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万葉集

2011年03月30日 02時38分47秒 | パソコン

                                        万葉集

1.成立

現存最古の歌集。『万葉集』20巻が現在みる形にまとめられたのはいつか不明。年代の明らかなもっとも新しい歌は759年(天平宝字3)正月の大伴家持(おおとものやかもち)の作だから、最終的な編纂(へんさん)はそれ以後となる。山田孝雄(よしお)は、東歌(あずまうた)のなかで武蔵(むさし)国を東海道に編入していることに注目、同国の東山道から東海道に移された771年(宝亀2)以後と推定。また徳田浄(きよし)は、『万葉集』の卑敬称法を精査し、巻1から巻16までを746年(天平18)以後753年(天平勝宝5)まで、巻17以下を759年(天平宝字3)6月以後764年正月までの成立とし、そのころ巻16以前の手入れがあり、さらに20巻全体に777年(宝亀8)正月から翌年にかけて手入れが行われたと推測した。同様に巻16までと巻17以降とに二分する考え方を別の視点から展開したのが伊藤博(はく)説で、現在もっとも有力視されている。

伊藤説によれば、巻1から巻16まで(これを第1部という)のうち、もっとも新しい歌は「天平(てんぴょう)十六年(744)七月二十日」の日付をもつ。これに対し第2部(巻17以降)は、少数の例外(3890歌~3921歌)を除けば、746年(天平18)1月から759年(天平宝字3)1月までの作品がすべてである。第1部は「元正(げんしょう)万葉」と称すべき部分で、745年(天平17)以降の数年間に成立、第2部はこれに続いて753年(天平勝宝5)8月以後758年(天平宝字2)初頭までに巻17、18、19、の3巻が成り、そののち巻20が加えられた。20巻本を集成した立役者は大伴家持で、現存の形とほぼ等しいものができたのは782年(延暦1)から翌年にかけてであろう。巻1、巻2に関していれば、巻1の前半部が持統(じとう)天皇の発意によって文武(もんむ)朝の初年に編纂され、後半部の追補は712年(和銅5)から721年(養老5)までに行われ、同じころ持統万葉の企図を受け継いで、巻2が編まれたと思われる。この巻1、巻2を母眙として16巻本、20巻本に成長して現在の形に至ったのだろうと伊藤はいう。なお問題も残されており、今後も論議が重ねられ、煮つめられてゆくと思われる。


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