弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

個人宗教4ー否定

2018-01-13 18:03:50 | 思考
連続で個人宗教というテーマで書いたのだが、本当にそれは宗教であるのだろうか。
ただのアニミズム的なものの見方をしているだけではないか。

命題1
何にも始まりがある。
命題2
無から有は生まれない。
命題3
全ては因果か確率論で支配されている。

よって、全ては有から生まれ自分の与り知らぬものによって支配されている。
これは論理的だ。前提さえ間違っていなければ。

そして、確率論であろうと因果関係であろうと、始原の必要単一原因から生じたのなら、全てはそれの顕れであるのは当たり前。
森羅万象がそうで自分もまた、「この意識」だけを例外視しても、その顕れを共有している。

そうであるなら、自分を尊重することは森羅万象を尊重することに繋がる。
だが、mECTの前のように自分を呪うならば全てを呪うことになる。

そう。苦しみの渦中の中で、苦しみ自体を客観視することは難しい。

mECTの前後で自責的思考が有意に減少したが、それはどういうメカニズムであるのかが分からない。再発もしたわけで。
決定論・確率論・客観視の話をすると主体性がないと言われるし、(主体性という感覚自体が誤認な訳だが)、ここに何回か書いているようにmECT後に解離的な何かーPTSD的な症状が生じているのも確かだ。

昨夜も左手の甲の沁みる感覚ー全身麻酔の時のことを思い出して眠るのが
怖くなった。

だから、こういうものの見方自体、自発的に生み出されたものではないのだ。
というか、mECTの結末なら究極の人為によってもたらされた副産物ー意識のバグに過ぎない。

ならば、結局、全てがバグっているような気がしなくもない。

だが、狂気とは違う。狂気のさなかにある人間は自分を狂っていると疑わない。