衝撃のニュースが、
昨夜駆け巡りました。
あの400勝投手、金田正一氏が、
6日に亡くなりました。
86歳でした。
金やんの愛称で多くの人から慕われた、
凄い選手であり、監督でしたね。
ワタシはもちろん、
金田さんの現役時代のことは全く知りません。
印象に残っているのは、
ロッテで監督を務めたときのこと。
しかし「400勝」と聞くと、
何か異次元の事のように、
昔から思っていました。
現在のプロ野球では、
200勝投手すら「もう出ないのではないか」といわれる時代ですから、
その倍の400勝なんて、
イメージすることもできません。
14年連続20勝以上なんていうのは、
もう決して出ない記録だと思います。
本当にこの時代の人達は、
金田さん、稲尾さんに限らず、
毎日のように来る日も来る日も、
投げ続けるというのがプロ野球の投手だったんでしょうね。
権藤・権藤・雨・権藤・・・・・
なんていう言葉もあったそうですね。
それが時代だったといってしまえばそれまでですが、
この時代は本当に投手にとっては、
厳しい時代だったんでしょうね。
そんな日本においてプロ野球創成期の時代の中で、
金田さんは来る日も来る日もマウンドに上がり続けた、
そんな選手だったのでしょう。
400勝ということ以上に、
298敗という記録こそが、
金田さんの本当のすごい記録だったんじゃないかなんて、
そんなことを思います。
ちなみにワタシが応援するライオンズにも、
東尾修という、
来る日も来る日も投げ続けたピッチャーがいますが、
彼の場合も251勝もしながら負け数も247勝。
そしてその負け数こそが自分の誇りだと、
聞いたこともあります。
そして金田さん、
日本のプロ野球ファンがだれでも知っているのは、
あの”ミスター”、
長嶋茂雄のデビュー戦での4打席4三振ですね。
「プロの厳しさを教えてやる」
という気迫を持った投球で、
キラ星ルーキーに対して闘志むき出しに投げた姿は、
凄いものです。
こういった球界の先輩がいると、
対戦するプレーヤーもまた、
大いに成長するのでしょうね。
高度成長期からその後にかけての、
昭和の風景そのものの感じが、
ワタシなんかは目に浮かぶようです。
「骨太のプレーヤー」
それが昭和のプロ野球人だったんじゃないかな、
そう思ったりもします。
ロッテの監督をやっていた頃は、
ま~よく暴れていたな~
そんなイメージがありますね。
今はほとんど見られませんが、
あの頃はプロ野球といえば乱闘はつきもの。
ロッテ戦は、
乱闘になると金やんが真っ先にベンチを飛び出して、
相手に向かって行ったものでしたね。
金田正一、星野仙一。
セ・パの暴れん坊監督として、
一世を風靡したものでした。
昭和49年には、
中日を下して悲願の日本一を達成しましたが、
その時のロッテの面々も、
サムライが多かったですね。
打者では有藤・山崎・弘田・得津・・・・
投手では村田・木樽・金田留・成田・八木沢・・・・・・・
何というか、
本当に懐かしい面々です。
そういえば金やんの弟の金田留弘さんも、
昨年の同じころに亡くなったんですよね。
金田家ということで言えば、
金やんを筆頭に、
プロ野球選手としては弟の留弘、そして甥っ子である金石、
芸能人としては息子の金田賢一氏が思い浮びますね。
あ~
金やんも不帰の人となり、
旅立ってしまったかあ。。。。
まさに、
昭和は遠くなりにけりだなあ。。
せめて今日ぐらいは、
昭和のプロ野球に思いをはせて、
いろいろなことを思い出すことにしようかな。
金やん、
お疲れさまでした。
天上にても、
現役のころのように超絶に投げまくるのか、
監督のころのように暴れまくるのか、
それとも解説者のころのように、
巨人愛を貫きまくるのか。
なんだか楽しくしていそう。。。。。。
そんなことを、
ふと思いました。
それにしても、
寂しい。
寂しすぎるニュースでした。
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