Don’t Dilly Dally

Maybe I’m a wanderer

アメリカで各国の味を楽しむ #02 ~traditional Greek menu~

2024-12-11 12:55:37 | 回顧録

前回の投稿に引き続き、クリスマスシーズンに行ったアメリカのレストラン。第二弾はギリシャ料理です。私は都内の地中海料理のレストランには行ったことがありましたが、本格的なギリシャ料理のレストランはこの日が初めてでした。

私たちが訪れたのは、ニューヨークのタリータウンにあるグリークレストランです。タリータウンはマンハッタンから北に40㎞、ハドソン川の東岸に位置します。街の中心地から少し離れたところに車を停めてレストランまで歩いて行くことにしました。

ハッピーホリデーの期間は駐車料金が2時間無料になるという素敵なシステムのアメリカ。

もしかすると州によるのかもしれませんが、私の滞在先であるニュージャージーの街も同じようにこの期間は2時間無料になっていました。

電話ボックスにサンタクロースを発見。

トナカイに電話でもしてるのでしょうか。

レストランに入る前にタリータウンの街を散策しました。

可愛らしい街。

頑張っておしゃれをしましたという感じの12歳くらいの可愛い女の子たちとすれ違いました。きっと電車でマンハッタンにでも遊びに行くのでしょう。

向こうの壁では私の大好きなダルメシアンがサンタさんのお尻をかじっています。

あらら。サンタさん大慌て。

そしてお目当てのレストランがこちらです。

ギリシャのカラーである青と白のレストラン。店内もこんな感じ。

この日にオーダーしたのは代表的なギリシャ料理のあれこれでした。

タコのグリル、スパナコピタ(ほうれん草のパイ)、イェミスタ(パプリカのミートライス詰め)、スブラキ(ハーブの効いたラム肉の串焼き)、ティロピタ(チーズパイ)です。

どれも美味しいけれど、やはり絶品はギリシャ料理の代表ともいえるタコのグリルではないでしょうか。

オリーブオイルとレモン、ハーブの効いた料理の数々。シンプルで爽やかな味わい。これらの料理を楽しみ、食後にグリークコーヒーを飲むと長生きできそうな気持ちなるから不思議です。

食事の後は、ノースタリータウンのスリーピーホロウへ。

Sleepy Hollow は、ニューヨーク近郊で語り継がれている伝説です。ジョニー・デップ主演映画『スリーピー・ホロウ』やディズニーのアニメーション『イカボードとトード氏』でも描かれています。

脚色は様々ですが、首なし騎士の伝説を簡単に説明すると、「首を切られた騎士が頭部を失ったまま復活し、夜の森の中で眼の光る馬に乗りながら次の獲物を待ち構えている」というもの。

いかにも首なし騎士が潜んでいそうな雰囲気です。

Sleepy Hollow Cemetery(スリーピーホロウ墓地)は物語のキーワードにもなっているのですが、ロックフェラーやカーネギーなどの著名人が多く眠っていることでも有名です。

こちらがディズニーのアニメーション。

(・∀・)

すっかりギリシャ料理から離れてしまいました。最後に、こちらがタリータウンのグリークレストランの全体像。私にギリシャ料理の美味しさを教えてくれた店です。

 


アメリカで各国の味を楽しむ #01 ~Cuisine from Afghanistan~

2024-12-09 12:06:54 | 回顧録

BFが弾丸で日本にやってきて、慌ただしくアメリカに戻ってから早くも10日が経とうとしています。BFは日本で中華料理と海鮮料理、そして駅弁を堪能して帰っていきました。

アメリカといえば各国の料理を楽しむことができます。移民大国だけのことはあり本格的な味を提供しているレストランが多く、現地を再現しているような食堂から洗練されたレストランまでスタイルも様々です。

私は去年同様に今年も日本でクリスマスを迎えることになりました。せっかくなのでクリスマスシーズンに訪れたアメリカの各国のレストランを思い出して懐かしみたいと思います。まずはボストンで訪れたアフガニスタン料理のレストランから。

マサチューセッツ州ボストンといえば歴史的な建造物が立ち並ぶ美しい街で有名です。

上の画像は、アメリカ最古のレストラン『Union Oyster House』の店先です。店名の通り、美味しいオイスター料理の数々、そしてクラムチャウダーが絶品なのですが、こちらには春夏秋冬を問わず何度か訪れているので、詳しくはそのうちに。

