先回はかなりショッキングな題名の本を紹介しましたが、本当はショッキングでも何でも無いという事は、現代医療の本質があくまで薬という毒を主に用いて行う対症療法だということです。
岡田茂吉の医学論はまったくの現代医学否定論が大半を占めています。
「医者も薬もなくなれば病気は暫時減ってゆき、ついには健康者ばかりとなる」
という位に極端な論だと思います。
むしろ、薬が病気を造るという事を柱にしている論ばかりです。
だから、いかにして薬を体内から取るか(今で言えばデドックス的思想かな)が主題であり、当時薬に替わる療法として「浄霊法」(手かざし療法)でした。それは「体内から毒素を減らすための方法」とも言えるものでした。
まあ、あまりにも薬に特化していたのでしょうが、今では薬毒ばかりではない、食毒の方も言われる時代になりました。さらには想念意識の方が大きい影響があるとも言われていますから、病気=薬毒論だけでは解けない病気観かも知れません。
その事を念頭のおいて、現代医療の根幹に迫る「薬で病気を治す」という考え方に迫るとすれば、以前紹介した薬学博士の書いた本に「お薬には病を治す力を持ち合わせておりません」ということ。
治るのはすべて自分自身の治癒力だというのが薬の専門家の話でした。
それでも、やはり病院に行けば薬を使う。いや、薬を使わない病院や医者は存在しないとも言えるでしょう。
(中には極少数、薬を使わない医者も居ますが)
副作用の無い薬は無い というのも薬学上の常識ですが、
それでも
対症療法でもいいじゃないか?
それによって苦痛が緩和され、その間に自分の治癒力で治るなら。
苦痛のまま、心配と疲労で心身ともに疲れ果てて行くのを放っておけないだろう。それに医師に診て貰うというのは患者さんにとって「非常に安心感を得る」という、治癒には大切なプラシーボ効果(精神的な影響力が治癒に大きな影響を与える)があるのだから、やはりお医者さんに見て貰って、一時的とはいえ、しかも毒(副作用の無い薬は無い=毒でない薬は無い)とはいえ、症状が緩和するのだからよいと思う。
まあ、上記は一般的常識な考え方ですから、否定はしません。ただ、岡田論は論ばかりではなく、実践的な医療として、しかも薬に変わる緩和法(対症療法でないという)を用いていたわけです。
しかし、当時のその実践的治療効果が大きければ大きいほど、それに群がる人が多かったと思われます。まずは論より証拠というわけでしょうが、大きな治療効果が得られれば、普通の人は「なんでもいいからまずは楽になりたい」と。
そして治ってから考えるわけでしょう。医学と薬の知識、そして岡田医学論を。
ところが、その効果が無くなったとき、どうなるでしょうか?
(まったく無いというよりも、ほとんど劇的な効果が減ってきた。当時のようなハッキリとした治癒効果が無くなったという意味です)
「頼るもの」 ←これが普通の患者さんの意識です。
それが「薬」であったり、「手かざし療法」であったりするわけです。
対象が「物(薬)」であるか「霊(神霊)」であるか、正反対のようでも、やはり「頼るもの」なのでしょう。
信者さんとしては、当時も今でもそうでしょうが、絶対常識となっている「薬が病を治す」という常識に逆らっても、胡散臭い宗教に入ってでもその「浄霊法(神霊療法)」という、一見アホくさく見えるやり方ですから。(あまり他人の見ているところではやりにくい・・恥ずかしい;)
それでも、当時は凄くよく効いたという。まあ、当時の医療界(国も含めて医師会やら薬業界やら)からは目の敵にされたと思いますよ。それが現在はずいぶんと温和しくなってしまったのか、その頼りがいのある浄霊法も効果が薄くなったのか?あまり世間でも噂に上らないようです。(自分のところには入って来ないだけかも)
そこで、治療法の有無を別にして、人間と病気の本質的な所を掴むことの方が重要なのではないかと思うのです。
その後にどの治療法を選ぶかということ。薬でも手かざし療法でもない別の方法など幾らでもありますから。
でも、その療法の効果に「依存」すると、病の本質を忘れてしまい、いざという時の○○頼みで肩すかしを食らい、結局は薬という毒を用いる対症療法(一般常識なのだが)に戻ってしまうと思うのです。
では、薬療法が本当に不要なのかどうか、益が少しでもあれば、害はそれほどでも無いのではないか?
