昨日の選抜甲子園
早実-天理戦は、
最後まで勝敗のわからないスリリングな戦いとなりました。
2年生中心でまだやや【ケツの青い】感じのする早実を、
天理の【猛爆打線】が粉砕するか、
と思われたのですが、
素材では負けていない早実がその力を見せました。
若い選手(下級生)が多いだけに、
前半でリードを奪えたのが大きかったのではないでしょうか。
さて、
高校野球フリークのワタシとしては、
早実 vs 天理
は、
「ようやく実現した」
強豪激突のカードです。
話は30年ほど前にさかのぼります。
昭和55年の夏、
両校は揃って甲子園に出場。
戦前の予想では、
早実・天理共に下級生中心のチーム構成でチーム力はBランク。
早いうちに敗退するだろう、
と予想されていました。
しかしながら両校共に下級生がノビノビと大活躍。
快進撃を続けます。
早実は荒木の大会無失点の好投で強豪を連破。
ついに決勝まで進出。
天理は川本・小山の2本柱が安定し、
これも強豪を次々に葬り、
準決勝進出。
そして、
天理は準決勝の雨中の激闘で、
早実は決勝の大舞台で、
ともに愛甲率いる横浜に屈しました。
さてさて、
その背景を持ってシーズンは昭和56年度へ。
当然話題の中心は
『早実と天理、どっちが強いの?』
ということ。
高校野球界はこの話題で沸騰。
『報知高校野球』
という雑誌にも、
「今年の高校野球界の中心となる両雄は、果たしてどちらが強い?」
という特集が組まれるほどでした。
ワタシもこの両雄の対決、
一体どっちが強いのか、
ワクワクドキドキでした。
ちなみにこの時期、
早実は毎年甲子園までコマを進め、
優勝候補に挙げられ続けながら届かない、
という状況でしたが、
チームカラーである強力打線に、荒木という稀有な好投手の存在を得て(おまけに攻守のリーダー・小沢2塁手の存在もあった)ついに夏の初制覇も間近か、
と見られていました。
天理は、
この後に3回の全国制覇を経験しますが、
この時はまだ優勝未経験。
紛れも無い強豪でしたが、
昭和53年の夏のベスト8までは、
【甲子園で3勝したことがないチーム】でした。
(これは当時の【甲子園七不思議】に挙がるほど不思議なことでした)
ワタシは、
この両チームの決戦、
願わくば甲子園決勝で、
と強烈に願っていた思い出があります。
しかし、
残念ながらこの両雄の対決は実現しませんでした。
天理に不祥事が発覚し、
1年間の出場停止処分になったからです。
このニュースを伝え聞いたとき、
残念で残念で、
なりませんでした。
体が脱力したのを、
今でも覚えています。
早実は荒木が卒業するまでの間、
毎大会甲子園までコマを進めましたが、
結局は準々決勝どまり。
その後は、
天理が盛り返して3回の全国制覇を成し遂げたのに対し、
早実は春夏1回ずつしか甲子園に出場できないという、
厳しい時期に突入してしまいます。
この間、
両雄の対決は、
一度も実現しませんでした。
こうして30年の時を経て、
両雄の対決が実現したこと、
本当に嬉しくて、
TVを見ながら(VTRですが)当時のことを思い出し、
感慨にふけっていました。
大会前に
【甲子園で早慶戦】
の話題が語られていましたが、
ワタシはこの
早実-天理
戦のほうがよっぽど浮き浮きします。
(甲子園の早慶戦は、印象が全く無いですから)
今日は、
倉敷工 vs 中京大中京
のカードがありますね。
このカードも、
昭和50年の開幕戦で激突して
16-15(?) *スコアうる覚え
というすごいゲームをやった記憶のある対決です。
中京大中京が雪辱を果たせるでしょうか。
長年甲子園を見ていると、
いろいろなことがあるなあ、
と思いますね。
これだからやめられないんですよね。