最も印象に残った球児
12.埼玉
仁村 徹 投手 上尾 1979年 夏
甲子園での戦績
74年春 1回戦 ● 2-3 浪商(大阪)
70年代~80年代ごろまでは【野球不毛の地】と言われた埼玉県も、
近年ではすっかり強豪県のひとつに数えられるようになりました。
埼玉県の高校野球史を紐解くと、
小柄なエースとか、変則型の軟投派が甲子園で大活躍することが多いのが特徴と言えましょう。
古くは73年、
2度目の出場となった川越工業が、
あの”江川大会”と言われた強豪集う大会で強豪の間をスルスルと抜けて4強入りしたのは、
驚きでした。
その時の小柄なエース指田投手、
ワタシの地元出身で”地元のヒーロー”でした。
その後上尾が力を伸ばしていき、
74年には小さな下手投げ・松久投手の力投で強豪平安を倒す寸前まで追いつめ、
翌75年はひょうひょうと投げる今投手を強打線が支えて4強入り。
あの原辰徳選手擁する東海大相模をも破る大殊勲でした。
その後は86年の浦和学院の”魔球シンカー”を操る谷口投手や、
88年の”爽やか旋風”を巻き起こした市立浦和の星野投手、
93年に埼玉県悲願のVまであと一歩と迫った春日部共栄・土肥投手などは甲子園で持てる力以上のものを発揮してくれました。
浦学はその後次々にプロ野球選手を生み出したことからもわかるとおり、
大型チームを指向。
その集大成は、02年、03年のチームだったと思います。
その時のエースはキレのある左腕の須永投手でした。
たくさんの好選手を生み出してきた埼玉県ですが、
やはりワタシのココロにいちばん残っているのは、
あの牛島-香川のバッテリーを擁して絶対的な強さを誇った浪商を向こうに回し、
9回まで圧巻のピッチングを見せた上尾の仁村投手です。
あと一人のところで牛島の同点アーチを浴び、
最後は延長で力尽きてしまいましたが、
そのピッチングはまさに『埼玉県を背負って強豪に挑む』という感じのカッコいいものでした。
ともすれば郷土意識が薄いと言われる埼玉県にあって、
この仁村のピッチングは県民を一つにしたのではないかと思っています。
この年の上尾のチーム、
前年の暴力事件による出場停止から明けた、
ぶっつけ本番で臨んだ大会でした。
74年、75年のチームと比較して、
決して突出した打力を持っていたわけではありませんが、
しぶとくしぶとく、
守って守ってという総合力のチームでした。
県大会の決勝も1-0での完封勝ち。
仁村はこの夏、
本当に”打たれる気がしない”ほどの絶好調ぶりでした。
たら・ればを言ったら叱られてしまうのですが、
この年の上尾こそ『埼玉県史上最も安定したチーム』だったとワタシは信じて疑いません。
この浪商戦さえ超えてくれれば、
上位進出のみならず、
初めての夢の全国制覇も、
現実味を帯びたのではないか・・・・・・
なんて、
30年以上たった今も思ってしまいます。
牛島にホームランを打たれた瞬間。
そして負けが決まった瞬間。
本当に『脱力』してしまったのを、
昨日のように思い出します。
敗者の”お立ち台”に上がった仁村投手。
『ウサギを仕留めるのは、ワーワー吼えないライオン』
という野本監督の教えを忠実に実行したことを語り、
同点ホームランのシーンでは、
『あの場面だけ、いつもルーティーンに行っているロージンで手の滑りを抑えるという行為を忘れてしまった。そこだけ悔いが残る』
と語っていました。
その談話を聞いて、
この仁村投手に”惚れてしまった”ワタシ、
その後の東洋大学時代も、
中日に入ってからも(バッターに転向していましたが)、
ずっと彼のファンだったこと、
付け加えておきます。
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ホームラン。
あれを見て、スター選手というのは、やはりそ
ういう星のもとに生まれてるのかと、何か諦め
と納得とが入り雑じった複雑な気持ちになった
ものです。
で、その後の浪商の快進撃を見てれば、高校野
球ファンなら当然、決勝で箕島との再戦を期待
したのですが、何故かあの池田戦だけは浪商の
スターのオーラが通用しませんでした。
勿論、浪商バッテリーに揺さぶりをかける名将
・蔦監督のしたたかさあっての事だったのです
が、甲子園の女神の気まぐれぶりには本当に参
ってしまいます。
でも、だからこそ高校野球は面白いんでしょう
ね。
もう10年以上前の記事にコメントいただけるとは嬉しい。しかも、上尾高校について。
ワタシは上尾の、いやっ野本野球の大ファンだったので、そのしぶとさにコメントいただいて嬉しいです。
あの頃はこういった感じのチームが全国に多くて、なんだかとても甲子園の試合は面白かったですね。
松久の平安戦、今の新居浜商戦、そして仁村の波商戦・・・・どれか一つでも勝っていたら、夢のまた夢であった全国制覇に近づけたような気もするんですよねえ。。。
仁村の代のチームは、あまり打てなかったけど、投手を中心にした守りはピカ一のチームでした。浪商を破り、箕島とやらせてみたかったと今になっても思っています。
しかし、その野本監督も今は亡く、箕島の尾藤監督、そしてなんといってもドカベン香川までいなくなってしまっているんですから、時は経ったんですねえ。しみじみとしてしまいます。
いやぁ、こんな話ができるとは嬉しい。
ワタシも高校野球が大好きで、こんな話、ず~っとしていたい口です。
上尾といえば上記の3試合、特に新居浜商戦は「これに勝てば決勝だ」と思っていたので、悔しさがにじみました。9回のセフティーバント、ありゃセーフだよな~~!って今でもグチってしまいます。
とはいえワタシが甲子園で見た上尾の試合は、日野投手を擁して優勝候補だった選抜、同じく横綱だった箕島にこっぴどくやられた試合が印象に残っています。
日野の左腕で優勝だ~って思っていたので、箕島にボコボコにされて、そりゃもうへこんだのなんのって。。。。。。
またコメントいただけると嬉しいです。
(反応遅いことが多くて、ご迷惑をかけることが多いのですが。。)
54年に春夏連覇した時の捕手で嶋田宗彦っていましたけど、こいつはもう曲者高校の中でも特にずば抜けた曲者で、当時の箕島は嫌いだったけど、こいつは認めざるを得ない感じでした。面構えもよかったんですよ嶋田宗彦。私が選ぶとしたら和歌山はこいつです。北海道の向峰はよくぞ選んでくれましたって感謝です。東洋大姫路主将のごまかしピッチング発言。これをアサヒグラフで読んで以来嫌いでした姫路は。最近は箕島とともに「はよ出て来んかい」って思ってます
個人選びの件でついでに言わしてもらいたいのですが、沖縄は赤嶺賢勇でしょう。あの垂れ目の童顔、投球フォーム、もう大好きだったんですよねえ。相模に信じられない負けを喫した時は「ああ~。もう赤嶺を見られん、映せ、赤嶺を映さんかい‼」ってテレビに向かって文句を言ったほどです。
あ~~‼、楽しい!。また投稿させてもらいます。
そうですね、箕島はホント負けないチームでした。
昭和50年代当時は、関東のチームはPLや箕島にやられまくっていて、勝てる気は全くしませんでした。
それでもワタシは、PLはあまり好きではありませんでしたが、箕島は結構注目して見ていた気がします。
「PLに勝ってくれる」というのも、ワタシの中では大きかったかな。
智辯和歌山の天下となってからは、なんとか箕島が復活しないかなあ・・・・・なんてずっと思っています。