弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

切り札消失~lost...

2017-01-10 22:32:49 | 思考
アモキサンという三環系抗うつ薬がある。
他の抗うつ薬が全滅している私にとって、唯一、ここぞという時に用いる薬だった。
大学時代に落とせない単位があった時、発表がある時、部活の合宿の時など。
何故、ここぞ、かというと、飲み始めてから数日で効く代わりに2カ月程度で効果が感じられなくなってしまうからだ。
短期間で意欲や気力減退に効果が出てくるが、他の患者さんも「腰折れ」という現象が出やすい薬であるという。

先日、医師やカウンセラーに、焦燥感だけ募って何もする気力や意欲がわかない、と伝えたのだが、基本的に何も効果的な対策を考えてくれはしなかった。
だが、大学院入試の出願は迫ってくる。

そこで、かねてからアモキサンのジェネリックを個人輸入できることを知っていたので、試してみたのだが、ここ一週間、むしろ悪化した感が否めない。
効果を判断するには早すぎるかもしれないが、副作用のイライラと便秘、中途覚醒は如実に出てきている。

効かない原因は、
1、mECTにより効く薬が変わった。
2、今飲んでいる薬の飲み合わせ的に効かない。
3、薬効が状態の悪化に追いつかない

いずれにしても、もう出願には間に合わないだろう。

もし、今回効けば、今後も窮地の時に活躍してくれるだろうという想定だった。
今の状態では、大学院生活で追い込まれる時が来るのは必然であろうから、その時のための予備試験も兼ねていたのだ。
それが失敗に終わった以上、もう「もしものための救世主」なんてものを想定してはいけなくなり、「地」の状態を上げていくしかない。

そう、今、この状態で、研究者を目指すというのは無謀なのだ。
そもそも、関心も薄れ、研究意欲も出ないのだから。

夏までは、手術の効果の勢いか、活動量が増え、気落ちすることも減っていた。
だが、秋から悪化の一途を辿っている。
季節性があるにしても、もう少し回復させてからでないと、金銭と時間、信用を低下させるだけだ。
一見、早回りな進路選択も身を滅ぼすだけ。

だが、最初にして最後の問題は、
状態を上げる手段はもうほとんどが試みられていて、他に見つからないこと。

最近、自殺念慮も復活してきている。
一体、何をしたら快復するのか。

「君」は要らない-才悩人応援歌

2017-01-03 00:03:58 | 思考
新年、初めて書く日記がこれなのはいかがかと思うが、何か文字を打ちたい気分なので。

歌詞の中で、「君」という言葉が使われるとき、それは大概異性の恋愛対象である。
そして、例え、その歌がどんなに他の部分で励ますような歌詞だったり考えさせられるような歌詞でも、この単語が出てきた時、私はフリーズする。
頑張る、いや、生きていく理由を他者に求めてはいけない。
というのも、それは一生涯相手が不在のまま終わりそうな我が身にとっては、存在自体を匂わせられること自体で、萎えてしまうからだ。

青春時代から発症し、恋愛も出来ない・許されない我が身にとっては、特定異性の存在を自身の生存の根拠にしてはならない。
かといって、形而上学的なものも存在根拠にならない。

ところが、自己複製を任務とする生命にとっては、配偶者(配偶子)が現世的な存在理由となるし、死後という意味では形而上学的存在に頼らねば存在の不安の渦に巻き込まれてしまうだろう。

歌で言えば、ミスチルが代表格だ。
現状苦しいよね→でも、頑張ろう→でも挫折→でも「君」が・・・
こういう流ればかり。

そういう「君」が一生涯出来ないものはどうしたらいいのだろう。
紅白でRADを初めて聴き、それは「哲学的でロマン的」と触れ込みだったが、そこには失望しかなかった。
久々に聴いたイエモンの「JAM」も最終的に、「希望の在り処」は「君」頼り。

結局、同じパターンか・・・
結局、売れるものは、大方、ポピュリズムに汚染されたもの=「君」を作れるリスナーに支持されるもので、それ以上でもそれ以下でもない。

・・・新年に世界の裏側でテロが相次ぐ。
「そこ」にも「此処」にも「君」はいらない。「あなた」もいらない。
自身の内側で自身だけによって芽吹くものしか、「私」は信じない。
誰にも伝わらない、誰にも分からない、伝える必要も分かってもらう必要すらない。
「君」とは関係ない次元に・・・そんな旋律こそを求める・・・