医学の怪奇現象
医療とは何か?
医学という学理学問に基づいて行う治療行為とでも言うのだろうか。
では医療の玄人とは?
それは誰でも答えられるだろう。
素人は玄人を超える事は出来ない。
玄人と素人の差がどこに出るか?
普通一般は
「もちろん、経験の差だよ」とか「それだけ勉強しているということさ、玄人は」
だから、
「なんにも知らない素人は黙っとれ!」
と一括されて終わりになるだろう。
これが医療の世界だと
摩訶不思議、
素人が玄人を超えたと言う!
これを医療の怪奇現象と呼ぶらしい。
つまり、玄人と素人の差が逆転する現象が起こる事があるというのだ。
以下は創傷治療で画期的な効果を上げているという医師のHPよりだが、そのエッセイ集を読んでいて、「なるほどなあ~、あり得る話しだ。いやあって当たり前だ」と思ったので引用させてもらった。
先に書いておくが医学という学問を信じてひたすらそれを学び、それだけを信じて治療に専念してきた人を玄人と呼ぶのだろう。が、その肝心の医学が間違っていたら?どうなるのだろうか?
玄人ほど、間違いのくり返しをしている事になり、何の知識もない素人はその医学とは異なった事を「たまたま」やっただけでも治療の差が歴然と結果に出てしまった。
こういう事の様だ。
つまり、学理に優る自然の摂理という事なのだろう。
学理は自然現象を人間が勝手に解釈して「こういうものだ」と理屈づけたものだろうから、学理は人間の知恵。
しかし、自然現象は人間の知恵ではない、そのまま自然の姿そのもの、法則である。
たとえ学理が立派に思えても(なんだかんだ理屈付けて素人には難しい専門用語で頭を混乱させているが)、自然現象、自然の法則を確実にとらえていなければ、それは「不自然」となり、学理イコール自然の法則ではないのだ。
それが下記の一例でもあるのだが、私はおそらく現代医学の8,9割くらいは学理イコール反自然ではないのだろうか?と思っている。
これは、極言かも知れない。玄人は学理絶対主義だからだ。
しかし、アメリカの偉大なる医学の覚醒者、ロバートメンデルソン医博は「現代医学の9割は必要ない」と言っている。おそらく、これは今後において第三者的立場で徹底的に調査研究されて行けばその程度に近づいて行くのではないかと思うのだが・・
それがどの位の年数がかかるかは人類の共通意識だから、だれにも分からない。
そこには医者や患者とか、玄人と素人とかの区別はないからだ。
いまある医療は医師の為のものばかりでないからだ、そこには絶対的多数の患者側に意識改革の決定権があるからだ。
玄人といえども患者側になる機会はいつでもあるのだ、患者イコール素人だけではない、玄人も含まれるからだ。
人類すべてが患者側になり得るという受け身であり需要側、求める側となれば、それに対しての供給側とは?
普通は医師とか医学関係者となるだろう。
が、彼らでさえもときには需要側、つまり患者側になるのだ。玄人でさえもいつか受け身になる。
そこで、絶対的供給側というのは誰か?というと、これは人間ではない。
それが学理学説なのだ。
現代医療を支えている学理や学問、しかし、それは果たして自然法則そのものだろうか?
もともとそんなものが存在していたわけではない、
あとで人間が創り出したものだ。絶対にそれが正しいとは誰も決定づけられない。
もし医学が絶対正しいと断じるのなら、そこで医学は完成したことになる。
それ以上進歩する必要が無くなるから、今後「医学の進歩」という言葉も聞くことはないだろう。
しかし、何十年、何百年たっても相変わらず「医学は進歩している」と言われ続けている。
なぜか、
「未完成」だからだ。
このまま先に行っても相変わらず「医学は進歩している」と言い続けるのだろうか?
