わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

にんげんと健康について  あの世からの伝言

2012年06月20日 | 医学と健康

 ごぞんじシルバーバーチの伝言です。

にんげんと病気について

ずっと昔の伝言が現代になってようやく理解できるようになりました。

 

健康のためなら死んでも良い!?族にお薦め

 

人生の目的は健康じゃない

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

 


 肉体は霊の道具

 健康はいつの時代においても人々の大きな関心事である。霊訓の中にも健康についての箇所が多く見られる。霊訓に示される“健康観”は、従来のものと比べ格段に優れている。
 地上の人間は霊肉両面(霊体と肉体)から成り立っている。そしてその間には密接な相互関係があり、お互いに影響を及ぼし合っている。霊体はわれわれ人間の“永遠の実在形態”であり、肉体はその霊体に対する“地上の道具”とも言うべきものである。どこまでも優位にあるのは霊的なものであるが、地上にいる以上は、肉体という道具なくして存在することはできない。この意味で、地上人にとっては肉体は重要不可欠な道具である。
 この大事な道具に対し、シルバーバーチは、「よく手入れして大切にしなさい……」と言っている。 
 
 だが勘違いしてはならないのは、人間全体として最も大切なことは“霊の成長”である。その霊(魂)の成長を無視して、身体の健康のことばかりにとらわれるとするなら本末転倒である。霊をないがしろにし、肉体だけを健康にしようとしても無理である。
「地上で、できる限りの奉仕をするために道具である肉体を健全にしたい!」とか、「心の状態をスッキリさせるために肉体を健全にしたい!」という、高い気持が先行して身体の健康を願う時、結果的に肉体の健康は保たれるのである。
 少しでも長生きしたいという動機から肉体だけを健康にしようとしても、決してよい結果は得られない。余分なストレス・心配をつくり上げるだけである。
 物質的に豊かな世になると健康産業が花盛りになり、医学に莫大な金額をつぎ込んだり、健康法マニアが現れるが、本質の忘れ去られたところで、そうした努力が実を結ぶことはない。
 
 
 心と肉体の調和

 前述したように、地上の人間の霊体と肉体はお互いに影響を及ぼし合っている。肉体の調子が悪ければイライラし精神状態も悪くなる。適切な運動・正しい食事・適度な休養という身体の手入れを通して体調を良く保つように心がければ、心・精神の状態も当然良くなる。また霊的真理に基づいた考え方・心の持ち方をし精神が安定していれば、霊体は肉体へ良い影響を及ぼすようになり肉体も健康になる。このように、心と精神と肉体は密接な相互関係に立っている。
 地上人生においての真の健康とは――『心・精神・肉体の三者がともに健全であり、お互いが良い影響を及ぼし合って全体として調和がとれていること』である。(※近年「心身相関医学」という新しい分野が確立されたが、それは、心の持ち方・精神状態が身体の健康と大きな関係があるという“霊的法則”に合致したものと言える)

 
 
 心の力を無視した現代医学

 一般に現代医学では、心が肉体に及ぼす影響を過小評価している。これは霊的真理に対して無知であるためである。心が肉体に及ぼす力は、実はどんな薬や医学的手段よりも強力なのである。ゆえに“霊の影響力”を無視するところに全体の調和はもたらされない。肉体のことだけを考え、その領域の中だけですべて対処しよう(薬・栄養・運動)としても病気は治らないし、健康にはなれない。
 そうした“唯物的観点”に立った医学観は、さらに進めば、臓器移植や無意味な延命処置といった方向へ進んでいく。

 
   
 心の調和が健康の第一条件

 心・精神の正常化を計らずして、病気は治らないし健康にはなれない。エゴ的思い・取り越し苦労・不安・イライラ・ストレス――これらは心と精神を不調和にして、肉体へ悪い影響をもたらす。心・精神が喜びに満ち、安定し調和がとれていれば、肉体の恒常性機能・免疫機能は健全に働き、ほとんどの病気は癒されるのである。現代病の最大の原因は、実はストレスであると言われるのはこのためである。
 もし、心・精神が健全なら、物質的悪条件(悪い食べ物、汚れた空気・水・環境)から肉体に異常が生じても、その悪影響は最低限度にとどめられるであろう。
 霊界通信は、「現代人の病気の最大原因は、心の不調和(ストレス・不安など)による心身の不調和である」と述べている。

  
 ※――ホリスティック医学 
最近、ホリスティック医学という新しい医学の考え方が為されるようになってきた。これまでの現代医学は徹底した唯物論的観点に立って、人体を機械のように多くの部品の集まりと見なしてきた。それに対しホリスティック医学では、「人体のすべての部分は有機的関連性を持ち、全体が一つの強力な有機的身体をつくり上げている」という見方をする。
 治療もこれまでのような、臓器主義や薬物・手術を最優先する唯物主義ではなく、身体全体の生命力・治癒力を高めるという、根本治療を重視する。現代医学が成人病などの全身退化病には全くお手上げであるのに対し、ホリスティック医学では、全身の機能向上を計る治療法を用いて大きな効果を上げている。
 霊的観点から見れば、ホリスティック医学は従来のものに比べて大きく進歩している。が、いまだ霊体の実在を大前提とはしていない。また死後の世界の実在を、確固たる事実として認定するまでには至っていない。
 こうした点でホリスティック医学は、「将来の霊的真理に立った医学に至る過渡的プロセスを歩んでいる」と言えるのである。

