今年の野球殿堂入りの選手が、
昨日発表されました。
広島カープ・北別府学氏。
広島カープ・津田恒美氏
二人とも現役時代は広島一筋。
赤ヘルファンにとっては、
忘れられない二人が殿堂入りしたことは、
この上ない喜びでしょう。
今年復権を期すカープにとっては、
幸先のいい出だしとなりました。
まずは北別府氏。
昭和50年代~60年代のカープを支え、
エースとして通算213勝をあげた、
安定感抜群のエースでした。
50年代後半からの、
シュートを”切り札”として打者の意識に大きく植えつけた上で、
カーブ、スライダー、ストレートを外角の低めに集めて打ち取っていく芸術のようなピッチングは、
カープの華でした。
特に中日に対してはめっぽう強かったというイメージがありますね。
古い中日ファンは、
何度も煮え湯を飲まされたことを鮮明に覚えているんじゃないでしょうか。
50年代中盤の”爆裂打線”の打ち勝つ野球から、
60年代初頭にかけての”投手を中心にした守り勝つ野球”への変換を、
見事に遂げた赤ヘル軍団。
その中心で君臨したのが、
エース・北別府投手でしたね。
そんな北別府氏も、
”大舞台”日本シリーズには、
不思議と勝てなかった思い出があります。
古くは近鉄の300勝投手である”草魂”鈴木。
最近では200勝に近い実績を上げながらポストシーズンでは昨年ようやく初勝利を上げた西武・西口などが浮かびますが、
北別府はそういった投手達の”七不思議”の系譜にどっかりとその身を置く投手ですね。
そんな北別府投手が殿堂入り。
野球殿堂博物館に、
そのレリーフが飾られることになりました。
おめでとうございます。
さて、
その北別府氏と並んで昨日野球殿堂入りしたのが、
”炎のストッパー”津田恒美投手です。
津田投手と言えば、
まさに剛速球。
抑えとしてマウンドに上がり、
バッターに向かってほえながらバッタバッタと三振に討ち取っていった姿、
目に焼きついています。
確か昭和61年か62年ぐらいだったと思いますが、
津田投手の球をファールした巨人・原選手(現監督)が、
手首を骨折してしまったのを良く覚えています。
『バッターの手首をも折るほどの威力なのか!』
と感嘆した覚えがあります。
昭和61年、
阿南新監督での大逆転Vのときは、
神宮球場での優勝決定試合の最後のマウンドには、
”守護神”津田投手がいましたね。
素晴らしい投手でした。
彼の投球スタイルは、
まさに剛球一本。
スライダー全盛になりつつあった当事のプロ野球界にあって、
まさに異彩を放つような存在でした。
身体全体から”炎”を燃え上がらせバッターに向かっていく姿、
多くの人たちが良く覚えていることでしょう。
話はさかのぼりますが、
その津田投手が初めて”世間の目”に触れたのが、
南陽工業のエースとして登場した、
昭和53年春夏の甲子園でした。
初戦の東海大四(北海道)戦。
大会前にも注目を浴びていた津田投手の登場、
ワクワクしながら私はTVの前に陣取っていました。
その津田投手。
バッタバッタと三振を取るその前に、
まずは先制の3ラン(?)でワタシの度肝を抜いてくれました。
その後はその3点を守り、
相手打者を寄せ付けないような”キップのいい”ピッチング。
ワタシはその津田投手の速球を見て、
ほかのどの投手の球質とも違う、
ズドーーーン
と来る球のすごさを感じていました。
相手投手も確か、
大会屈指の左腕だったと記憶していますが、
球質の違いは明らかでした。
春は8強で福井商に1-2の敗戦。
ランナーを出せども出せども、相手投手の芸術と言えるような牽制に指され続け、優位と言われた試合を落としてしまいました。
夏は2回戦で天理に0-1と敗れました。
たった1球の失投をレフトラッキーゾーンに落とされ、失意の最後になってしまいました。
悲しいかな初出場の南陽工業には打力がなく、
津田は甲子園では栄冠に輝くことはありませんでしたが、
その投球は『大会の華』だったことに、
間違いはありません。
ワタシが甲子園の試合で、
投手の投げる球を見て掛け値なしに『すげ~』と思ったのは、
この津田のほかに、
作新・江川(元巨人)、
大府・槙原(元巨人)や、
花巻東・菊池(現西武)など、
数えるほどしかいません。
(このうち菊池は、1年時は見ていません。3年時の春の選抜ではじめてみました)
もちろんこれは、
彼らのデビュー戦で『センセーショナルな』感覚を持ったという意味です。
ダルビッシュなど、
甲子園でだんだん成長していった投手もたくさんいますが、
ワタシの頭に”嵐を落とした”という意味では、
津田投手はその代表格です。
おっと、
話が飛んでしまいました。
その津田投手、
ご存知のとおり、
91年に脳腫瘍という難病を発症。
そして93年、
本当に惜しまれながらこの世を去りました。
享年はわずか32歳。
その当時ワタシは20代でしたが、
今彼の年齢を大きく越してから考えるのは、
本当にどんなにか心残りだったことだろう、
ということです。
人間の運命は、
本当に過酷だということを思わざるを得ません。
しかし、
彼の素晴らしい投球は、
我々の頭や心の中に、
いつまでも残っています。
人の心に何かを残す。
アスリートとは、
やはり素晴らしい存在です。
津田投手の素晴らしいピッチング、
今夜でもまた、
古いVHSのテープを引っ張り出して、
見てみようかなあと思います。
(いや、最近はyou tube で検索すればすぐに見られるかな?!)
いずれにしても、
津田投手、
おめでとうございます。
野球殿堂とは、
忘れていた記憶を思い起こさせてくれる1年に1度の機会、
かも知れませんね。
また東京ドームにある、
【野球殿堂博物館】に、
足を運びたくなってしまいました。
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