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選抜出場校 こんなこと思い出してしまいました2022  その2

2022年02月24日 | 高校野球

≪選抜出場校の思い出2022 その2≫

関東代表  明秀日立(茨城)     2度目(4年ぶり)
                   夏出場なし 甲子園通算 2勝1敗      

この明秀日立に移り、2度目の選抜出場になった金沢監督。光星学院時代の輝かしい戦績から比べると、10年目に突入したこの明秀日立での采配でまだ2回目の甲子園というのは、少し驚きます。あの全国の舞台でブイブイ言わせていた時代の金沢監督をイメージすると、この明秀日立ではすでに全国制覇していてもおかしくないぐらいには思いますが、いろいろとアジャストするのに苦労もあるのでしょう。日立というのは茨城でもかなり北に位置しますので、取手、土浦当たりとはまた違った難しさがあるのかもしれませんね。茨城も取手ニ・常総学院卒業の「木内門下生」の監督も増えてきて、常総・島田監督や土浦日大・小菅監督など入り乱れて覇権を争っているような状況なので、今後の展開が楽しみな地区ではあります。昨秋の関東大会では、振り回す打線がパワーで関東を席巻しましたが、明治神宮大会ではその打線は広陵の質の高い投手陣には通じず。全国レベルと対戦した経験を糧に、春までにどのようにチームを進化させてきたのか、興味あるチームです。


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こちらも中央学院と並んで、まったく初顔のチーム。明秀日立といっても、まだまだピンとくるチームではありません。ワタシがこの学校の名前を聞いて思い出すのは、光星学院から転任してきた金沢監督が指揮を執っているということと、DeNAで昨年センセーショナルなデビューを飾った細川がOBで、その弟がこのチームのエースということぐらいです。それにしてもチーム構成を見ると、金沢監督らしく関西からの選手が大半を占めています。今や選手構成は「全国規模」というのが高校野球強豪校のお約束ですが、このようにある意味特徴のあるチーム構成というのは、関東のチームとしては非常に珍しく感じますね。金沢監督前任の光星学院や、鍛治舎監督の秀岳館など、いわゆる大都市圏(近郊)にないチームにはよく見られますが、関東のチームということでは非常に珍しい。『何も激戦の関東地区にわざわざ来なくても』と思わないではありませんが、どういった戦いを見せてくれるのかには、興味がありますね。そして常総学院、霞ケ浦などのチームの巻き返しにも、注目しています。




関東代表  山梨学院 (山梨)        5度目(2年ぶり) 
                       夏9度出場  甲子園通算4勝12敗 (交流試合のぞく)

下記の前の記事にも書いている通り、山梨学院は山梨県内では確かな足取りを残してきているものの、甲子園では全くと言っていいほど足跡を残せないチーム。13年から甲子園で優勝、準優勝を経験する名将・吉田監督を招聘するも、まだその殻は破れないでいます。ここ数年、ようやく関東大会では優勝、準優勝など上位に顔を見せるようになってきたので、今年のチームには期待が大きく膨らんでいるところです。しかしこれまでのチームも「大型」「強力」と言われながら涙を呑んできたので、どのようにチーム自体が変化しているのか。昨秋の県大会、関東大会では打率4割を超し、毎試合二けたに近い得点を奪っていったが、これが全国の好投手に相対してどこまで機能するか。とかく試合運びの拙さを指摘されることの多いチームだけに、スキを見せずに戦い抜き、念願の甲子園2勝を挙げることができるかに注目が集まっています。


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2年連続で難関の関東大会を勝ち抜いて選抜までたどり着いた山梨学院。昨年も書いたことですが、どうもこのチーム、甲子園で力を出し切れません。まだ全国制覇の経験がない山梨県にあって、東海大甲府とともに全国制覇の期待を県民からは寄せられていると思いますが、どうしても「快進撃」を見せるまでには至っていませんね。このところ関東大会ではかなりその持っている力を発揮することが出来るようになってきて、チームが少し脱皮しかかっているという事は言えるかもしれません。常に大型選手を揃え、勝つときは豪快な勝ち方をしますが、プラン通りに事が運ばない時の試合の中での修正力が、一番問われているチームなのかもしれません。全国優勝、準優勝の輝ける経験を持つ吉田監督に、このところはあの元横浜高校の部長である小倉氏もチーム作りに関わっているという事で、そろそろ結果が欲しい時期です。なにしろ13度甲子園に出場してわずか4勝、1大会2勝を挙げたことがないというのは驚きです。甲子園に強い東海大甲府を上回るような快進撃を、期待してもいいのでしょうか。