こういう疑問は当然わいてくると思うのです。
ここでまたーーーーーーーーーー以下転載、引用ーーーーーーーーーーー
年間死亡者数はその国の医者総数に比例する
フリーエージェント大学・ロシアの有名人・佐野千遥博士リンクから引用させていただきます。
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先進諸国各国の年間死亡者数はその国の医者総数に比例します。先ず実際のデータを御覧下さい。
国名 医師総数 年間死亡者数 [年間死亡者数]/[医師総数]
スイス 2.9万人 9,2960 人 3.21
スウェーデン 3.5万人 11,5000 人 3.29
フランス 20.7万人 77,1400 人 3.73
ドイツ 30.5万人 102,9000 人 3.32
[年間死亡者数]/[医師総数]の比率は年間死亡者数、医師総数が多かろうが少なかろうがほぼ一定である事を御確認できると思います。
世の中で死亡原因の殆どが病気であるのですから、先進諸国においてその国の医者総数が多ければ多いほどその国で一年間に死ぬ人の人数が多い、という事実をどう理解したら良いのでしょうか?!
[年 間死亡者数]/[医師総数]の3.21人や3.29人や3.73人や3.32人は、「その国の医者一人一人が死を看取った患者の人数」と言えば聞こえが良 いが、医者総数が多ければ多いほど死者数が多いという事から「医者一人一人が年間に殺害した患者の人数」と解釈した方が妥当なのではなかろうか?!
この[年間死亡者数]/[医師総数]はアメリカナイズの進んだ国では、更に増大する事となります。つまり人間関係が物質的打算で更にドライになった文化の国々です。
国名 医師総数 年間死亡者数 [年間死亡者数]/[医師総数]
オランダ 4.8万人 20,5800 人 4.27
英国 16.8万人 77,1600 人 4.66
米国 74.1万人 394,8200 人 5.33
日本 26.4万人 144,7500 人 5.49
つまり、アメリカナイズで物質的打算が極限まで押し進められた国々では「医者一人一人が年間に殺 害した患者の人数」がオランダ4.27人、英国4.66人、米国5.33人、アメリカ以上にアメリカナイズされた国・日本では医者一人一人が何と5.49 人の患者を一年間に殺害する計算となります。
実際、薬の本当の副作用を知り尽くしている医者が、病院・クリニックの儲けの為、他の病院・クリニックとの競争のため、副作用を利用して収益をあげるための手段である顧客としての患者を益々重病に陥らせる事例が後を絶ちません。
自分の健康は自分で護る事が一番良い事です。私の知っていた人達を見回してみても、医者任せにした人達は、医者の処方した薬の副作用で必ず廃人にさせられるか、死亡しています。
現在、病院やクリニックで広範かつ大量に使われている医薬品の主だった物の副作用を示して見ましょう。
自称利尿剤のアルダクトン・ラシックスは統合失調症(発狂)の副作用が有ります。
胃 潰瘍患者用の食欲増進剤とされるアルサルミンは大量のアルミニウムが含まれておりアルツハイマーを急速に進行させます。
アミノ酸点滴剤の中、成長ホルモン 直前物質であるアルギニン入りの物を癌患者に投与すると初期癌が瞬く間に巨大化し腹膜播種も引き起こします。
血液をさらさらにすると称して投与するバイ・ アスピリンは強力に胃潰瘍、十二指腸潰瘍を引き起こす副作用が有ります。
そのようにして知らない内に胃潰瘍にさせられている貴方に、医者は決まって胃潰瘍 で血液を失うから貧血剤・増血剤として、酷いときにはフェロミアという鉄剤の劇薬を、そうでなくてもインクレミンという鉄剤を投与します。
フェロミアとは 若い人でも修に1回以上呑めば実が持たない位の劇薬です。何が劇薬かというと、胃潰瘍に罹っている人がフェロミアを呑まされると度々の大量出血が胃腸から 起こります。
