久邇宮朝彦親王(くにのみや あさひこしんのう、文政7年2月27日(1824年3月27日) -
明治24年(1891年)10月25日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代初期の皇族。
伏見宮邦家親王の第4王子。「ともよし」とも読む。通称に中川宮(なかがわのみや)
他多数。諱もたびたび改名している。
血縁[編集]
朝彦親王は父の邦家親王と同様に相当な精力家であり[独自研究?]、若年時には神社の巫女を
孕ませるなどの逸話を持つ[要出典]。還俗してからも子を多く作った。
今上天皇以下の皇族は、香淳皇后を介して朝彦親王の血統を継いでいる。
両親
父:伏見宮邦家親王
母:(正妻)妃鷹司景子 - (実母)女房鳥居小路信子
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E9%82%87%E5%AE%AE%E6%9C%9D%E5%BD%A6%E8%A6%AA%E7%8E%8B