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5年ぶりとなった山梨学院の選抜出場。しかし夏は3年連続で聖地の土を踏んでいるので、久しぶりという感じは全くありません。山梨学院といえば現在は清峰で一時代を築いた吉田監督が13年から率いていますが、その前はどうも監督の交代が頻繁なチームというイメージがありますね。山梨では東海大甲府の大八木・村中監督、甲府工の原監督が名監督として有名ですが、そのほかのチームは頻繁に監督が交代するというイメージがワタシの中にあります。この山梨学院と日本航空という強豪に成長した2チームは、まさに「野球強化」に特化した学校というイメージですが、何足腰が定まらない感じがしていました。しかし吉田監督を招聘した山梨学院、そこからはしっかりとした強化ができているようで、このところ東海大甲府とのライバル対決でも一歩先を行っているという感じがします。甲子園での戦い方で印象に残っていることはほとんどありません。本格派の投手に強打というチームカラーはいつも同じなのですが、甲子園での戦いぶりでは「崩れてしまう」というイメージは強いですね。なし崩し的に終盤相手に得点を重ねられてしまうという戦い方を、甲子園で何度も見たというイメージがあったりするので、粘りを身につけるともっと戦えるのではないかとみています。関東大会などでもよくこのチームの戦いを見ることがありますが、その時は実にしっかりとした野球を展開するイメージもあったりするので、まだまだ甲子園では『よそ行きの野球』をやってしまっているという事なのでしょうか。その点ライバルの東海大甲府は、しっかりと甲子園でも自分たちの野球をやることができていると感じますがね。甲子園での戦い方を熟知している吉田監督ですから、そろそろブレークしてくるかもしれません。まだまだ「良くも悪くもクラブチームのような」風情のある、チームカラーが定まっていないチームのように感じますので、これからどんな色に染まっていくのか、楽しみでもありますね。

 

 

関東代表  木更津総合(千葉)   4度目(6年ぶり) 
                  夏7度出場  甲子園通算14勝10敗

毎年のようにドラフトにかかるような好投手を輩出する、近年の木更津総合。早川(楽天)は言うに及ばず、山下(ヤクルト)も2年連続でドラ1でのプロ入り。さらに彼らの後の野尻、根本、篠木ら、本格派のピッチャーの宝庫です。今年のエース越井もかなりの好投手で、昨年の選抜覇者・東海大相模打線を軽くねじ伏せた投球は圧巻の一言でした。そんな木更津総合ですが、甲子園ではまださほどインパクトを残す戦いができていないと言えそうですね。甲子園に強い習志野や、隣県の常総学院、東海大相模、花咲徳栄などは常に覇権を争うライバルですが、これらのチームと比較すると、木更津総合は力がありながら甲子園で上位進出というのはかなっていないのが現状です。やはりこのチームの弱点は、打線という事になるのでしょうか。試合の最後に打ち負けて失った試合というのが多く、それは連戦にならざるを得ないトーナメントの終盤戦に行けば行くほど、他校の後塵を拝するという結果を招いているような感じがしています。もう少し打てればなあ・・・・・・というのが偽らざる心境。もうとっくに甲子園で優勝旗を争うところまで来ていても不思議ではないチームが、いつブレークを果たすのか。千葉県民ならずとも、期待は大きいと思います。何しろ”野球王国”千葉県民は、上位に行けなければ満足しませんからね。