ボストンの冬は、日本の北海道よりも寒く、極寒期では氷点下15~20度まで気温が下ることもあります。

暗くなる前でも美しく輝くボストンの街のクリスマスツリー。

そしてこちらがボストンにあるアフガニスタン料理のレストランです。

中東の国アフガニスタンといえば、アル・カイーダ、タリバーン政権、断続的に続く紛争や自然災害などで人々の生活が困難だというイメージしかありません。

しかし、訪れたこちらのレストランはアメリカの中でも生活水準の高いマサチューセッツ州に店を構えているだけのことはあり、洗練された高級レストランといった雰囲気でした。

洗練された雰囲気と中東のオリエンタルな雰囲気が入り混じった店内。

この日のオーダーがこちら。アシャク(水餃子)、ボラニ・バンジャン(揚げたナス+スパイシーなトマトソースと酸味の効いたヨーグルトドレッシング)、そして長粒のバスマティ米の添えられたヘルシーなお肉のプレートです。

濃厚でいてヘルシー、スパイシーなようで優しい味つけのアフガン料理の数々を堪能できましたが、お値段もそこそこお高い。日本の焼き鳥をアメリカの焼き鳥屋で食べると驚くほどお高いのと同じでしょうか。

アフガニスタン料理を満喫し、鼻歌まじりにホテルに戻ったのですが、女性が公の場で歌うことを禁止されているアフガニスタンの国。全身や顔を布で覆い、街を歩かなければならない国。

アフガニスタンへの渡航を検索してみると、

『現在、日本政府はアフガニスタン全土に退避勧告を発出しています。 アフガニスタンへの渡航は、どのような目的であれ止めてください。 また、既に滞在されている方は、速やかに在アフガニスタン日本国大使館まで連絡するとともに、直ちにアフガニスタンから退避してください。』

当初は3カ国のレストランを載せるつもりでしたが、長くなりそうなので分割して載せることにしました。まずは世界の平和を祈って、世界中の人々のお腹が満たされることを祈って、今回は終わりにします。

そういえば、

アフガニスタンはイスラムの国だからクリスマスは関係ありませんが、エントランスのトナカイが可愛らしかったです。なーんて、ただの鹿だったりして。(笑)


私が見つけたもの

2024-12-05 13:07:43 | 雑記

アメリカから日本へ弾丸で来ていたBFを空港で無事に見送り、私が前回まで投稿していた『Welcome to Japan』シリーズは、未完を決め込むことにしました。

私たちの別れにはいつも涙やロマンスはなく、軽くハグをして「またね」とお互い笑顔。別れのたびに泣いていたら涙がいくつあっても足りません。

彼を乗せた飛行機を見送った翌日、私は生まれ育った茅ケ崎に立ち寄り、両親と姉のお墓参りをしました。数年ぶりの訪問を反省しながら、久しぶりに両親と姉に手を合わせました。

手を合わせながら、「そうだ。私もBFのように思い出の場所へ行ってみよう。」ふとそんな考えが頭に浮かびました。

翌日に向かった先は、大雄山の最乗寺。道了尊とも呼ばれる山の中にある静かなお寺です。

よく訪れたという意味の思い出の場所ではなく、幼い頃の記憶にのこっている場所で、訪れるのは少なく見積もっても、およそ45年ぶりになるはずです。

美しい紅葉と長い階段が私を出迎えてくれました。

私が二十歳くらいのとき、「大雄山のお寺に行こうよ」と両親を誘ったことがあります。しかし、すでに体を患っていた父からの返事は、「あそこは階段が多いから、今のお父さんの体では無理だよ。」というものでした。

それ以降、訪れる機会もなく、私の記憶からも薄れてしまった大雄山の最乗寺。

父の言葉を思い出す階段の多さ。健脚な私は難なく登れますが、体力の衰えていた父には確かに無理だったことでしょう。

階段を登りきると、幼かった私の心に大きな印象を与えた数々の下駄。

この光景だ。

まだ本当に幼かった私に両親が、「どの下駄なら履けるかな?」と笑いながら語りかけてきたのを覚えています。あれからいったい何年経つのでしょう…

私はいまだに自分の夢や望みを形にできずにいます。

計画を立てているようでいて、現実の形として具体的には何も描けておらず、ただ闇雲に日々を駆け抜けている気がします。今の私に必要なことは、もう少し長い目で事の成り行きを見ることかもしれません。つまり、幼いころから何も変わっていないということ。これが持って生まれた気質というのでしょうか。