 
 
 カルマによる病気

 地上世界は悪因縁の償いをするための、さまざまな苦しみを体験する場所でもある。その苦しみが病気という形で現れる場合がある。こういうケースでは、一定の苦しみをへて意識の変化が生じ、その悪因縁が切れるまで、病気はどのような手段を講じても治らない。将来どんなに医学が発達しても、この種の病気は治らない。またどれほど優れた心霊治療家にかかっても、その病気は治らない。
 このように――『因縁的にどうしても治らない病気もある』ということをしっかり知っておかねばならない。病気に対するこのような認識は、霊的真理があって初めて分かることであり“最も深い医学観”の一つと言える。この事実が分からないと、有名な心霊治療家を次々と渡り歩き、奇蹟を求めて血まなこになる、ということにもなりかねない。
 しかし因縁による場合は、何が何でも病気を治そうとするより、苦しみを受け止め、そこから何らかの教訓を学び取ろうとすることが必要なのである。

 
 
 霊的事実に立った医学

 永い闘病生活の末、死亡するという事態を迎えると、大半の人々は死を悲劇的出来事・悲惨な結末と考えがちである。が、何度も述べてきたように死は悲劇的出来事ではない。それどころか、病気の苦しみからその人を解放してくれる喜ばしい出来事である。本来は、医者が遺族に対してそうした事実を述べて、心の持ち方を整理してあげるべきなのである。
 また生命は神が与えたものである以上、死への旅立ちのプロセスは自然の成り行きに任せるべきである。死ぬ時がくれば必ず死ぬのである。だから“安楽死”といって、わざわざ生命を断ち切るというようなこともしてはならない。外見は植物人間として蘇生不可能であるとしても、その状況下で、当の本人の魂(大きな意識)は、必要な苦しみの体験をしていることもある。また植物人間の状態で、霊体が肉体から自然な形で徐々に抜け出ていることもある。
 本来は医者自身が、こうした霊体と肉体両面にわたる事実に立って、正しく対処すべきことなのである。
 
 ※――人の死の瞬間は、霊体と肉体をつなぐシルバーコードが切れる時である。従って、シルバーコードを見ることのできる霊能者がその場にいた時、はじめて死の瞬間の判定が可能となる。現代は脳死の問題が盛んに取り上げられているが、厳密な意味での死の判定は、脳波とは食い違うことがある。
     
 
 
 地上サイドから見た健康条件

 以上、地上人の健康の問題を、霊界人の視点から見てきた。ここで健康・医学の問題を、別の角度・地上サイドから見てみよう。
 肉体の驚異的なシステムを見る時、われわれの肉体は、神が最高の知恵を結集して造ってくださった作品であることを認めざるを得ない。しかも肉体はただ精妙に造られているばかりでなく、その精妙な肉体が狂いなく維持される仕組み(恒常性機能)も与えられ、さらに肉体が間違った使用法によってこわれた時に、それを修理するシステムまで、あらかじめ与えられているのである。このように神の英知と配慮が、われわれの肉体にはぎっしりと詰まっている。
 ゆえにわれわれ人間がかなり不自然な肉体の使い方、酷使をしないかぎり、健康を維持できるのは当たり前のことなのである。が、現在、地上人生を送る人間の中で健全な肉体を持
っている者が極めて少ないということは、いかに肉体を間違って使っているか、不自然な取り扱い方をしているか、ということなのである。
 霊的真理が普及するにつれ、摂理に添った自然な生き方が分かるようになり、それと同時に肉体の使い方・扱い方も正しくなっていく。当然、これまでの健康観・医学観も根本から変化するようになる。将来の医学は、正しい健康生活のための養生法(予防医学)が重要視され、治療法としては自然治癒力を活用する方法が当然中心となっていく。免疫治療法などの方法が主流になっていくことは間違いない。
 
 摂理に添った自然な生き方が、そのまま“健康条件”となる。そしてそれは病気になった時の治療法でもある。なぜなら健康条件が欠けた時、病気になるのであるから、その欠けたものを補えば健康になるということは当然の理である。
 その健康条件イコール治療法とは、具体的には次に示す四つの条件から成り立つ。この四つの条件が満たされた時健康は維持され、病気は防がれ、たとえ病気になったとしても免疫力を最大限に発揮して、すばやく治すことができるようになる。免疫などの恒常性機能をつかさどる、自律神経系、ホルモン系、さらには気の系統までが最も良い状態におかれるからである。

