高校野球のシーズンといえば、
やっている選手の目線で言えば、
7月(8月)の新チーム結成が1年の始まり。
そして新人大会ともいえる秋季大会を経て、
冬場に鍛えて春を待つ。
春の対外試合解禁とともに春季大会が始まり、
夏の選手権大会で1年を締めくくる。
こんな感じで進んでいきますね。
シーズンとは7月(8月)~翌年7月(8月)まで。 *カッコ内は、全国大会進出チーム。
選手達は、
高校野球で過ごせるのはわずか2シーズン+α。
+αとは1年生の入学時から夏の終わりまで。
この最初のチームで過ごせる時間はわずかに4か月程度。
こう見てみると、
本当に選手でいられる時間というのは短いものです。
そんな高校野球ですが、
昨今この高校野球を取り巻く環境というのは激変しています。
特に近年は、
『ピッチャーが常軌を逸するほどに投げすぎている』
ということが言われだしているように感じます。
この議論、
実はワタシが高校野球を見始めた45年前ぐらいからすでに、
ピッチャーの『投げすぎ』による故障の問題は提起されていましたが、
高野連や主催者などはこの問題を『先送り』して、
真剣に取り上げて討議するという土壌がないまま長い年月が経ってしまったように思われます。
古くは昭和40年代後半から50年代前半にかけて、
まだまだ『根性で投げろ』ということがまかり通っていた時代には、
プロ注目の投手が、
期待されてプロに入団すると、
既に高校時代の『投げすぎ』でひじや肩がかなりボロボロになっていたというのことが、
よくありました。
ワタシの子供時代には、
高校時代にあれほどすごかった永川(横浜)、土屋(銚子商)、工藤(土浦日大)、
そしてサッシ-酒井(長崎海星)などの剛腕投手が、
そろってプロの壁にぶち当たってもがき苦しみ、
そしていつの間にか消えていってしまうことを、
不思議に思ったことがあります。
彼らが巷間言われていたことは、
『やはり高校時代の投げえ過ぎで、プロ入りの時点ではすでに故障を抱えていたのだろう』
ということ。
後年になって、
土屋氏、酒井氏などからは、
そのような当時の実情が『遠い昔の裏話』的に語られていたのを見て、
『やっぱりそうだったんだなあ』
なんて思うことも多かったように記憶しています。
世の中が昭和から平成に移り変わるころ、
日本でもMLBの放送がよくされるようになってから、
アメリカの投手に対する考え方が結構一般的に語られるようになりました。
曰く『肩は消耗品で、投げすぎると必ず故障する』ということ。
そういった要因とは別に、
気候の激変も昭和⇒平成の大きな変化でした。
昭和の時代には、
『真夏でも最高気温が30度を超えれば暑い』と言われていたものですが、
平成の世の中では、
36度とか37度とかの最高気温が、
夏の”当たり前の気温”になってきました。
体感では平均気温は5度ぐらいは上がっているのではないかと感じることが多いですね。
『熱中症』
という言葉も一般的になって、
『部屋の中にいても熱中症で命に危険が及ぶ事象もある』
暑い時代となってきました。
最近思うんですけど、
『日本も、夏の暑い時期に屋外スポーツをやる国じゃなくなっちゃったなあ』
ということ。
要するに、
『昔とは全く違う条件の中で行われている』
のが今の高校野球ということです。
(もちろん、高校野球に限ったことではありませんが)
そして情報が一瞬にして世界を駆け巡る時代の中、
ある意味前近代的に投手に連投を強いる『高校野球』というシステムは何なのだ・・・・・・・・
ということが、
遠く海の向こうの『野球が国技』でもあるアメリカから言われるようになってきました。
高校生の野球というのが完全にマイナーな競技のカテゴリーに入り、
『高校チームの野球を見て、どこが面白いの?』
という感覚のアメリカの野球好きにとっては、
日本の【高校野球】というものに対して全く理解不能の代物で、
それゆえに『連投で肩やひじを壊す』なんていうことはまさに理解不能、
遠い東の島国でまた不可解なことが起こっている・・・・・・
ということなんでしょう。
そして、
そういった『異国の異文化』に突き当たると、
彼らお得意の『こうでなければならない』という『グローバルスタンダード』によって、
高校野球も、
『投げすぎを是正しなければならない』
