弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

砂粒の存在

2017-06-28 14:01:57 | 思考
存在脅威管理理論には以前触れたことがある。
文化(への適合)が人を死の概念の恐怖から遠ざけるというのものだ。

例の歌舞伎俳優の妻のあれやこれやも、一過性のもので、本質的に死を考える機会にはならないだろう。

それはさておき、経済的には親(遺産を残した亡き父を含む)によって庇護されているとはいえ、自分の存在自体が何からも守られていないことに気づいた。
常に死と対峙する日々。。

大衆文化には迎合できず、
伝統・地域社会に守る能力はもうなく、
家族にだって本質的な居場所がない。

友人とは付き合いがあるが、彼らは「あちら側」の人で、デイケアの人も(あそこはリワーク中心だから)、再び「あちら側」を目指す人達だ。

別に今さら、「あちら側」の人間になれるとも戻れるともーいや、戻りたい思ってないが、昔は精神科に通いながらも境界線付近にいた気がする。

風が吹けば、誰にも知られることなく、吹き飛ばされそうな砂粒のような存在。。。

何か、退院してから久しぶりに起死念慮が出ている気がする。
あんまり続くようだと、今度こそ踏ん張れる自信がない。

追記

精神病患者だからといって、大衆文化の享受者でないとは限らない。
mixiで時々見かけたが、長年患っていていい歳してアイドルの追っかけしていたり、アニメオタクなのは信じられなかった。
多分、「あちら側」かは、精神疾患かどうかはあまり関係ないのだろう。


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