高校野球の季節といえば8月。
第96回全国高校野球選手権大会も、
いよいよ9日に始まります。
代表校の甲子園練習も始まりましたが、
心配なのは天候ですね。
甲子園練習が球場(屋外)でできなくなってしまうという以上に、
何やら週間天気予報によると、
8日の夜に大型の台風11号は四国・九州あたりから日本に上陸しそうですね。
そうなると、
9日に開幕を迎える甲子園にも影響を及ぼすのは必至。
ひょっとしたら、
『初日から雨で順延』
なんていうこともあるかもしれませんね。
まあ、
心配してもしょうがないので、
『予習』でもしながら、
心静かに開幕を待ちたいと思います。
ところで、
この96回目を迎える【夏の甲子園】。
ワタシは52回大会ぐらいから見ている(記憶がある)ので、
45回目の夏ということになりますが、
その位の『歴史』の中でも、
大きく変容していくものがいくつもありますね。
ざっと思いつくだけでも、
ベンチ入りの人数【14人⇒18人】
タイムの取り方【監督が選手をベンチに呼んで指示を与える⇒伝令を送る⇒回数制限(1試合3回)】
延長戦 【18回打ち切り再試合⇒15回打ち切り再試合】
グラウンド整備【試合前のみ⇒5回終了後】
抽選方法 【①地域 ;オールフリー ⇒ 東西対決 ⇒ フリー(東京・北海道は初戦対決なし)】
【②カード; 試合ごとに抽選 ⇒ ベスト8まで最初の抽選で決める ⇒ 試合ごと抽選(日程ごとのくくりあり)】
などが変わってきていますね。
お~それから、今は初戦2回に行われている、両校の校歌が流れるなんていうのも、昔はありませんでした。
校歌っていうのは、あくまでも『勝たなきゃ、甲子園には流れない』ものでした。
もちろん、
ラッキーゾーンの撤廃による、
球場の広さの大きな変化なんていうのもあります。
そういえば、
スコアボードも昔は『手書き』でしたね。
(雨中の試合では、その手書きのペンキが徐々に雨で落ちてきて、雨が強まってグラウンドに水が溜まりだすということと相まって、なんだか【激闘感】が増すということもありましたね。)
ざっと見ただけでも、
一見変化がないように見えて、
時代とともに変わってきているんですよね、甲子園大会。
昔より『連帯責任』が厳格にとられるということもなくなったし、
時代に即して『改良』されてきていると思いますし、
運営もかなりスマートになってきているように感じます。
そしてその夏の甲子園大会。
報道のされ方も、
徐々に変わって来つつありますね。
元より『夏の風物詩』として、
NHKと朝日新聞がこれでもか!!と力を入れて報じる甲子園。
ワタシの主観ではありますが、
昭和の時代は『故郷の代表校』というものがすごくクローズアップされていたと思います。
時代背景もあるでしょう。
汽車、列車に乗って遠く故郷を離れて都会に出てきて仕事をしている人が社会に多くいた昭和の時代は、
高校野球の季節に画面を見ながらその故郷に思いをはせる人が多かったのだと思います。
しかもそんなに娯楽が今ほどない時代。
選手達はほとんどが地元出身者で、
近隣の野球がうまい子を集めて作られたチーム。
そりゃあ、
応援したくもなりますね。
『夏の甲子園で自分の故郷のチームを見て、その故郷の懐かしいにおいを嗅ぐ』
そのあたりが、
ワタシは『高校野球は日本の文化だ』と言いたいところなんです。
しかしあまりの人気ぶりに、
高校野球は徐々に形を変えてきましたね。
昭和40年代までは、
結構聞く方の記者も、聞かれる方の選手たちも、
本当に『本音』でインタビューに喋ったりしていて、
その頃の本とか録音などを聞くと、
面白いものがあります。
曰く、
勝った方のピッチャーが、
『最初から勝つと思っていました。地区のレベルからして、うちが負けるはずないと・・・・・』
とかいってみたり、
『あの審判の判定にはまいりましたよ』
なんてグチってみたりは日常茶飯事・・・・・。
『うちほど打つチームとやったことはないでしょうから・・・』
とか監督が言ってみたり、
原辰徳氏(巨人監督)がインタビュー台で、
『女の子と遊ぶためにここに来てるんじゃない』
と言い放ってみたり。
面白い『語録』がいくらでも出てくる時代でした。
本音が透けて見えて、おもしろかったですね。
聞く方の記者も、
今から思えば『高校生である選手に、こんなこと聞くの?』
なんてことが多くて、
面白かったです。
それが徐々に言う方も聞く方も、
取り繕って本音で話さなくなってきています。
