(1905-74)
洋画家。石川県生まれ。1920年(大正9)上京して川端画学校に入り、藤島武ニの指導を受ける。のち安井曽太郎(そうたろう)に師事し、27年(昭和2)から二科展に毎回出品、36年ニ科会の会員となる。38~39年パリのアカデミー・ランソンに学ぶほか、ヨーロッパ各地を巡遊。42年太平洋戦争下の南方へ従軍して『山下・パーシバル両司令官会見図』を制作、翌年帝国芸術院賞を受ける。44年朝日文化賞を受賞。第二次世界大戦後、47年(昭和22)同志と二紀会を創立し、のち理事長となる。66年日本芸術院会員。晩年には『妻と私』のほか、的確な写実力と華麗な色彩による舞妓(まいこ)、裸婦の連作で注目された。80年には生地の小松市松崎町に宮本三郎記念美術館が開館した。2000年(平成12)同市小馬出町(こんまでまち)に市立宮本三郎美術館が開館、記念美術館はその分館宮本三郎ふるさと館として2001年に新たに開館した。
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