 
 
①   健全な精神状態(明るく、生きがいを持って、前向きで、安定した)
 ②   正しい食生活
 ③   正しい休養
 ④   適切な運動

 
 これらを簡単に説明しておこう。四つの条件の中で一番大きなウエイトを持つのが、①の精神状態であることは言うまでもない。マイナスの精神状態や感情、さらに不安・心配・絶望といったマイナスのストレスは免疫力の働きを著しく落としめる。元来明るい性格の持ち主もいて、そういう者はがいして健康である。とは言っても性格的なものだけでは、人生を根本から変えるような大きな苦しみの峠には対処できない。深い価値観・人生観に立って、
広い視野を持てた時こそ、人間は地上の苦しみを大きいところから眺め下ろし、冷静に対処することができるのである。知性的な土台の上に立って、精神をコントロールすることが必要となる。
 その意味で、霊的真理ほど心を広く、深く、安定させてくれるものはない。霊的真理ほど強力なものはないと言える。その上で精神状態を良くする他の方法を併せて用いるとよいであろう。(呼吸法、瞑想法、ヨガ、運動法など)
 精神状態と免疫の関係は現代医学の前線分野のテーマである。「精神・神経免疫学」という新しい医学分野も生まれている。
 
 ②正しい食生活。霊性が鈍り、本能のおもむくままの生活は肉体の質の低下をもたらす。その結果、現代人は、肉体に良い食べものが何なのかも分からなくなってしまった。物質文明の進歩と同時に飽食にいっそう拍車がかかり、全人類半病人と化してしまった。これまで一般に、ぜいたくな食べ物、高価な食べ物ほど栄養価が高いと言われてきた。しかし最近の栄養学は、こうした食べ物ほど栄養価が低く、むしろ従来からの粗食(伝統食)こそ栄養価が高いことを明らかにしている。肉欲を満たすことは、結局、自分自身の首を絞めるようになることを証明している。
 栄養学は現代医学の最前線の分野である。ビタミン・ミネラルといった微量栄養素の研究、食物繊維の研究、油の研究、免疫強化物質の研究など、めざましいスピードで進歩している。肉体の健康の研究は、今日では分子レベルにまで掘り下げられている。栄養素の働きが分子レベルでとらえられるようになり、「分子矯正医学」という新しい分野が登場した。そして人間の健康について、多くの栄養学的知見をもたらした。その結果、人類の食生活は急速に改善されつつある。
 ただし、こうした研究のアプローチは、どこまでも肉体的・物質的側面からのみのものである。食生活は健康全体の一パートにすぎない。ゆえに万全の食生活・栄養条件が満たされたとしても、それだけで完璧な健康がもたらされるわけではない。
 
 ③正しい休養。価値観を変え、優先すべきものを人生の中心にすえたら、肉体の健康を損ねるほど働くこともなくなるであろう。地上の仕事で、健康を犠牲にしてまでしなければならないものはない。現代人の大半は、どちらでもいいこと、さして大切でないことのために多くのエネルギーと時間を費やし疲れ果てている。また、この仕事は自分以外にはできないという思い上がりや、独りよがりの思い込みによって、身体を無意味に酷使していることが多いのである。
 疲れたら休み、エネルギーを蓄えるというのが摂理に叶った在り方であるし、正しい身体の管理なのである。それによって恒常性機能も正常に働くようになるし、精神と肉体のバランスを取り戻すことができるようになる。
 
 ④人間は体を動かし、汗を流して、全身の機能が正常に働くようになっている。怠惰な生活、横着な生活から健康は得られない。運動法の必要が説かれ、多くの人々が運動をしているのは良いことである。適度な全身運動は自律神経のバランスを取り戻し、ストレスを解消して免疫を強化したり、全身の恒常性機能を高めるなど大きな効果がある。
 この際、大切なことは“適度”ということである。プロスポーツやオリンピックの選手などは、身体を酷使しこわしてまでも能力を高めようとするが、それは何の意味もないことである。「肉体は霊の道具である」という肝心なことを全く無視した発想である。これはエゴ以外の何物でもない。
 が、たとえ適度な運動をしたとしても、それだけで健康を手にすることはできないのは言うまでもない。 
 
 以上、健康の条件について述べてきたが、ここで忘れてはならないことは、どんなベストの健康生活をしても、因縁から病気になることもある、ということである。『病気による苦しみの体験が、その人の魂の成長にとって必要ならば病気になる』ということである。地上での肉体の健康よりも、魂の成長の方がより大切であるからである。その意味では、われわれ地上人の健康の一番深いところは“因果律”によって支配され、影響を受けているということなのである。




ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー


TITLE:健康・医学について
DATE:2003/09/10 11:33
URL:http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/essece-kenkou.htm

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 神は呑んで雄叫びを上げる ... | トップ | 毎日病院で起きている地下鉄... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

医学と健康」カテゴリの最新記事