昨年の秋の初め、BFの仕事で訪れていたボストンの帰りにロードアイランド州のニューポートに立ち寄りました。ニューポートは「黒船」のマシュー・ペリー提督の故郷でもあり、墓地もこちらにあるそうです。
マシュー・ペリーといえば、日本を開国へと導いた人です。その動機がどうであれ、黒船が来航したことで日本は長い眠りから目を覚ますことになり、幕末へと突入していきました。
トューロパークには、ペリー提督の像がたてられており、8月には「黒船祭り」が開催されているそうです。そのお祭りに行きたかったのですが、少し時期を外してしまいました。仕方ありません、来年(2025)に期待ということで。
おー。教科書で見たことのあるお方です。
台座には日本のお侍さんの姿も彫られていました。腰に刀を差しています。
ペリー提督の斜め前には、アメリカの景色とは不釣り合いな石灯籠も建てられていました。
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州の沿岸に位置するニューポートの街は、とても洗練されており、海辺には大豪邸が立ち並んでいます。
海岸沿いに「Cliff Walk」というトレイルがあり、片側は絶壁の海、もう片側は大豪邸という優雅な気分でハイキングもできます。
しかし、優雅な気分でいられるのも半分くらいまでで、後半はかなり険しい道になりました。
断崖絶壁だったり、ゴツゴツとした岩山だったり。
道が険しくなる前に面白いトンネルがありました。トンネルの向こうに海が見えます。
お、海が近くなってきたぞ。
ワーオ!
トンネルを抜けると、そこは海であった!などと、この先に険しい道が待っているとも知らずに喜んでいた私です…。
秋の始まりといえどもトレイルを歩ききった私たちは暑さでグッタリ。そんな私たちを癒してくれたのは、スターバックスの甘いフラペチーノでした。
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ニューポートは、静岡県の伊豆半島にある下田市と姉妹都市でもあります。
帰国後、伊豆下田に行く機会がありました。江戸時代の末期、ペリー提督率いる黒船艦隊は鎖国をしていた日本に開国をせまり、日米和平条約を結び、その後下田条約を締結します。
下田には、黒船に由縁のある場所や乗り物がいくつかありました。
まずこちらが、ペリー像。
そしてこちらが、ペリー提督一行が了仙寺での下田条約締結のために行進したというペリーロードです。
「黒船」という名前の遊覧船や、
「黒船」という名前の電車もあります。
この日は同じ伊豆半島の伊東市内にあるホテルに宿泊しました。
翌朝の窓の外には伊豆半島の美しい朝日。
『泰平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も眠れず』
この狂歌は、強気のペリーに対する幕府の狼狽ぶりや対応を揶揄したものと言われています。強気のペリーと弱腰の幕府。結果、長い鎖国から日本は開国をします。
もし日本がこの時に断固として開国を拒んでいたらどうなっていたのでしょうか。
西洋諸国の軍事力から植民地化を逃れ、第二次世界大戦の各国の兵器軍からも奇跡的に逃れ、諸外国が日本に歩み寄ることもなく、今もなお幕府が存続していたとしたら…。
それは決してユートピアのはずもなく、まったく想像もつかない体制が国内を動かしていたはずです。そう考えると、黒船の来航は日本にとって必然な出来事だったのでしょう。
今回は、思いがけず文明開化の音を聞く姉妹都市の旅となりました。