランスの植民地時代に第二次世界大戦が始まり、フランスがドイツに降伏したためドイツ同盟国である日本軍がベトナムに入ってきました。
このことにより日本が第二次世界大戦に敗北した1945年まで、ベトナムはフランスと日本からの二重の支配を受けることになりました。
現在は親日国と言われていますが・・・
おそらくこの頃は、ホーチミン氏をはじめベトナム人の誰もが日本を憎んでいただろうと思います。

日本が敗戦した1945年【ベトナム民主共和国 初代国家主席ホーチミン】が独立宣言をします

しかし、第二次世界大戦で結果的に戦勝国となったフランスが今度はベトナム南部を侵略したため、ベトナムは南北に分裂してしまいました。
そのため南北統一に向けて、ホーチミン氏率いるベトナム民主共和国とフランス(ベトナム南部)との戦争がはじまりますが、1954年フランスは敗戦し撤退します(1946年〜1954年)

しかしフランスの撤退後に今度はアメリカがベトナム共和国(南ベトナム)を作ります。
1964年『南北統一』のための【ベトナム戦争】は激しくなっていきます(実際の始まりは不明とされています)
この戦争は、ソ連側の北ベトナムとアメリカ側の南ベトナムによるソ連とアメリカの代理戦争とも呼ばれました。

1975年に終戦(アメリカ軍が撤退)
翌年1976年に南北統一選挙が行われ、北ベトナムが南ベトナムを吸収し
現在の【ベトナム社会主義共和国】が誕生しました。
(しかし、ホーチミン氏は1969年に南北の統一を見ずに心臓発作にて死去されています)

他国の侵略と戦い続けてきたベトナム、一つひとつの戦争の内容は本当に悲惨です
(長くなるので触れていませんが‥)
南北が統一されてまだ42年、統一されてからもベトナムの経済は不安定な状態が続き、経済成長は1990年代になってからのようです。

私が生まれたのが1963年、ベトナム戦争と同じ時代に生きていながら‥あまり詳しい事を知りませんでした。

今の日本の若者は、日本の未来に希望を感じることができないと嘆いていますが・・・
ベトナムは人口が増え続け、とてもエネルギッシュです。
長い月日ををかけて手に入れた平和と自由な日々を、一生懸命生きているパワーを感じるのです。

「年賀状」を用意する頃に思うこと

2018年11月05日 | 暮らし
私が残したい日本の習慣の一つ「年賀状」
最近は年賀状を出す方が減ってきていますが・・・

年賀状ってとても良い日本の習慣だと思うのです。
何十年も年賀状のやり取りだけのお付き合いの方が沢山います。
年賀状をいただくと、「お変わりなく暮らされているんだな・・・」
写真付きの年賀状でご家族の写真などを見た時には、お子様たちの成長に驚いたり、同じように年齢を重ねている友人を見て安心したり・・・(笑)
年賀状のお付き合いだけでも、十分に良い関係の繋がりを保てていると思えるのです。
(訃報を知ることもできます)

特に写真の年賀状は嬉しいです。
お子様だけではなく、ペットやご自分の趣味をされている時の写真、旅先の写真・・・
近頃はお孫さんの写真など(笑)
私も数年に一度くらい(何かの節目の時など)、写真年賀を出しています。


パソコンを使うようになって何年間は、毎年自作の年賀状を送っていました。
親戚用、年賀状のみのお付き合いの方用、普段も交流のある方用など・・
家族全員の名前を入れたり、夫婦だけの名前、夫だけ、自分だけ。。。
絵柄もいろいろ・・最低でも5種類くらい作成していました。

ですが、実はこれが結構なストレスで・・・
年末は仕事も結構忙しく。。。いつも年末ギリギリに投函。。。
でも・・?何かにとりつかれていたかのように・・・
年賀状作りを続けていました。

ある時急に
「別にお店の印刷だって良いじゃない~1種類で良いじゃない」
急にそう思えたのです。
4年前から近くのコンビニで印刷しています。
そうすると翌年からメールが来るんですよ~

そうするともう本当に簡単!
絵柄を選んでクリックするだけで、住所も登録されているし、ハガキも込みですし。
早く予約すると割引もあるし!
ということで、今年の年賀状の注文は終了しました。11月15日に近くのコンビニで受け取ります。

その頃からでしょうか?
「ストレスは溜めないことよりも、できるだけ作らない」そう思って暮らしています。
細かいこだわりを減らすと、生きやすくなるのかもしれません?
これからも出来るだけこだわりを減らして「楽」に生きて行こうと思います。
(どうしても譲れないこだわりは続けますが‥)

今年は秋が長いです。
例年ならば市内でも一回は降っている雪、今年はまだ降っていません。

外を歩くと鮮やかな赤い葉に目が行きます。



花達もまだ頑張って咲いています。

ハノイ市内観光【文廟】

2018年11月03日 | ビジネスクラスで行く ベトナム ハノイ旅行(2018.9)
三日目はハノイ市内観光です。
ホテルを9時に出発です。
前日と同じメンバー6人で回りました。

まずは、【文廟】
ハノイで最初の大学が設立された所(今はありません)



こちらを入ると、ベトナムの御札にも使われている門があります。
ガイドさんが御札を出してくれます。



大きな池があり、その周りに「科挙」の合格者の名前が刻まれた石が亀の上に乗った物が沢山並んでいます。



亀の頭を撫でるとご利益があるらしく、亀の頭はツルツル🐢ピカピカ*・゜゚・:.。..。.:**:.。. .。.:*・゜゚・*

文廟「拝殿」奥に孔子様とお弟子さんが祀られています。


合格祈願に沢山の方が訪れるようです。



珍しかった「仏の手」と言われている【仏手柑】という果物。
拝む時の手の形に似てるので、縁起の良い果物と言われているようですが、果実がほとんど無いので、お供え専用の果物とされているようです。
ハノイでは至る所に亀の置物があります。ハノイでは亀はとても大切にされています。
金ピカの亀🐢

広い敷地内には中には売店などもありました。