最近の選手たちはなんだかみんな『インタビュー慣れ』していて、
『品行方正で、世間の高感度が高い』
受け答えが多くなっている気がして、
見ていてなんだか『ハラハラ、ドキドキ』感がなくなっちゃっている気がします。
余談ですが、
一昨年夏の桐光・松井投手。
まだまだ世間に名前が出てきていない頃で、
全くインタビュー慣れしていませんでした。
大会中、試合後TVKにインタビューされると、
嬉しそ~な顔をして、
必ず最後カメラ目線で、
しかも恥ずかしそうに答えていましたっけ。
あのころのインタビュー映像、
また見てみたいなあ。。。。
初々しい受け答えでした。
世間に注目されだしてからの、
ソツのない答え方とは対極を行く、
思わず『なんだかいいな~~』という感想を多くの人が抱くであろう、
”若き日”の松井クンでした。
おっと話を戻します。
昭和50年代。
甲子園の『熱狂ぶり』がピークを迎えた頃、
その報道ぶりも、
『好選手、チームを追う』
というものから、
『アイドル路線』
というものに変容していったように思われます。
いつの時代も世間のヒーローに対するあこがれは大きいのですが、
高校野球も、
ヒーロー、アイドルの出現を心待ちにしている雰囲気がありました。
その中でバンビ坂本(東邦)がまず登場。
そしてより実力を持った、荒木大輔がすぐさまその後を継ぎ、
その後は池田高校狂想曲で水野、江上といった『山から来た大将』が追っかけまわされて、
その彼らを破った桑田、清原のPL・KKコンビにとどめを刺すといった具合です。
彼らの各々を追って、
テレビ局はドキュメンタリーばやり。
彼らの日常生活から強さの秘密などが、
毎夏いくつも放送されるに至りました。
いくつもの雑誌でも、
特集が組まれて、
彼らのことがとことん取り上げられましたね。
高校野球雑誌はもちろんのこと、
セブンティーンなどのいわゆる”女の子向けアイドル雑誌”に取り上げられることが、
その頃の一種の『ステータス』的になっている気もしました。
しかし登場人物は、
『あくまで本人たち』のみ。
荒木、水野、江上、清原、桑田・・・・・・・
凄い面々でしたが、
登場するのは
彼らの『いま』であり『未来』でしたね。
その後90年代、
一時期高校野球はその存在感を大きく失っていく時期がありました。
Jリーグが開幕して、
『猫も杓子もサッカー』
の時代が到来。
高校野球は、
なんだか『2番人気』にその存在を落としたように世間からの注目度が低くなり、
≪注目の選手≫である松井秀喜なども、
そのバッティングでよりも『5打席連続敬遠』の『社会的事件』として取り上げられたにとどまりました。
その頃、
山際淳司氏が先鞭をつけた『スポーツノンフィクション』の分野でも、
高校野球が取り上げられることは『稀』と言ってもいい時代が続いたと思います。
その状況を救ったのは、
98年の横浜高校を頂点とする『激闘に次ぐ激闘』の大会でしたね。
あの大会で再び、
『高校野球って、なんて面白いんだ』
ということが世間に再び認知されていったんだと思います。
そしてその大会は、
松坂大輔という【ニューヒーロー】を生み出しました。
そして高校野球の報道のされ方も、
一気に変革を遂げて来たと認識しています。
『松坂とは・・・・横浜高校とは・・・・・そしてあのPL戦とは』
世間の興味に呼応するように、
彼らの”インサイドストーリー”が語られるようになりましたね。
『横浜高校vsPL学園』
というNHK制作のドキュメンタリーがあり、単行本も刊行され、
一気にその報道のされ方は『これまで知らなかった、チーム作りとか戦術とか』
がもてはやされるようになってきました。
そして新世紀。
この世紀のキーワードは『少子化』。
そして『親世代』。
そして『親子の結びつきの強さ』。
この頃になると、
昔の様に『子供のころは原っぱで野球をやって、地元の中学から野球を本格的に始めて、うまかったから高校の名門校にいき・・・・』
という”昭和の黄金ルート”はすっかり影を潜めて、
下のようなルートをたどって選手が作り出されるようになりました。
親父が野球をやっていた(もしくは大好きだった)から息子にも野球をやらせ・・・・・、
早くから野球のクラブ(硬式など)に入れて野球を覚えさせ。。。。
というルートです。
『オヤジ』は昭和20年代後半~40年代前半生まれ、
”既に豊かになりかけていた”世の中で野球をやってきた世代で、
90年代の『クラブチームのピラミッドの中で選手を育てていく』というJリーグのシステムを間近に見ることで、