そしてフェロミア、インクレミンいずれもそれを呑み続ければ胃潰瘍を胃癌に発展させます。
---------------------------------(引用終わり)---
天心
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
なにか、転載の転載のようでしたが。
全ての医者がこのような知識を持っているかというとそうでも無いようです。
それは岡田正彦先生の本でも書いてあった「若い医者が、薬剤会社主催の講演で新薬を紹介され、無批判どころかたちまし信用して、何も無いうちに服用していた」というように、医者さえも薬について無批判的に信じてしまう人が多いのかも知れません。
元になる医学そのものがそういう教育をするのですから、受ける生徒はもう自分で考えるとか批判などしている時間もなく、ただただそのままインプットされるコンピュータのように知識を吸収するだけが実情の様です。
だから、まずは医者が信じる。それを患者が信じるという構図でしょう。
医者の前に居るのは学者や教授とか言われる「教える側」ですが、その人たちもやはり「医学」というもの、現代医学経典(ロバート・メンデルソン医博によれば、無批判に信じるから医学は宗教なのだと言っている)を信じているために、どこかの誰か研究者が発表した論をそのまま鵜呑みにしてしまうのでしょう。
しかし、医学の経典は膨大な量でしょうから、すべてを調べ直すことなど世界中が協力して行わなければ不可能です。
正しいのか間違っているのかを検証するまでどの位の年月がかかるのかも分かりません。
その間はたとえ間違っていても、正当だとされた医療はそのまま続けられるわけです。
しかし、結果は患者にでてくるのは必然的なことですから、それをよく観察(他人ごとですが)するしか無いわけです。われわれが出来ることは実際に患者の状態を見ることでしか検証できないとすれば、それは自分では無く他人でみたいというのが本音でしょう。 しかし、しかし、いつ自分が病気になるかなどと言うことも決まっていませんから、その時が来たら自分もやはり他人と同じ立場になってしまうわけです。
だいたい、病気になったとき弱っているのは身体だけではありません。むしろ心の方が落ち込んだりして正常な判断など出来にくい状態です。(だから病なんでしょうが)
いざという時にどういう判断をくだせるか?
それは普通の状態の時によくよく情報を吟味して、しっかり選べるように準備しておくことです。
それには一方に偏った情報だけではダメなのです。
現代医学に則った常識論などどこにでも何時でも見られ教えられています。
しかし、大本営発表という言葉があるように、偏っているかも知れない情報かもしれません。
それには正反対のもうひとつ偏った情報も必要だということになります。
両方を知り、研究してこそ是々非々が決められるわけですから、
当ブログは反医学的非常識論ばかり紹介していますので、偏りがあるかと思いますが、最初から偏ったブログだと承知の上でお読みください。
要するに収集している転載情報は「偏った情報」だと認識されて、「鵜呑み厳禁」という事です。
それを選ぶのはあなた以外にありません。
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
【現代医学で病気は治るか】
(岡田茂吉の医学論文集より抜粋)
『地上天国』15号、昭和25(1950)年4月20日発行
右のような、標題は大胆を通り越して気狂と思われるかも知れないが、最後まで、この所説を読むにおいて、何人(なんぴと)といえども異存を唱える事は出来まい。
近来医学の進歩によって、若干寿命が延びたといって喜んでいるが、それらは一時的であって、将来は逆効果になる時が来るのは知れきった事で、これは予言しても決して誤りはないのである。それらについて以下詳説してみよう。
