SPORTS! SPORTS! 寝てもさめても

16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

ふたつの訃報

2020年09月17日 | プロ野球

今朝起きてスポーツ紙をチェックすると、
二つの訃報に触れられていました。

一つは、
SBのコンディショニングコーチである河村隆史氏の訃報。
くも膜下出血による死去だったそうです。

ワタシは川村コーチの事はよく知らないのですが、
昔西武のトレーニングコーチと話す機会があり、
いろいろと疑問に思うことを質問すると、
丁寧に答えてくださったことが思い出されました。

「トレーニングコーチって、こんなにも博識なんだ」
という驚きと畏敬の念を抱いたこと、
今でも鮮明にワタシの中に残っています。

選手のコンディショニングは、
プロスポーツの中においては要中の要。
早すぎる逝去を、心から悼みます。


そしてもう一つは、
黒田真二氏の死去の報です。

元ヤクルトという肩書で書いてありましたが、
黒田氏が最も輝いたのは何と言っても甲子園でした。

崇徳高校の剛腕エースで、
当時は「ヒバゴン」なんて呼ばれていましたっけ。

選抜では初出場で見事に優勝。

広島県は広商をはじめとして、
スモールベースボールと細かい野球が全盛の中、
崇徳は豪快に打ちまくり投げまくる、
胸のすくような野球をやっていたことが思い出されます。
昭和51年の事です。

春夏連続出場してきた夏の甲子園でももちろん優勝候補。
しかし夏の甲子園には、
選抜には出てこなかった原辰徳の東海大相模、酒井圭一の海星、久保・立花の柳川ら、
キラ星が勢ぞろいして崇徳をもってしても「筆頭候補」というよりも「4強の一角」という扱いでした。

この年の甲子園については、
2,3か月前に書いた覚えがありますので、
そちらの方も良かったら。。。。。

黒田は初戦、
東海大四との対戦を前に、
発熱してしまって先発を回避。

途中で登板したもののまた熱がぶり返して降板。
その結果、
投手がいなくなった崇徳は、
ものすごい苦戦を強いられるという苦闘を経験しました。

その黒田が真骨頂を見せたのは、
海星・酒井との対決となった3回戦。

ドラ1間違いなしの剛腕同士の直接対決と会って、
ものすごく注目される対戦となりました。

そして試合は、
まさに鬼気迫る投手戦。

結果的に海星がボテボテの内野安打で1点を挙げ、
それを酒井が守り切って1-0の完封勝ち。
黒田は1点が命取りとなって、
春夏連覇の夢を打ち砕かれたのでした。

与えたヒットは酒井が2、黒田は3で、
与四球はいずれも2ずつ。
三振は酒井が8で黒田が9。

まさに「互角」の投手戦で、
あの作新・江川と銚子商・土屋の投げ合いに勝るとも劣らないような、
震えるような見事な投げ合いでした。

後年、
この二人はヤクルトで同僚となり何年かを過ごすのですが、
いずれもプロでは成功できずに球界を去ります。

ワタシはこの頃の甲子園の大投手、
横浜・永川、銚子商・土屋、土浦日大・工藤、海星・酒井、崇徳・黒田、東洋大姫路・松本らの、
まさに「剛腕」たちがプロ野球に入団していずれも成功できなかったため、
「プロ野球とは、なんとすごいところなんだろう。彼らでも成功できないなんて・・・・・」
と強く思っていました。

プロのレベルがそんなにも高いところだ・・・・・

そんな刷り込みが、なされたのかもしれません。
当時は「高卒の選手は、5年ぐらいは下で鍛えて」なんていわれていました。
力があればルーキーの年からバンバン活躍する今と、
なんて違う事でしょうか。


しかし今考えてみると、
プロで活躍するかしないかなんていうのは、
ほんのちょっとしたきっかけをつかむかつかまないか、
それとプロ向きの性格かそうでないか、
そんな「ほんのちょっとの違い」なんだろうなあと思います。

黒田は日ハムのドラフト1位を拒否し社会人野球へ身を投じました。
その後病気や所属会社の野球部の閉鎖などの紆余曲折を経て、
ヤクルトにドラフト外で入団したんですね。

入団の報に接した時に、
ワタシは「あの黒田がプロ野球に来るんだ」とうれしく感じたことを覚えています。
しかしヤクルトで彼の投球を初めて見たとき、
自分の記憶の中にある「黒田の投球」とあまりに違ったのに、
ショックを受けた・・・・・・という思い出も同時に思い出されます。

この5,6年の間に、いったい何が・・・・・・

そんな思いを抱きましたね。
もうプロに入った時の投球は、
「あの頃の輝き」とは遠いものでした。

昨日ちょうどyoutubeの石毛宏典さんのチャンネルを見ていたのですが、
その中で西武のスカウトである岡村さんがあるドラ1ピッチャーのことを話していました。

岡村さん曰く、
「いいものを持っていたからドラ1で指名したんだけど、キャンプを終わってみてみたら、いじられて完全に違うピッチャーになってしまっていて、そのまま戻ることはなかった」
というような話をしていて、
やっぱり選手にとって「その選手にとっていい指導者に出会う」という事がどれだけ大切かという事を、
感じざるを得ませんでした。

プロ野球でたたき上げてスターになっていく選手というのは、
その選手のもともと持っている資質というものはもちろんのこと、
ポイントポイントでいかにいい指導者に恵まれるかという事が、
ホント大きいのだなあと思ったりしています。

そうした「運」も持っている選手というのが、
結局はスターになっていくという事なんでしょうね。


そんな黒田選手ですが、
高校時代のあの輝きは、
何年たっても消えるものではありません。

『甲子園のスター』

と言える、
輝く姿は忘れません。

「あの頃」に活躍していた選手の訃報に触れると、
本当にワタシ、
遠い目になってしまいます。

河村さん、黒田さん、
ご両者のご冥福をお祈りします。



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