銅像(1) 2011年05月05日 20時51分31秒 | パソコン マントピア別子 仲待とは、元禄4年(1691年)の別子銅山の開坑以来明治13年に牛車道が開設されるまで、奥深い銅山で精錬した粗銅や山中での生活物資(男性は45キロ、女性は30キロ)を背負って、険しい山道を運搬した人達です。 « 高昌寺 | トップ | 江戸時代の別子銅山 »