まずその前提として確実なる証拠をお目にかけよう。それは救世紙及び雑誌地上天国に満載しているおかげばなしである。このおかげばなしの報告は、現在一ケ月数百通に及んでおり、それらことごとくといいたい程数年または数十年にわたり、あらゆる医療その他の療法によっても治らない重難症ばかりである。これら一々を点検する時、医療の効果は全然ないばかりか、むしろ逆でさえある場合が、あまりに多い事実である。
しかもその不成績に対し多額の療法費を使い長い間苦しむのであるから、気の毒というより外はない。しかるにこのおかげばなしは本療法によって、全治したものの感謝感激のあまり、同病者に知らせたい熱誠の迸(ほとばし)りからである。何よりもこの記録を見た医家は何と批判するであろうか聞きたいものである。
医学では病気の治らない事と、ある期間寿齢が延びるという事と密接な関係がある事を気付かないので、この根本を神医学からの解釈を加えてみよう。
吾らが常にいうごとく、病気とは人間保有毒素の排除作用の苦痛を名付けたものである事を知らない医学は、苦痛を悪い意味に解し、それを緩和させるのを可とする。
その手段とした唯一のものが薬剤である。もちろん薬剤の本質は毒物で、それによって毒素排泄の力を弱らしめて苦痛を緩和させる。それを病気治癒の方法と錯覚するのである。
従って、せっかく排除されようとする毒素を押えて、一時的苦痛緩和を図るのが医療の使命と思うのだからいかに誤っているかである。ゆえに本当を言えば医療とは苦痛緩和法であって治病方法ではないのである。
標題のごとく「医学では病気は治らない」というのは、この文を熟読玩味すれば明らかに判るはずである。
この理によって医学の進歩とは苦痛緩和術の進歩で、言い換えれば、毒素排除を延す方法の進歩である。
事実余病や再発や慢性の原因はそのためであるから、医学と反対に毒素排除を促進させ、体内を清浄化する方法こそ、真の医術であり、真の健康者を作る手段である。
もちろん伝染病菌にも感染されない完全健康者となる以上、消毒も全然必要がなく、現代人通有の黴菌恐怖症などは消滅するのである。
そうして毒素とはもちろん薬毒が主なるものであるから一言にして言えば病気を治そうとする手段そのものが病気を作る結果となるのである。
事実、現代人が罹病するや直ちに医療を求めるのは常識である。ところが前述のごとく医療は薬毒その他の方法で苦痛緩和手段を繰返えす結果、浄化は延期し、ついに半健康者となるのである。
そうしてこの半健康者はいかなる経路をたどるかを説明してみよう。
ここで、一つの重要なる事を書かねばならない。
さきに述べたごとき、毒素排除作用発生は何がためかというと、健康であるからで、健康者程新陳代謝が旺盛のため、吾らが言う浄化作用が起りやすいのである。
特に伝染病は最も旺盛なる浄化作用であるから、年少者に多いにみても明らかである。また結核の青少年に多い事も同様の理である。ところが、医学の病理はこれと反対であるから、伝染病や結核は抵抗力が弱いためとする。もしそうであるとすれば、老年期になる程抵抗力が弱るから、伝染病や結核に犯されやすい事になる。また結核が長年月にわたるのは浄化発生を極力抑圧し引延ばすからである。
右の理を考える時、現代医学が進歩する程真健康者は漸減し、半健康者が増加するのは当然である。
半健康者とは青年にして老人のごとき中間性体質となるから、浄化力が微弱である以上、罹病の機会が減少する。
たまたま発生しても、浄化停止によって一時緩和する。
何よりも、近年労働者の労働力低減を看過する訳にはゆかない。
近来文明国における労働者が、疲れやすいため労働を嫌い、時間の短縮を強調する事や、農民までも労働持久力が低減した事等も一般が気がつかないだけで、実は体力減退のためである。