そういえば、途中で天狗に出会いました。

烏天狗と山伏姿の大天狗です。

神通力を持ち、自由自在に飛び回ることの出来る翼を持つ天狗。

未来を見据え、聞く耳を持ち、天狗のように自由に自分の行きたい場所へ行く。私は相変わらず目標設定があいまいですが、深く静かな山の中にあるお寺の境内を歩きながら、そんなことを考えていました。

私が幼い頃から苦手としていたもの、それは努力。この努力という力を私は人よりも使っていないはずなので、きっとまだまだ余力はあるはずです。憧れや見栄ではなく、自分の実力相応のところに目標を持ち、そこを目指して努力をするということ。

これが、今回のBFとの再会、そしてこの長い連休の中で私が見つけたものです。

もう一歩の努力。

 

そういえば、我が家のお墓の前でどこかのネコが日向ぼっこをしていました。

私の代わりにお墓を守ってくれているのでしょうか。もしそうなら、これからもよろしくお願いしますね。

 


Welcome to Japan ~the last night 横浜の街に日は落ちて~

2024-12-04 07:48:03 | 備忘録

あっという間に最後の夜を迎えました。翌日の便でBFはアメリカに戻ります。

最後の夜は、BFの希望で横浜となりました。宿泊したのは新横浜のプリンスホテル。ホテルの前から羽田空港までバスが出ていることが、彼がこちらを選択した理由のようでした。

丸い建物が特徴的な新横浜プリンスホテル。

ロビーにはクリスマスツリー。翌日から12月になることに一年の早さを感じます。

少し早めに到着したのでアーリーチェックインをして部屋で休むことにしました。なんせBFはジェットラグでフラフラ。

部屋に入ると眺めの良い窓が私たちを迎えてくれました。

東京の街がよく見えます。

右側がスカイツリー、左側が東京タワーですね。私が以前に住んでいたのは、ややスカイツリー寄りの真ん中くらいでしょうか。懐かしい東京の街。

部屋で少し休んでから向かった先は、みなとみらいのコスモワールド。

私は横浜に住んでいたこともあり、この辺りをよく歩いていたものですが、実際にコスモワールドに入るのは30年ぶりくらいになるはずです。

BFのお目当ては、かの有名な大観覧車。

画像は降りたあとに撮ったものです。もう少し遅い時間になればライトアップされ始めるのですが、この夕暮れ時の大観覧車の眺めもノスタルジックで良い感じでした。

それでは一周15分の観覧車の旅のはじまりはじまり。

港町横浜の夕暮れ。ベイブリッジが見えます。

反対側はこんな感じ。

夕暮れに染まる横浜の街。

ちょうど天辺にきました。下を見ると、

ワーオ。

BFは高所恐怖症かもしれません。とても無口になっており、「ほら!すごいね!」と私が下を見て騒いでも、あまり下を見ようとせず手すりに掴まって苦笑い。これはおそらく間違いないでしょう。(笑)

ビルとビルの間には富士山が見えました。

天候に恵まれた3日間。美しい富士山の夕景色に感謝。

さすがのBFもこのときは富士山の写真を撮っていました。

赤レンガ倉庫から山下公園へ。

赤レンガ倉庫はクリスマスフェアでとても賑やかでした。上の画像はちょっと離れた場所から撮ったものです。

ヨットの形をしたインターコンチネンタルホテルも見えます。心地よく汽笛の音が港全体に響き渡っていました。

そしてそのまま中華街へ。こちらの門から入り、

こちらの門から出ました。

中華街もとても賑やか。

BFが子供の頃に家族でよく来たと言う店に行き、あれこれ定番料理の数々を注文。

どれも美味しく、見事に完食。ご馳走様でした。

食後、算命学で私だけ占ってもらうことにしました。私の中で中華街といえば算命学なのです。

今回の先生はよく当たり、まったく算命学に興味を示していなかったBFも「自分もみてもらう」と言い、続けて占ってもらうことになりました。

私は、「今は学びのときで、新しいことを始めるときでもあります」とのこと。私からは何も言っていないのに見事に言い当ててくれました。BFも「当たるもんなんだね」と満足した様子。

