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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

選抜出場校  こんなこと思い出しました (その8)

2016年02月19日 | 高校野球

思いつくまま、気の向くままの連載記事。
第8回『四国編』です。

高校野球の世界での四国勢に、
特にシンパシーを感じ続けている≪四国フリーク≫のワタシ。
力はいってます。。



≪選抜出場校 思い出編8≫


四国代表  高松商(香川)     26度目(20年ぶり)
                            夏19度出場  甲子園通算54勝40敗  優勝4回 準優勝2回

このセンバツ高校野球大会の輝ける第1回優勝校が、20年ぶりに甲子園の舞台に帰ってきました。しかも『秋全国制覇』の称号を引っ提げて。四国の高校野球と言えば、古くから【四国四商】を抜きには語れません。この高松商をはじめとして、松山商、徳島商、高知商。それぞれが高校野球界に確かな足跡を残し、全国制覇の経験もあるこの四校。(徳島商は、”幻の甲子園”での制覇があります。)ワタシが高校野球に興味を持ち始めた昭和40年代。四国四商は『かつての栄光』からはやや力を落とし新興勢力に押される状況でしたが、それでも何度も甲子園までコマを進めていましたので、それぞれのチームに深い思い出があります。高知商は昭和50・60年代がピークでしたし、松山商も昭和61年の準優勝や平成8年の優勝など、栄光を重ねました。徳島商は昭和50・60年代の池田時代を経て、平成に入りまた息を吹き返して何度も甲子園に出場し、いい戦いぶりを見せてくれました。そんな中、四商の中で最も伝統がある高松商は、ワタシの目に触れる中で印象に残ったのはほんのわずか。ワタシの中では『出ると負け』のチームという印象があります。ワタシが最も甲子園に熱い思いを抱いていた昭和50年代、高松商はまさに『毎年甲子園に出てくるチーム』でした。しかしワタシの印象は『甲子園では弱い』チーム。あの時代の”強い四国”にあって、地方大会ではいつもあれだけの実績を残しながら、なぜ甲子園ではあんなにすぐにころりとやられるのだろうということを、不思議に思っていました。同じ四国四商の高知商や池田、同じ香川の丸亀商や尽誠学園などがしっかりと甲子園で実績を残す中、高松商の『大舞台での弱さ』はなぜか際立っていた気がします。この当時、高松商と松商学園、両名門校は毎年のように甲子園に出ながら初戦敗退を続けていたので、ワタシの中では『マツのつくチームは、ダメだなあ』ということがなんだか、刷り込まれています。記録をひもとくと、昭和50年代、高松商は何と10回も甲子園に出場。要するに毎年春か夏のどちらかは、甲子園に来ていたということですね。その中で初戦を突破したのはわずかに3度(4勝)。後の7回は初戦敗退でした。その苦しい時代に光を放ったのが、77・78年のエース、河地投手でした。真っ向勝負のこの右の本格派は、78年センバツでは浪商の牛島投手(元中日)と投げ合って完封勝ち、夏は仙台育英の大久保投手(元広島)と延長17回の球史に残る投手戦を展開しました。最後はサヨナラデッドボールという悲運の終幕でしたが、『高松商・河地』の名は、深く高校野球ファンに刻まれましたね。その77年から79年までの3年間、戦後初めて甲子園に皆勤した、堤選手という好選手もいましたね。何しろこの時代、5季連続甲子園出場なんて夢のまた夢で、しかも全部にベンチ入りするなんて、これまた夢の様な話でした。特に甲子園のベンチ入りが14人という時代だったので、この堤選手は『日本一幸せな選手』として話題を集めました。しかしその後は、80~82年に早実の荒木大輔や小沢が1年から皆勤して、5季連続出場選手は珍しくなくなりましたし、PLのKKコンビはあまりにも有名です。最近では『1年生の即戦力選手』が目白押しなので、5季連続出場も珍しくなくなりました。さて、高松商は平成時代に入ってからはまったく振るわなくなり、甲子園からは遠ざかってしまいましたね。かつて栄華を誇った『公立商業高校の野球』が新興勢力に押されて、なかなか厳しくなってきたのと足並みをそろえて・・・・・という感じです。90年センバツ、96年春夏に出場がありますが、特に目立った成績も残せず、近年は20年も甲子園から縁遠くなっていました。その間、四国四商が勝てなくなってきたと同時に、四国の野球自体も全国の高校野球の中で、光を放てなくなってきています。香川勢は特にそれが顕著で、00年代に入ってからは、夏は何と16年間で4勝しかしていません。勝率.200という寂しさです。選抜では02年以来13年も勝利なし。野球好きが多い事でも知られる香川県の高校野球ファンは、怒っているのではないでしょうかね。そして、この名門高松商の復活を、心待ちにしていたのではないでしょうか。今年のチームは秋の明治神宮大会で、”選抜の2強”と言われる大阪桐蔭と敦賀気比を連破して優勝。『強い高商』が、半世紀ぶりに復活する機運は高まっています。さて、今年のセンバツ。高松商がどんな戦いを見せるのか、注目度はMAXです。