その意味は
「今の医学は未完成だ」と表明しているのだが。
「進歩」という言葉は非常によく取れるが、言い換えれば「今は未完成だから、先に行ったらきっと完成する」という意味であり、スポーツや音楽の世界では「まだまだ未熟なんだからね、せいぜい努力して、これから成長して本物になれるんだよ」と励まされる様な意味合いであろう。
もっとも、医学においてはその「進歩」が本物であるかどうかは怪しいのだが。
土台が傾いているところに高層建築を建てるとどうなるか、上に行くほど傾きが大きく見えてくる。
そこで土台を直さないといけないが、せっかくここまで建ててしまったので、一から直すのは大変だ。
このまま補強しながら立て続けるのだ。
と、頑張って高層建築を建て続けたらどうなるか?
ついには補強も効かなくなり、自重で倒れて崩壊することになる。
今の医学が進歩しているというのなら、下に紹介したような怪奇現象は起こらないのだ。
自然法則と学理が一致しているのなら、玄人はやはり玄人なのだ。素人が玄人を越えるには学理に則った経験が必要だろう。
しかし、学理を越えて玄人と素人差が出るという事は・・・
学理に欠陥があるからだ。
それが現代医学のあちらこちらの分野において表出している怪奇現象なのかも知れない。
医師と言っても自分の扱う専門分野以外はほとんど素人なみになるのだと思うが、かえってその素人の方が治療効果が優れたとなると。
その点が下記の後半部に書かれているので、そこの部分だけ勝手に改行を入れて読みやすくさせて貰った。
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
TITLE:新しい創傷治療:ミニエッセイ
DATE:2010/12/15
URL:http://www.wound-treatment.jp/next/essay/essay_data.htm
皮膚科に何ヶ月通っても湿疹が良くならず,逆に広がって困っている,という患者さんが受診されました。両側下腿の広範な湿疹(接触性皮膚炎でいいのかな?)があり,痒みがひどいとのことでした。
そこで,馬鹿の一つ覚えとばかりにプラスモイストを貼付しました。2日後には痒みは全くなくなり,滲出液もほとんどなくなり,患部はほぼ上皮化していました。
こういう症例,実はすごく多いのです。こういう症例を見るたびに,もしかしたら,現在の皮膚科の軟膏を基本とした治療体系はどこかおかしいのではないかと感じてしまいます。疾患の病態像分析そのものが間違っている可能性が高いからです。
何が間違っているかというと,治療方法そのものが病状を悪化させたり,病状を修飾しているからです。基剤がクリームだったり高浸透圧の軟膏を治療として患部に塗ればそれだけで病状は悪化しますし,水疱性疾患の患部をガーゼで覆えば患部の乾燥のために病状は悪化します。
しかし,それに気がつかずに治療をしていれば,基剤やガーゼによる悪化は「自然の病状の変化による悪化」に見え,それが「病気の自然経過」に思えてしまいます。これが「治療法による病態の修飾」です。要するにこれは,糖尿病治療薬の中に血糖を上げる成分が含まれているようなもので,その薬を飲ませて血糖が下がらないことを「糖尿病の自然経過」だと勘違いするのと同じです。
なぜこのような現象が起きるかというと,これまでは主剤の薬効の有無だけが注目され,基剤の問題がないがしろにされてきたからです。主剤に薬効があるから治療薬だ,という論理で治療体系が組み立てられてきたからです。
これは次のように考えればよくわかります。「安全性が確認されている食材で作った鍋なら安全か?」という命題です。有害物質が全く検出されない食材(=主剤)をいくら揃えても,それらを煮る水(=基剤)に砒素や有機水銀(=クリームや高浸透圧基剤)が含まれていたら,出来上がった料理は安全ではなく人体に有害なものとなります。
さらにここで面白いのは,私は皮膚科の知識はほとんど持っていない点にあります。
何しろ,この患者さんの下腿の所見をなんと表現すればいいのか,何という病気なのかすら知らないのです。
しかし,病気のことを一切知らないのに,なぜか治せるし,実際に治っているのです。
ということは,少なくともこの患者さんの治療に関しては,これまでの皮膚科の専門知識は全く無効だと言うことになります。