ホテルの部屋に戻ると見事な夜景。

東京のビルの赤いライトが王蟲の群れのように見えます。

この景色を眺めながら、算命学でお互いが言われたことについて考えました。どうやら私たちはどちらも「自由人」で、だからこそ今のこの関係が成り立っているのでしょう。

ウィスキーグラスを片手に、横浜の夜が更けていきす。 つづく

 


Welcome to Japan ~3rd day お墓まいり~

2024-12-03 09:44:12 | 備忘録

アメリカから3泊5日で帰国しているBF。彼のお父様は伊豆半島の伊東市にあるお寺の境内に眠っています。私は彼の代理で2度ほどお墓参りに伺ったことがありましたが、本人はおよそ20年ぶりくらいの訪問なったようです。

前日の午後、鎌倉から伊豆半島に移動して、翌朝早々に花と線香をもってお墓に伺いました。

立派なお寺です。

彼の代理で初めてお墓参りに訪れたとき、同じ苗字のお墓が多く困り果てて本人に電話したことがあります。そうしたらBF本人も記憶が曖昧というか、説明が曖昧というか。結局、たまたまお墓参りに来ていた見ず知らずの親切なご婦人が一緒に探してくれ、やっと見つけられたという始末。

こちらの階段の上には『曽我兄弟の墓』があるそうです。

なんとなく一人では怖くて行ったことがありません。今回はBFが一緒だったのですが、時間の都合上断念。

こちらは境内のお地蔵さん。

コロナ禍ではマスク姿でした。

そのお姿がこちら。

ちょっと可愛い。

こちらのお寺、東林寺は伊東祐親が息子のために建てたそうです。ちなみに伊東祐親とは、平清盛により伊豆に流された源頼朝を預かっていた人です。

やはり伊東祐親のお墓も怖くて行ったことがありませんでした。道が細く、どことなくうっそうとしているのです。

今回はBFと一緒なので行ってみることにしたのですが、暗いのは最初だけで、あとは明るく緩やかな坂の続く気持ちの良い道でした。

伊東祐親のお墓がこちら。

看板にこう書いてありました。

『祐親は流罪にされた頼朝を伊東で預かるが、自分の娘との間に生まれた頼朝の一子を平家への忠義のために殺害してしまう悲劇的な人物である。養和二年(一ー八二)には、頻朝から許されたものの受け入れずに自害している』

これを読み、「悲劇の人って言うのかなぁ」と私が言った瞬間に激しい風がゴオーッ!「やばい!祐親が怒った!」と慌てて手を合わせて「ごめんなさいごめんなさい」と謝罪。怖い怖い。

こちらは近くにある葛見神社。

この神社には天然記念物の大楠があり、パワースポットとされています。

見上げてみると、

楠木シャワーでパワー全開!

歴史のある伊東の街。

BFのお祖母様が以前に住んでいた街です。やはり彼にとっては思い出のある街で、鎌倉と同様に、「ここがおばあちゃんの家。まだ残ってたんだなぁ」とか、「ここの公園で盆踊りがあったんだよ」などと教えてくれました。

帰り道では家々の向こうにひろがる紺碧の海。

駅の近くに建つ東海館はもともとは商業宿でしたが、今は日帰り入浴と館内見学が出来るようになっています。

東海館の目の前にあったマンホール。

花火大会の絵が描いてありました。「子供の頃、この花火大会を見にばあちゃんのとこに泊まりにきたんだよ」と、BFはしばらくこちらのマンホールを眺めていました。

そんなBFの姿を見て、このマンホールを再び見直したら、私も両親や姉のお墓参りに行こうという気持ちになりました。

駅前のお蕎麦屋で昼食を済ませて、熱海から新幹線で横浜へ移動。もの凄い弾丸ツアーですが、3泊5日では仕方ありません…。

こちらはお蕎麦屋の店先にいた七福神。

ニット帽姿が可愛らしいです。 つづく