四国代表   明徳義塾(高知)    16度目(2年ぶり)
                             夏17度出場 甲子園通算 53勝31敗  優勝1回  

高校野球ファンにはおなじみの明徳義塾。良しにつけ悪しきにつけ、本当に話題になるチームですね。『何もない』須崎半島の山の中にでんと校舎を構え、まさに『虎の穴』のようにスポーツ選手を鍛え上げる、特徴を持ち筋の通った学校です。野球のみならず、ゴルフ、相撲、サッカーなどなど、有名スポーツ選手の輩出は引きも切らず、『こんな田舎から、こんなすごい選手が』と驚きを持って、世間からは見られています。高校野球の世界でこの明徳の名を初めて耳にしたのは1979年(昭和54年)。それまで3強(高知商・高知・土佐)が覇権を独占していた高知の高校野球界に、『何やら新興の私立で、野球にえらい力を入れる学校ができるらしい』との噂が。それが明徳でした。初代監督に高知商の監督などを歴任した老将・松田監督を据え、素晴らしいグラウンドと全寮制の施設を兼ね備えた『本気で甲子園を狙うチーム作り』が話題になりました。翌80年、春の選抜で中西投手を擁する高知商が悲願の全国制覇を達成。高知はまさに『高知商の時代』が到来していましたが、この『最も強かった高知商』に果敢に挑んでいったのが明徳でした。のちにプロ入りする河野(元日ハム・巨人)をエースに、4番には横田(元ロッテ)を据えた『自称実力全国一』のチームは、高知商を土俵際寸前まで追い込んで、まざまざとその力を見せつけたものでした。そして57年春には初めての甲子園へ。これが明徳の甲子園デビューなのですが、その時がまたすごかった。前年の明治神宮大会で早実を力で破って見せて初出場ながら優勝候補の一角に堂々と名を連ねていた明徳。初戦では瀬田工(滋賀)を難なく退け、2回戦で”優勝候補筆頭”の箕島と対戦しました。この勝負が延長14回の逆転に次ぐ逆転の、『選抜名勝負』のひとつに数えられる激闘。明徳はこの試合で、松田監督の試合後の『武蔵が小次郎に敗れたわい』という名言とともに、甲子園のファンに『明徳強し』を印象付けたのでした。翌58年センバツでは、準決勝で夏春連覇を狙う【最強池田】に堂々と挑んで、8回までリードという試合を繰り広げました。最後は逆転負けしましたが、『明徳はさすがに高知でもまれた強豪だ』と、誰もが思ったものでした。ちなみにこの時期の蔦監督率いる【最強池田】も、明徳のことは大の苦手。蔦監督をして、『1県1代表になっていて本当によかった。もし昔みたいに、高知と南四国大会をやらなければならなかったら、明徳がいるけん、甲子園にも出れんかもしれん』
と言わしめるほど、あの池田にとっても、明徳は手ごわい存在でした。そこからしばらくの『昭和時代』の明徳が第1期だとすると、馬渕監督の『平成時代』
が第2期ですね。厳密にいうと、甲子園の試合直前に出場を辞退した05年までが第2期、そこからの苦難を経て現在までが第3期だと思いますね。
第2期の始まりは、物議をかもした星稜・松井の5打席連続敬遠という『負の遺産』を背負っての船出でしたが、その後はほとんど高知県で『明徳1強』の時代を築き、98年からは夏の選手権に7年連続出場という偉業も成し遂げました。(当時戦後最長の連続出場記録)その間、02年には悲願の全国制覇も達成。『明徳義塾』という名前は、高校球界の1大ブランドとして、君臨していきましたね。昨夏ついに止まったものの、【初戦勝利】の記録をずっと続けたのは、本当にすごいことです。何しろ、32度も甲子園に出場して、初戦で敗れたのがたったの3度。ものすごい記録です。しかし、それだけ初戦を勝ち上がりながら、まだ決勝には1度しか進出できていないというところに、明徳の隠れた『弱み』の部分がありますね。データを元に、試合を完ぺきなまでに組み立てられる初戦には無類の強さを発揮するものの、どんどん違う相手が出てくる上位まで勝ち進み、その試合を勝ちきるというたくましさを持ったチームが、なかなか出来上がっていないようにも見えます。そのあたりの課題に、ベテランの域に入ってきた馬渕監督、どんな答えを出していくのでしょうか。いよいよあの若かった馬渕監督も還暦を迎え、明徳の≪第3期黄金時代≫を築くのか?注目されます。