『自分の息子を一流の野球選手にするには、早くから育成をしなきゃダメだ』
というのを植え付けられ、
しかも『イチローとチチローの成功体験』が繰り返し語られる中で、
『やっぱりオヤジの情熱こそが息子を成長させる源だ』
ということを植え付けられてしまったと言えるかもしれませんね。
まあそれ以上に、
『オレも関わりて~』
というのが一番だったかもしれませんが。
そのあたりから、
高校野球でもなんだか、
『父母会』
がやたらどの学校でも作られて、
夏の大会のスタンドの風景なんかも一変してきました。
今では、
野球部員や応援の生徒とは違った”そろいの”Tシャツと帽子に身を包み、
声を枯らしてスタンドから応援を繰り広げる『オトナの軍団』の一角が、
ほとんどの学校の応援にもありますよねえ。
『高校卒業まで、息子の野球にどっぷりと付き合う』
という親世代が、
大量にスタンドに陣取っているということです。
指導者や高校側も、
今までの『あくまでも学校の中での活動』という面だけではなく、
『親の存在も無視できない』という側面にも気を使い、
その考え方もシフトせざるを得なくなったんだと考えています。
アメリカのリトルリーグの試合やカレッジスポーツの試合なんかでも、
常に選手の親がスタンドに陣取って・・・・・という光景を見ることは出来ますが、
すべての選手の親が一団となって、
同じコスチュームで応援している・・・・・・・
という風景は、
日本だけのことではないでしょうかね。
まあ、それこそが日本の文化なのかもしれませんね。
ワタシ自身も含めてなんですけと、
彼らにいちばんグッとくるキーワードは、
【親子鷹】
なんじゃないかと、
思ったりしているんですけどね。
そしてそれに伴って、
高校野球の報道のされ方も、
明らかに変わってきました。
『涙もの』
のインサイドストーリーが、
毎夏毎夏、
これでもかというくらい出てきます。
『よくぞまあ、こんなストーリーまで掘り出してきたね』
と感心しちゃうぐらい。
そんなここ数年の流れの中で今年の『甲子園への道』を見ていて思ったんですけど、
予選で敗れ甲子園への道を閉ざされた時、
そのグラウンドでまず親に対して、
チームのキャプテンなんかが≪ありがとう≫という様な感謝の言葉を述べ、
それを親が涙ながらに(写メを取りながら)聞いている姿、
多くありませんでしたかね?
これを見ているとワタシ、
ど~~~しても、
なんとな~~~く違和感を感じてしまうんですよね~~~。
特にそういったことを、
ことさら感動仕立てに仕上げるテレビ局や新聞報道などの手法に。
見ていて、
『安易な感動仕立てのバラエティ番組作り』
の匂いがどうしても拭えないんですよね~。
『硬派に作れよ』
というつもりはこれっぽっちもありませんが、
何だかスポーツの実況とか番組とかに、
ものすごいバラエティ色が濃くなってきちゃっているのが、
なんともなあ。。。。。
そういう意味では、
淡々とグラウンドを見せ続けるNHKの番組作りは、
【スポーツ番組の王道】
を行っている気がするんですがね。
そして各学校も、
なんでそんなことを、
球場でやるんだろう。。。。。。
親や父母会に対する感謝については、
自らの学校で、
しっかりと別に機会を設けてやってほしいなあと思いますね。
(まあ、そういう機会も各校とも実際は設けていて、知らないだけなのかもしれませんが)
球場でやると、
やっぱりマスコミがそれをことさら取り上げて十把一絡げに感動仕立てにして・・・・・といういじられ方になるのは目に見えていますからね。
『言わぬが花』
という言葉がありますが、
こういった関係者にとっての感動のシーンは、
『見せぬが花』
だと思うんですが、どうでしょうね?
それから、
個人的に言えば、
『高校野球大好き芸人』がたくさん出てきてあーだこーだとやっていますが、
ひとこと言わせてもらえれば、
『どうか、話を盛ることだけはやめてね!』。
かつてメジャーとかNBAとか(海外サッカーも)、
本当に『話を盛られて』いるというシーンを多々目撃していますので、
それだけはご勘弁を。
(”定番”で出てくるSさんの盛り方、凄いもんね。)
事実をしっかりと紹介してください。
話盛らなくたって、
十分に面白いですから、高校野球って。
ということをつらつら書きましたが、
『日本の文化』としての夏の甲子園大会。
今年もしっかりと、
見ていきたいなあと思ってワクワクしているところです。