◇もっとも印象に残った球児
41.香川
河地 良一 投手 高松商 1977年 夏 1978年 春夏
甲子園での戦績
77年 夏 1回戦 ● 2-6 東邦(愛知)
78年春 1回戦 〇 3-0 浪商(大阪)
2回戦 ● 3-5 東北(宮城)
夏 1回戦 ● 0-1 仙台育英(宮城)
香川県と言えば、
野球界に多大な貢献のあった人物を多数輩出した野球とはなじみの深い県です。
【野球王国】と言われた四国の中でも、
とりわけ高校野球、プロ野球共に盛んだった県ですね。
ちなみに香川出身の【伝説の人物】は、
かの水原、三原のご両人。
プロ野球界に並ぶものがない名将と言われたお二人は、
いずれも香川県の出身です。
そして『怪童』中西太も高松の出身。
そういった戦前からの名選手を多数輩出していることを考えると、
最近の低迷ぶりには寂しさを感じざるを得ません。
ワタシがここで紹介している『名選手』と言っても、
高々40~45年前後の歴史を振り返っているぐらいですので、
【音に聞こえた】昔の名選手が扱えないのが、
少しさびしいところです。
さて、
そんな香川県は、
ワタシの知っている限りにおいて甲子園で優勝したのはセンバツでの1度きり。
それも、観音寺中央高校が【突然変異的】にその年を駆け抜けていった時のみでした。
その観音寺中央が優勝した時の土井投手などは、
震災直後の大会だっただけに思い出に残ってはいますが、
気持ちを揺り動かされた選手としては、
名門・高松商のエースで2年生から登板し、
最後の夏には延長17回の激闘の末敗れ去った、
河地投手です。
時代は香川県に、
尽誠学園が登場してくる前夜のことです。
香川県は長い事、隣県の甲子園最高勝率県である愛媛県と2県で1校の甲子園出場を争う『北四国』というカテゴリーに属し、
毎年ぎりぎりの戦いを繰り広げていましたが、
どうにも相手が強すぎてやや分が悪かった。
そんな中で、
愛媛の松山商とバトルを繰り広げていたのが名門の高松商。
【四国四商】
のひとつです。
選手権では第2回大会から出場し、
選抜では何と第1回の優勝校であるこの【超名門】の高松商。
当時、この高松商と松山商が甲子園のイスをかけて争っていたなんて、
なんとレベルの高い、いやもったいない話でしょう。
しかしワタシは、
高松商の全盛期を知りません。
ワタシが注目して観だしてからの高松商、
昭和50年代の初頭には、
松商学園と並んで『毎年出てくるものの、出ると負け』の状態が続いていました。
夏の選手権では昭和51年から55年まで、
5年連続出場で、5年連続の初戦敗退でした。
ちなみに松商学園もその時期、
昭和50年から55年までの6年連続出場、6年連続初戦敗退という厳しい戦いでしたね。
しかしその内容では、
高松商は51年が延長14回、53年が延長17回、54年が延長13回と、
いずれもギリギリの勝負を戦ったうえでの敗戦でした。
そのためこの頃の高松商のイメージとしては、
決して『簡単に出ると負け』というチームではないというものでした。
そのあたりに『野球王国』四国の代表という矜持を感じることが出来ましたけどね。
そんなさ中の昭和52年、
河地は2年生エースとして甲子園に登場。
初戦はあの『バンビ・坂本』
相手エースが1年生ということで、
高松商ナインが『今年は行ける』と思ったかは定かでありませんが、
試合は一方的な展開での敗戦。
見事バンビ・坂本に甲子園デビューを果たさせる引き立て役に甘んじてしまいました。
その悔しさを持って臨んだ翌春のセンバツ。
河地は『注目のエース』として甲子園に帰還。
初戦はあの牛島-香川擁する浪商。
後に甲子園を席巻するこのバッテリー2年生時の、
これまた甲子園デビュー戦でした。
この試合での河地、
自分のポテンシャルをいかんなく発揮して浪商打線を完封。
高松商に久しぶりの甲子園勝利をもたらしました。
2回戦は東北の剛腕・薄木との投げ合いでしたが、
河地はなんだかわからないうちに得点を重ねられ、
3-5と一敗地にまみれてしまいます。
そして臨んだ最後の夏。
河地は予選の段階からかなり注目を浴びていましたが、
その重圧をはねのけ3季連続での甲子園へ。
その最後の甲子園での初戦は、
選抜で敗れた東北・薄木を県予選で破ってきた仙台育英の大久保投手。
がっしりした体から重い速球をビシビシ投げ込む剛腕で、
県大会を無失点に抑えての甲子園登場でした。
『剛腕対決』
ともてはやされ、
甲子園前半のハイライトとまで言われた対決。
投げ合いが始まると、
同じ右腕の本格派ながら、
球速と重さで勝負する大久保に対し、
河地はキレと制球の良さで対抗。
違ったタイプの剛腕対決に、
球場に駆け付けたファンは沸き、そして酔いました。
0-0のまま延長に入ったこの対決。
いつ果てるともしれない投げ合いは、
あの三沢-松山商以来の引き分け再試合を予感しながら、
延長17回へ。
後攻めの仙台育英は、
延長に入ってからじわじわと河地を攻め続けていましたが、
17回についに1死満塁のチャンスを作ります。
そして河地が投げたストレートが、
相手のヘルメットを直撃!
なんともあっけなく、
この激闘は幕を閉じたのでした。
試合後の泣きじゃくる河地投手の様子と、
後日発売された『アサヒグラフ』での頭に当たった瞬間の写真、
今でも鮮明に思い出せます。
この時河地の後ろで守っていた堤選手。
2年生でしたが、
翌年も春夏連続出場を果たし、
当時としては本当に珍しい【5季連続甲子園出場】を成し遂げた選手でした。
当時はベンチ入り選手も14人の時代。
1年生からベンチ入りすることなんて、
ほとんどできない時代だったので彼の記録は輝いて見えました。
しかし彼は、
選手権の3年間で白星を挙げることが出来ず、
そのことが本当に心残りだということを新聞の紙面にコメントで語っていたことを思い出します。
高松商にとって【不遇】の時代と言われたこの頃。
でも、
毎年甲子園に出るなんて並じゃない実力を持っていたチームでした。
その後有力選手が分散したことや、
県内に関西からの留学生を大量に集めてチーム作りをした尽誠学園に押され始め、
ライバルだった丸亀商(現・丸亀城西)とともに、
高校野球の表舞台から姿を消して久しい状態になっています。
いつか華麗なる復活を遂げ、
またあの黄金期が訪れること、
選手やOB,学校関係者だけでなく、
香川県民は楽しみに待っていることでしょう。
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