四国代表   土佐(高知)      8度目(3年ぶり)
                             夏4度出場 甲子園通算 15勝11敗  準優勝2回   

さて、土佐高校です。
土佐高校は、ワタシの『高校野球大好きランキング』のビッグ3を、
池田、上尾と形成する、特別な響きを持った学校ですね。

ご多分に漏れず、
最近は甲子園にはとんとご無沙汰で、3年前に1度、21世紀枠で選抜に出場したのみ。
その時も、『あの土佐に21世紀枠なんて、失礼だろ~が!』と思ったという記憶もあります。
その時に思いの丈を記事にしていますので、ここではあまり、触れないこととします。

当時の記事⇒
http://blog.goo.ne.jp/angeldad/e/4962223363ee31ab2cb1046de676e792

ワタシが物心つき始めた当時から、『文武両道を実践している』ということのみならず、グラウンドでのマナー、特に『全力疾走の土佐』と言われるように、きびきびとしたグラウンドでの振る舞いや、いわゆる『弱者の戦法』を駆使して大きな相手に果敢に挑みかかるチームカラーなど、土佐と言えば『いいチーム』の代名詞でした。やられてもやられても、その戦い方を変えず、常に『ジャイアントキリング』を狙っているその姿勢で、今年のセンバツをついに掴み取りましたね。昨秋の四国大会。徳島の城南、香川の小豆島を1点差で下し、明徳義塾とも延長にもつれ込む大接戦を演じた戦いぶりこそ、土佐野球の真骨頂だと思います。ぜひ甲子園の大舞台でも、あの純白の伝統のユニフォームで、甲子園狭しと暴れまわってほしいと思っています。昨春、松山東が選抜で見事な戦いぶりを見せましたが、あの戦いが、ワタシの脳裏で何回も反芻されています。『土佐も小豆島も、あの松山東の戦いぶりで、暴れまわってほしい』それこそが、『野球王国・四国』の復活が高らかに宣言されることだと思うんですね。
がんばれ、土佐高校。

(つづく)


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