つまり,「専門家は診断できるが治療できず,素人医者は診断はできないがなぜか治せる」のです。
まさに,医学における怪奇現象なんですが,なぜこのような怪奇現象が起こるかを説明しようとすれば,皮膚科の病態分析自体がおかしいから,治療体系そのものがおかしいからだと結論付けざるを得ません。
もちろん私は,皮膚科の全ての疾患がそうだと言う気もないし,個々の皮膚科の先生を非難しているわけでもありません。
現実として,こういう現象が起きているということを言っているだけです。
以前から,皮膚科の治療薬,熱傷の治療薬に新薬が発売されないことを不思議に思っていました。他の分野の治療薬はどんどん新しい薬が発売されているのに,なぜか皮膚科の治療薬だけは数十年前のものが使われていて,新薬と入れ替わることがありません。古くても効果があるから使っているのだ,という解釈もあるでしょうが,私の目には「新薬が開発されないから,薬の新陳代謝が起きていないだけではないか」と映るのです。
どこかで「皮膚科の治療体系はもう完成され,新しいことは何一つ必要ない。これまでの軟膏を使っていれば全て治るのだ」という発想がどこかにあるからではないでしょうか。だから,製薬会社もあえて新薬を開発しないのではないでしょうか。
今ある軟膏類を後生大事に使っていくという道もありますが,恐らくその先には未来も発展もありません。現在の治療以上の治療効果を求めるなら,根本的な発想を変えるしかないのです。
要するに「皮膚科とは軟膏で治療する診療科である」という定義すら考え直すべきなのです。
「湿疹は皮膚科の軟膏では治らないけれど,あそこの神経科医院に行くと肌色のシートを張ってくれてすぐに治るよ」という時代になってからでは,もう遅いのですから・・・。
TITLE:新しい創傷治療:ミニエッセイ
DATE:2010/12/15
URL:http://www.wound-treatment.jp/next/essay/essay_data.htm
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
本当は怪奇現象でもなんでもないんですが、「思いこみ」から来る奇異現象なんですね。
自然に治ろうとする力が人間自身に備わっている。それを手助けするのが人為的な治療法なのですが、じつはその「手助け」が「足を引っ張っている」こともあり得るわけです。
その「足引っ張り」を正しいものとして誤認して出来ているのが医学だとすれば、それを信じてしまった人からみれば、まさに怪奇現象にみえちゃうわけです。
医学大全には「自然治癒」という言葉がない(実際には「ほとんど無い」のでしょう)
ナポレオンの辞書じゃないけど、我が輩の辞書には「敗北」という語が無いとすれば、最後に大敗したときナポレオンは「我が輩の辞書に敗北という文字を書き加える」とおごそかに誇り高く宣った(とかは想像です)
まあ、医学の大事典に、しかも冒頭に入れて貰いたい文字は
「人体に備わったかくも偉大なる自然治癒力に対して、われら人類は最大ナル感謝とともに、それに従う。いかなる医療行為もこれを無視してはならない。かつ、この偉大なる力に逆らうことなく、常にこの力に則った医療行為をする」
まあ、こんな意味の宣言を入れないとね。
当たり前の自然現象でも医学大全からみれば「怪奇現象」にうつるわけでししょう。
主役は自分自身の治療です。
主治医は自分です。
これが「軟膏からシートへ」の道なんでしょうね。
けど、この中で「新薬開発」の意味が書いてありますけど、その意味としては僕はこういう介錯をします。
介錯じゃクビ落とされるか?
「薬はどこまで行っても対症療法」だから「一時停止」
「いつか効かなくなる」という本質的なものがあると思う。
さすれば、
次々と新薬を開発する必要がある。 効かなくなるのだから。効けばそのままでずっと通用する。
となると、この場合、軟膏ってのはどうなんだろう?
「効いていた」?
それとも、
新薬開発するほど新しいものも無い、ようするに単純な分野?だった?
それとも、
儲からない分野だったから? 製薬会社が手を出さなかっただけ?
不明だけどね。
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