なるほど、何もかもつまらないのは離れすぎているからだ。
他者から社会から世界からーそして、何より自分自身から。
主体性がないといえばそれまでだが、そもそも、自分で自分を扱いきれていなければ、自由意志などを信奉していもしない。
自分自身を突き放して考えてみると、30歳になる年に起こった一連の出来事だろう。
だが、そのことについて感じる感情は薄い不快感だけだ。
自我というものがあるとするなら、最初から、その始まりは「距離」という問題-神経症を抱えていた。
そしてそれは、人間の性が二つに分かれていたからだ。
今や性別を超えて、いや、生物か無生物かを超えて、世界は私にとって距離が離れすぎている。
それが親しみを以て語りかけてくる日-和解の日など来るのだろうか。
他者から社会から世界からーそして、何より自分自身から。
主体性がないといえばそれまでだが、そもそも、自分で自分を扱いきれていなければ、自由意志などを信奉していもしない。
自分自身を突き放して考えてみると、30歳になる年に起こった一連の出来事だろう。
だが、そのことについて感じる感情は薄い不快感だけだ。
自我というものがあるとするなら、最初から、その始まりは「距離」という問題-神経症を抱えていた。
そしてそれは、人間の性が二つに分かれていたからだ。
今や性別を超えて、いや、生物か無生物かを超えて、世界は私にとって距離が離れすぎている。
それが親しみを以て語りかけてくる日-和解の日など来るのだろうか。