なるほど、文化が向上し労働者の幸福を思い、労働尊重の意味もあるが、その奥に右の点の潜んでいる事も見逃し難い事実ではある。
特に言いたい事は、近来、予防接種の問題である。前述のごとく、伝染病は浄化力旺盛のためであるから、予防接種するや浄化力微弱となり、発病の機会が減少するというのを錯覚した訳である。
ところが、無毒である真健康者ならもちろん病気発生はないが、こういう健康者は現在皆無といってもいい程で、一般人は毒素保有の半健康人であるから、浄化発生すなわち病気に罹りやすいがまた一時的緩和もする。もちろん発病するや、医療は極力浄化停止を行うが、浄化力は反撥する結果摩擦を生ずる。
その摩擦が強烈である程衰弱を増し死の転機を招く。
例えば肺炎の場合がそうである。
元来、肺炎とは、猛烈なる浄化であるから、その治療剤を使用する場合、医家はこの薬なら速かに治るか、さもなければ死ぬかのどっちかだという。
それは強烈なる浄化に対するに強烈なる薬毒でなければならないからである。この理は幼児にも当はまる。幼児の死亡率の多いのは幼児は最も浄化旺盛である。それを停止する薬剤も普通薬でも幼児には強烈となるから、摩擦し死亡するという訳である。
以上のごとく、一々事実の説明によって大体は理解されたであろう。とすれば、半健康人が漸次殖える以上、発病の機会が減少する事と、発病の場合も浄化微弱であるから、薬毒による強烈な摩擦を生じない訳で、一まず死を免れるというのが、近来寿命の延びた真の原因である。
しかしながらこの半健康人は長命は出来ない。何となれば老年期に入るや多量の保有毒素が老衰を早めるからで、彼の動脈硬化症も脳溢血も萎縮腎もこのためである。
右は事実が示している。近年平均年齢が延長したに関わらず、最長は変らないのである。すなわち依然として八十歳以上は従来通りを統計が示している。これによってみても、真の健康増進による寿齢延長でない事が知らるるのである。
最後に言うべき事は、神療法の真価は、罹病の場合浄化停止とは反対に浄化促進させ毒素を極力排除させるのである。この経過はおかげばなし中に遺憾なく示されてある。
従って、神療法によって、真健康者になった者は九十以上の寿を保つ事は保証し得るのである。
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
●上記論文は改行して読みやすくしてあります。
注意・岡田茂吉論文を読む時の心構え
すべてを鵜呑みにしない、すべてを頭から否定しない。
研究資料として役立てる
これが「岡田茂吉論文研究会」の趣旨です。
宗教家として岡田氏を判断するのは論外。
信者として岡田論文を判定しない。
第三者的立場、普通の立場である一般人として論文を読む。
最終的には自分の取捨選択が必要。
他人の意見は参考にはなるが、決定権は自分にある。
100パーセント正しいと信じる人は信者さんだけで良い。
100パーセント間違っていると思うのも自由だが、これは研究者にはなれない。
研究者とは常に真実を追い求める意識者のことだからだ。
従って、100パーセントを鵜呑みにする人も、100パーセント嘘だと言って検討もしない人も同質なのである。
もうひとつは
ここで書かれている「神療法」とは「浄霊法」という手かざし療法のことです。
が、当時の浄霊法の効果が現在そのまま同質であって、同等の効果を出しているかは不明です。(おそらく当時ほどの効果は無いに等しいと思います。なぜならそれほどの効果があるのなら、隠していても噂として広まるからです。 そして、信者さん達は薬を用いたり病院に行くはずもないでしょうから。)
したがって、本論文は正しく検証しなければなりません。
鵜呑み厳禁は必要なことです。徹底的に検証してどこを採り入れどこを捨てるか
それが岡田茂吉研究会の趣旨です。
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