ということになってきたわけです。
日本の『非関税障壁』などと並ぶ【不思議の国の、是正されなければならない事象】に加えられたというわけです。
こっちにしてみたら、
『ほっとけよ、口出すな』
と思うところですけどね。
そして湧き起ってきたのが、
【投手を守る】という大義名分の衣を着た、
『タイブレーク方式』という【黒船】でした。
外圧に弱い体質はまさにニッポンを体現している高野連とA新聞。
そういわれちゃあ黙っている訳にもいかず、
重い腰をついにあげて、
タイブレークに舵を切りそうな気配となってきました。
『タイブレークは国際試合でも採用されていて、今や時代の流れ』
なんていうことを高野連も、そしてそれを報じるマスコミも言いますが、
国際的な流れと言いながらも、
現実にはアメリカメジャーリーグではぜ~ったいに採用される気配はないこのタイブレークという方式。
『ど~でもいい』と考えられがちで、
ほとんどの野球ファンは見もしない国際試合という舞台だけでは採用されていても、
おそらくアメリカ国内ではこの採用が議論されることなんて、
絶対にないでしょう。
アメリカの野球ファンはよ~くわかっているんですよ、
タイブレークがどれほど野球をつまらなくするかってことが。
だからMLBでは、
何回まででも決着のつくまで延長をやり続けるんですよ。
そもそもこのタイブレーク方式、
少年野球や中学野球などでは、
長く採用されているシステムですから、
日本の子供たちにとってはなじみのあるシステムです。
『試合に早期に決着をつける』
システムとしてみた場合、
このタイブレークというシステムは、
なかなか良くできたシステムだと思っています。
ほとんどのケースとして、
ダラダラと試合が長引くということはありません。
しかしながらこのタイブレーク。
野球という競技の本質ということからは大きく逸脱してしまう恐れがあるため、
ワタシ自身は『多くの球児の目指すべき檜舞台』である甲子園大会での採用には反対ですね。
もし採用するのであれば、
現状の延長15回を行った後、
それで決着がつかない場合に『翌日再試合』ということをやめて採用すればいいと思います。
体力的な意味からは、
この方がずっと『翌日再試合』よりはいいのではないでしょうか。
個人的には、
『タイブレーク』を採用するぐらいなら、
『サスペンデッド』(続き試合)を採用する方がよほど『競技としての理』にはかなっていると思いますけどね。
百歩譲っても、
12回ぐらいまでは延長戦を行い、
そこで初めてタイブレークを採用すればよいのではないか・・・・・・
そんな風に考えたりしています。
まずワタシが考えること。
それは、
高校野球の甲子園大会というものが、
長い歴史を積み重ねてきた大会で、
一種日本におけるスポーツ文化の一翼を担ってきたということ。
それゆえ、
決してプロにはなることができない子供たちでも、
『届きそうな夢』である甲子園という檜舞台を目指して高校野球という世界に足を踏み入れてくるのだと思っています。
『甲子園』というのが、
多くの野球少年にとって夢舞台であり、
その甲子園を目指して長きにわたって『競技スポーツとしての野球』をやってきた・・・・
という本質に、
もっと主催者などは立ち返らなければならないのではないか・・・・
と考えたりするのです。
『あの甲子園という舞台に立ちたい』
この夢を、
いったい何人の野球少年から聞いたことでしょう。
『プロ野球選手になりたい』とか『メジャーリーグの選手になりたい』
という夢は、
小学校の低学年の野球少年からは、
よく聞くことがあります。
しかし高学年や中学生になって、
その夢が現実になるかならないかということについてわかってくる年代に差し掛かると、
『プロになる夢』よりも、
『現実の夢』として、
甲子園のひのき舞台でプレーしたいと思う球児の数がぐんと増えてくるように感じています。
毎年15万人以上の球児が『甲子園』を目指して毎日白球を追っているのですから、
1学年に5万人余の『野球少年』がいるわけです。
彼らの中でプロになれる選手は、
昨年の例では高卒ドラフト指名選手は育成を含めても30人余り。
野球でプロになるのは、
本当にごくわずかの選手だけなのです。
30/50,000って、
1,666人にひとり。
全国で4,000校弱が出場するので、
