最も印象に残った球児
10.栃木
江川 卓 投手 作新学院 1973年 春 夏
甲子園での戦績
83年春 1回戦 〇 2-0 北陽(大阪)
2回戦 〇 8-0 小倉南(福岡)
準々決勝 〇 3-0 今治西(愛媛)
準決勝 ● 1-2 広島商(広島)
夏 1回戦 〇 2-1 柳川(福岡)
2回戦 ● 0-1 銚子商(千葉)
6試合4勝2敗。
戦績はたったこれだけ。
記憶に残る数多の高校球児を前に、
なんてことのない平凡な数字・・・・・・
これが『怪物・江川』が甲子園で残したすべての数字です。
しかしこの江川、
高校野球の長い歴史を語るとき、
必ずと言っていいほどその名前が登場する選手です。
しかも、
高校野球の話題の中心として。
『江川基準』
江川が出現した後、
よく言われた言葉でした。
要するに、
いいピッチャーを評価する基準として、
『江川と比較してどうだったか』
ということですね。
江川という選手を語るとき、
ほとんどの人が『あの甲子園の時が、最も輝いていた』と語り、
そこから『江川のピークは高校時代』
と言われるようにもなりました。
本当の投手としてのピークをどこにするかということを別にすれば、
『球速』や『迫力』では、
やはり彼は高校時代が【全盛期】といってもいいかもしれません。
それほどセンセーショナルな存在でした。
スピードガンもない時代。
江川の投球がいかに『規格外』だったと言われてもピンと来ないのですが、
県大会などで5試合で被安打3だとか、
ノーヒットノーラン3回だとか、
そんな数字を見せつけられると、
やはり彼の凄さを感じることはできます。
しかし、
ワタシが江川について言いたいのは、
『彼はすごい選手ではあったが、偉大な選手ではなかった』
ということですかね。
それは、
高校時代のみならず、
大学時代やプロに入ってからの彼を含めても、
そういうことが言えるのではないかと思っています。
彼こそは、
『それまでとは違う、新時代の野球選手』
だった気がします。
どこか冷めていて、
持っているすべてを出そうとしない選手。
それがワタシの彼に対する評価です。
悲劇性を持って語られる最後の夏の雨中の押し出し四球。
その寸前に、
ばらばらだったチームが一つにまとまった・・・・・。
そしてみんなから託された彼の一番いいボールを投げ込んでの敗戦だっただけに、
まったく悔いはない。
これが『江川物語』で語られる彼の高校時代の姿ですが、
ワタシは彼が常に全力でチームの先頭に立つような選手であったなら、
ああいう状況にはなっていなかったのではなかったかと思ってしまうのです。
チーム全体がしらけて江川の存在を遠巻きに見ていて、
作新は名門でありながら江川が投げて打って・・・・・という試合でなければ勝てなくなっていたのは、
色々なチーム状況が常に”逆回転”してしまったからに他ならないでしょう。
江川が、
桑田のようなチームの誰もが認めるような努力を惜しまない選手であれば・・・・・。
また、松坂のようなチームの中心で、チームメートが”助けてやらなきゃ”というようなキャラクターであったなら・・・・・。
江川の作新学院は、
春夏連覇をしていたことでしょう。
しかしそうはならなかったところに、
高校野球の歴史の奥深さを感じることもできようというものです。
今も昔も、
『アンチヒーロー』的な雰囲気を醸し出しながら、
決して『アウトロー』にはなれない江川卓という人に、
プロ野球から監督もコーチも、
50をとうにぎたこの時になっても、
な~んのお誘いもないのが、
世間の【江川卓】への評価なんじゃないでしょうかね。
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