息子が夏休み期間を利用して、戻ってきている。
だが、私の心は複雑だ。
やっと子供のいない世界になれて、いや、なじめず病になったのかもしれないが。
でも、少しずつではあるが、自分を取り戻し
自分の存在について、どういうものだったか振り返ったりしていた。
私は母親としての自分でいることが、存在意義になっていたのだと思う。
そして、それがなくなってしまうことは自分を見失うことなのだ。
子供が生まれた日、
すごくうれしかった半面、重責を感じたのを思い出す。
小さな手や足を見つめては、私が守らなければという気持ちだった。
とにかく早く育ってほしい!!
そう思って、日々の成長を望んでいた。
幼稚園までは長く、自分の時間もない状態が当たり前。
今のそう、正反対だ。
小学校、中学校、高校と子供はどんどん成長する。
もともと、自立心旺盛な息子は、中学生で夜行列車に乗って一人旅をするような子供だった。
私は、けっして反対しなかったし、たくさんの愛情が安心と自立に繋がって
親元から離れることへの不安がなくなっていったようだ。
中学生のときにはアメリカに、仲間たちと世界中の人が集まるキャンプに2週間も参加していた。
私が知らない間に、多くの世界を見て、視野を広げ、想像以上に成長したんだ。
私の思いそのままに彼は成長してくれた。子育ては、いまのところ大成功!!
のはずだったが、
肝心の私の親としての心構えがやや乏しかった。
そう、子供と一緒に親も少しずつ良い距離を保つ必要があったのだ。
少しずつフェードアウトするように
離れること繋がること、あるいは仕事でもなんでも、ちょっとずつ慣れるのが心に負担がない。
けれど、受験生の親というさらにサポートが必要だったため
私のエネルギーを目いっぱい注いでいた。
それが、ぷっつりと切れるんだから、エネルギー循環に異常をきたしてもおかしくはない。
それは、子育てに限った話ではなく、長年仕事に精を出していた人も、頑張りすぎた後、急に仕事を退いたりすると
自律神経がひどく乱れ、精神状態が不安定になったりする。
ただ、原点を思い出したい。
一人の人間を育てるにあたり、社会の一員として生かされつつ貢献してくれることを願っていた。
そして、私は私という一人の人間に戻ればいいんだ。
母親ではない自分。
一人の女性としての自分。
今はまだ途方に暮れて見失っているけれど、一人の女性として幸せになりたいし、
また、一人の人間として社会の一員として生かされて、
いままで注いでいたエネルギーを創造性をもって具現化していくエネルギーに変えていきたい!!
その過渡期である今は、自分を見つめて自分の存在を大切にもっとありのままでいいんだと思いたい。
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