参加130校余りにひとりしか、
プロ野球の選手になれないってことです。
改めて書き出してみると、
とんでもないぐらいのエリートですね。
そんな一握りのエリート選手のために、
制度自体を変えることがあってもいいのかなあ……
というのがワタシの偽らざる心境です。
この大会の為にすべてを投げうってきた数多の選手たちの為に、
彼らが好きな競技の本質を損なわないような、
そんな大会運営を、
本当に強く望んでいます。
もし見直すのであれば、
絶対に『大会日程』を見直すことに着手すべきだと思います。
甲子園大会で言えば、
1・2回戦を行った後に、
3回戦の前に1日休養日、そして準々決勝後にもう1日休養日。
準決勝は1日1試合ずつナイター開催。
もちろん決勝もナイター開催。
これぐらい余裕があれば、
しっかりとした大会となるのではないでしょうか。
『選手のための大会』
というのであれば、
競技の本質を歪めて短縮するのではなく、
しっかりとした休養日を設けて『選手のために』大会を運営していってほしいと思います。
そして地方大会は、
参加校が100チームを超える地方大会と50チーム以下の地方大会の区分けの再編成も、
視野に入れるべきだと思いますがどうでしょうか。
ワタシが考えるのは、
すべての大会を50~100チーム参加の大会にすべきではないかということです。
サッカーのように、
『プロという頂点を設定して、しっかりとしたピラミッドを作っていく』
というコンセプトのもとに発した競技ではないと思いますよ、
日本の野球の世界って。
プロから発想するのが、
すべての競技スポーツではないということ、
このことを『甲子園』は表し続けてくれているのではないか、
なんて思ったりしますけどね。
それだけの大舞台が、
日本のアマチュア野球には存在しているってことなんですよ。
それにそもそも、
延長15回を2,3連戦したところで、
投手以外の野手たちは、
なんてことないって思っているでしょう。
『オレたちゃ、そんなやわな体力じゃねえよ』って。
それに、
大体野球っていう競技は、
9人のうち8人は野手ですからねえ。。。
文化の一翼を担うぐらいの『ひのき舞台』だからこそ、
『みんなが目指す甲子園』であり、
『みんなが注目する甲子園』なんだと思います。
世界広しと言えども、
これだけ注目を浴びて、
熱狂を巻き起こすトーナメント大会って、
なかなかないと思いますよ。
ワタシは夏の甲子園大会は、
『世界最大のアマチュアスポーツの大会』
なのではないかと思ったりもしています。
(まあ、高校野球オヤジの言うことですから、眉に唾つけて・・・・・聞いてくださいね。)
システムを変えるということで言えば、
延長戦を18回から15回に短縮した時は、
一定の理解を示すことが出来ました。
しかしながら、
今回の『タイブレーク』については、
ワタシはこれを採用したとたんに『野球の本質が変わる』と思っているので、
もろ手を挙げて賛成・・・・・というわけにはいきません。
昨年秋~今年にかけて、
何度か高校野球の舞台でも『タイブレーク』を見ました。
明治神宮大会であったり、春季関東大会であったり。
それを見て思った感想は、
『無理矢理に決着をつけさせるシステムだな』
ということ。
それによって、
『納得できない決着』
が増えるのではないかと思っています。
ロースコアの凌ぎあいだった試合が、
タイブレークに突入したとたんに大量点の奪い合いになるなんてこと、
よくあります。
そこまでに行ってきた試合の『流れ』は、
完全に断ち切られてしまうシステムだということです。
タイブレークが採用されると、
『タイブレーク用のピッチャー』なんていうのも出てきそうですよねえ、そのうちに。
タイブレークが増えることによって、
トーナメントの中では『波乱が演出されること』は多くなるかもしれません。
ある意味トーナメントは面白くなるかもしれませんが、
たとえば9回まで一人のランナーも出していなかったピッチャーが、
10回のタイブレークでスクイズ一本で負けてしまう・・・・・・
なんていうことも起こりうるのではないかと思われます。
その時、
それまでの人生のすべてを高校野球に賭けてきたと言ってもいいそのピッチャー、
負けたことに、果たして納得できるのでしょうか??
