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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

最も印象に残った球児   8.福島

2012年07月11日 | 高校野球名勝負

【もっとも印象に残った高校球児】

8.福島



田村 隆     投手  磐城    1971年  夏  


甲子園での戦績

71年夏   2回戦    〇  1-0    日大一(東京)      
        準々決勝  〇  3-0    静岡学園(静岡)
        準決勝   〇   4-0    郡山(奈良)
        決勝     ●   0-1    桐蔭学園(神奈川)


福島と言えば、
ワタシの頭に残るのは二人。

40年前の球児で、かすかに記憶に残る、磐城の元祖”小さな大投手”田村と、昨年の甲子園を沸かせた聖光学院の歳内投手。
甲乙つけがたい印象を残した両投手ですが、
ここは準優勝という金字塔を打ち立てた田村投手に敬意を表して。

昭和40年代の東北勢。
44年の三沢の準優勝が有名ですが、
その2年後の46年には、
小さな大投手と謳われた田村を擁した磐城が、
これまた準優勝。

決して大型チームではなかった両校ですが、
東北人らしい粘り強い守備で最少得点を守り抜くという野球は、
東北にすぐにでも真紅の大旗が渡るのではという期待を膨らませるものでした。

東北のチームはそれほど、
実に粘り強い戦いぶりを見せてくれていました。

まあ、
その流れを断ち切ったのが、
昭和49年に採用されて金属バットです。

この金属バットの採用により、
高校野球は明らかに”打撃偏重”の流れに変わります。

それまでは大会でヒトケタが珍しくもなかった本塁打数が飛躍的に伸び、
大会で40本や50本近くも本塁打が乱れ飛ぶことになり、
その打撃を身に着けた、池田やPL、智弁和歌山などのパワー野球が高校野球の主流となりました。

しぶとく守りで好機をうかがう野球は、
どんなに粘っても最後にはパワーに粉砕されてしまうようになり、
東北勢は長く厳しい時代を迎えてしまったと思っています。

昨今は室内練習場の整備により各校が打撃練習を冬場でも行えるようになったこと、
並びに全国の有力選手たちが東北の全寮制の学校に野球留学してくるようになったことなどから、
他の地区以上にパワーを持った野球を展開して来ていますが、
元々の東北勢は『粘りの野球』が主流でした。

そしてその『粘りの野球』は、
見ているものの心を熱くする野球なのです。

昨年久しぶりに、
東北勢らしい野球を秋田・能代商の戦いぶりに見ることが出来ましたが、
東北野球の真骨頂は、
三沢の野球であり磐城の野球でしたね。

その磐城、
常磐炭鉱の閉鎖でチームメートがばらばらになってしまう前の大会ということもあり、
マスコミの好きな『ストーリー性』をも身にまとい、
この夏は『コバルトブルー旋風』と言われた爽やかな風を甲子園に送り込みました。

田村は160センチ台の身長から、
小気味いい速球とカーブを配する好投手でした。

小さな大投手と言えば、
古くは選抜優勝の飯田長姫高・光沢毅氏(のちに高校野球解説者)の代名詞でしたが、
田村の出現によって、
すっかりこの異名は田村のものになりましたね。

初戦で、
優勝候補NO1の日大一・保坂との投げ合いに勝って波に乗った田村は、
絶妙のボールの出し入れで好投。
静岡学園、郡山も連続完封。
無失点で決勝に進出しました。

どの試合もそうですが、
こういった爽やかな快進撃を続けるチームがあると、
その対戦相手はどうしてもヒール役になってしまいますね。

この年の桐蔭学園も、
まさにこんなチームでした。

関西の野球ファンにとって、

・関東のチームである。
・神奈川県は昨年も甲子園制覇をしていて、連覇を狙っている。
・こすっからい野球をやる。
・学業含めすべての部門NO1になると公言していたこの新興の学校が、どうも好きになれない。

などの理由だったと思いますが、
桐蔭学園は初出場で快進撃を続けていたのに、
なんだか全く甲子園での人気はありませんでした。

それに比べて磐城は・・・・・

ということでこの爽やかな磐城というチーム、
予想以上に甲子園のスタンドで大声援を受け、
快進撃を続けていました。

目に鮮やかなコバルトブルーのユニフォームを身に着けた選手たち、
子供心にもかっこよく映り、
必死にテレビの前で応援していましたっけね。

そんな磐城のエース田村、
最後は桐蔭の土屋(現監督)に3塁打を浴びて甲子園初失点。
その1点が重くのしかかって、
磐城は≪夏の扉≫を開けることが出来ませんでした。

三沢・太田、磐城・田村、仙台育英・大越、東北・ダルビッシュ・・・・。

あと一歩まで迫りながら、
これだけのエースが奮闘しながら、
まだ東北に優勝旗はもたらされてはいません。

優勝旗のしまってある部屋に最後にたどり着くための扉は、
なんとも重いものなんです。

その扉を開ける球児、
もうすぐ出てくると思いますが、
願わくば東北のこのエースたちの系譜を継ぐ≪大エース≫の手で、
その扉は開けてもらいたいと思います。

去年の歳内はチャンスだったのになあ・・・・・。
今思ってもなんだか悔しいのですが、
負けた相手が今大ブレーク中の釜田(金沢⇒楽天)だっただけに、
まあ納得もしますがね。


そういえば田村投手、
その後安積商業(現帝京安積)の監督として2度ほど甲子園に”里帰り”していましたが、
なんだか体型がすっかり変わって貫禄があったのを覚えています。
今は何をされているのでしょうかね。


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