実力よりもそのシステムに負けた……ように思われてなりません。
本来は出ることのないランナーを機械的に塁に置いてからプレーを始める。
これは非常に野球という競技の本質を損なうことではないかと、
ワタシは考えています。
しかも延長に入った途端にこれをやるということ。
『う~ん、なんだかな~』
と思わざるを得ませんね。
まあ、
今年は【甲子園に直結しない試合】に限定して試験的にやってみるということです。
それならば去年と別に変わったところもないので、
あまり違和感を感じながら見る必要もないかもしれませんがね。
それからPL学園を巡る一連の報道について。
PLについては、
『特殊な野球学校』と言えばその通りですが、
あまりにもたくさんの野球界で活躍する『野球人』を生んだ学校ということで、
今回の学校が決定した『新入部員を入学させない』という方策について、
あれやこれやと言われています。
【騒動】
なんて言われたりしています。
まあしかしこれについては、
あくまで『学園内のこと』です。
これまでPL学園は、
これまでの歩みをどのように言い繕ってみたとしても、
『学校、そして教団の名前を世間に浸透させるために野球部を強化した。』
ということに間違いはないでしょう。
まあいってみれば、
どの野球強豪校も、
そういう側面はあるといえば、あるんですがね。
だからこそ・・・・・
と言うわけではありませんが、
これについては『学校の判断』以外では判断の仕様がないと思っています。
時代は動いています。
平家物語の一説ではありませんが、
時は移ろいゆくもの。
『王者』は変わる運命にあると言っても過言ではないでしょう。
事実現在は大阪桐蔭が、
大阪の、そして全国のトップチームとして、
一時のPLの後を継ぐ存在になり威光を放っていると言えるでしょう。
PL野球部がその歴史的使命は果たしたと、
学園自体が考えるのであれば、
それはそれで仕方のない事なのではないでしょうか。
それでもなお、チームを立て直すというのであれば、
PL学園のOBなりが動いて学校に直接働きかけていくしか、
方法はないでしょうね。
マスコミが話題にすることで世間のニュースになって、
そのうねりによって世論から動かしていく・・・・・
というのはちょっと無理なんじゃないでしょうかね。
これまでも、
全国のいくつもの学校で、
『学校の名前を高めるため』に野球部の強化を当初志向し、
その目的が達せられると野球部の強化をスパッと停止するという学校がありました。
それもまた、
学校経営の考え方の一つ。
外から口を出したところで、
どうこうなるって話じゃありません。
(まあ、ファンとしてはさびしくはありますけど。)
しかしながら、
数年間野球部の強化をやめた学校側が、
経営判断として『やっぱり学校の顔として、どうしても野球部が必要』
と再度判断したのであれば、
また強化に乗り出していく事も十分に考えられることでしょう。
その機会に再度現場、OBの力を結集しても、
短期間で十分に『戦えるチーム』に変貌できると思いますよ、PLならば。
数年前の天理もそうであったようにね。
そういった意味では、
ワタシは全くこの件については心配してはいません。
それよりも、
ワタシはPL学園については、
今夏の選手権予選での、
『選手自身ですべてを仕切るという戦いで、大阪府準優勝という結果を残して、素晴らしかった』
という様な、
得意の『お涙ちょうだい』的な報道のされ方に対して、
どうしても違和感を感じざるを得ませんでした。
選手達は実によく頑張ったとは思いますが、
それについてはこうなった経緯を『問題提起』していく報道であればいいのですが、
A新聞をはじめとし、お得意の『感動垂れ流し』的な報道のされ方を目にすると、
何だかスッと気持ちがひいちゃいましたけどね。
話は変わりますが、
それにしても、
ここ数年の、
高校野球関連の出版物の多いこと、多いこと。
その中には、
もちろん綿密な取材をもとに面白い構成になっている本もあるにはあるのですが、
『あの時、こういったことがあった』
みたいな本の中には、
『その話、昔の高校野球雑誌の中に書いてあったよ』
という様な焼き直しが多いのもまた事実。
そもそも、
ああいった本って、
どれくらいの部数が売れるものなんでしょうね。
そんなこんなをいろいろ考えながら、
佳境に向かってきた秋の地方大会を楽しんでいるところです。
例年にも増して、
『プロ野球より、高校野球』
のワタシです。
(日本シリーズのカードが、ワタシにとっては興味ないから・・・・・って訳じゃないですけどね)