前回の記事 ⇒

木更津総合というと、『木更津中央』時代の70年代に、千葉では甲子園を狙えるチームとして位置づけられていたのが、ワタシが最初にこの学校を知ったきっかけでした。しかし、時は銚子商・習志野の2強時代。しのぎを削る両校がともに全国制覇を成し遂げるなど『野球王国』の名をほしいままにする地区だったため、木更津中央の出番はありませんでした。その木更津中央が復権するのは、2000年代に入ってから。現在の五島監督が就任してからですね。印象に残っているのは08年のチームですね。春の関東大会で、東海大相模、横浜という神奈川の強豪を連覇して優勝。その勢いをかって夏の甲子園もものにしました。投の2本柱に、その後早大でも活躍する地引捕手を中心に、キッチリと勝ちをものにしていくチームでした。そしてその後は、12年に黄本、13年に千葉、そして昨選抜は早川と甲子園に登場するたびにしっかりとしたエースを擁して、勝利をものにしたりしています。しかしながら、千葉代表として甲子園でインパクトのある戦いをしたかとなると、まだまだ。ライバルの銚子商、習志野に成田、千葉経大付属など、甲子園で『ああ、あの時のチームは・・・・』と地元のファンに語られるような戦いを繰り広げてきたチームに比べると、まだまだ甲子園での戦いは『これから』といったチームです。甲子園の勝利の校歌斉唱時に『全力で歌う』シーンばかりが取り上げられているようでは、ファンの印象には残りません。関東を制した今年のチームで、何とか全国の強豪に挑んでいきたいものです。




関東代表   浦和学院 (埼玉)     11度目(7年ぶり) 優勝1回
                    夏14度出場 甲子園通算 32勝23敗  

浦和学院といえば、90年代から00年代の初頭にかけては、ワタシのイチ押しだったチームです。
80年代までの「公立王国」埼玉県高校野球界において、80年代後半からすい星のように登場し、春日部共栄、花咲徳栄などと並び県の高校野球のレベルアップに多大なる貢献をしてきたチームですね。それまではどうしても全国上位の壁が敗れなかった埼玉県で、全国の強豪に劣らない大型でスキのないチームを作り上げてきたこの浦和学院に引っ張られ、埼玉県の高校野球は全国に伍していけるようになったといっても過言ではないでしょう。そのあたりは下の記事に詳しく書いてありますので、そちらをどうぞ。 さて2010年代初頭。浦和学院はエース佐藤で関東大会を制覇、そして2013年春、ついに左腕小島を擁して初めての全国制覇を成し遂げます。浦学が悲願を達成して、さらに強い王国を築くかと思いきや、勢力図は思わぬ方向へ。すでに「3強」の春日部共栄は力を落としていましたが、浦学を追いかけてきていた花咲徳栄がこの後グッと力を伸ばして浦学を逆転。それまで全国で今一つ実績を残すことができなかった花咲徳栄が、全国での勝ち方を覚えて大躍進。夏の全国制覇の夢をかなえるとともに、毎年ドラフト指名選手を輩出して、埼玉県の盟主の座を奪い取りました。そしてコロナ明けで迎えた昨年のこと。浦学は出場した甲子園で初戦負けを喫すると、チームを創成期から率いて全国有数の強豪に育て上げた森監督が退任。その息子である森大監督があとを継ぎ、新たな時代への一歩を踏み出そうとしています。この選抜では浦学は実績を残し、花咲徳栄とのライバル対決に気後れしないようなマインドを取り戻さなければならないと思われます。そのためにも非常に大切なこの選抜。直接対決に勝ったほうが全国で上位に進出する・・・・・大阪桐蔭と履正社のようなライバル関係が、埼玉県高校野球ファンの願いです。


浦和学院の記事(2011年) ⇒

浦和学院は、横浜高校の歩いた道をたどれるのか! - SPORTS! SPORTS! 寝てもさめても (goo.ne.jp)


浦和学院の記事(2012年) ⇒

第94回全国高校野球選手権 第11日 やりきった敗戦・悔いが残る敗戦 - SPORTS! SPORTS! 寝てもさめても (goo.ne.jp)




東京代表   国学院久我山      
4度目(11年ぶり)  
                   夏3度出場     甲子園通算 1勝6敗

東京から久々の出場となる国学院久我山。国学院久我山といえば、古くからラグビーの超名門校。東京でラグビーといえば、国学院久我山か目黒(現目黒学院)という時代でした。その後サッカーも強くなり、冬の高校選手権で準優勝を飾る強豪に成長しましたが、野球は長く東京の中ではトップをうかがうという位置にいたもののなかなか存在感を出せずにいたという歴史があります。国学院久我山といえば、パッと思い浮かぶのは現ロッテ監督の井口氏ですかね。あの時代は西東京で覇権を争うチームでしたが、その時代は東東京が圧倒的に強く、帝京を中心に甲子園での活躍も多かった印象です。国学院久我山が初めて甲子園にコマを進めたのは79年選抜。アンダースローの石田投手を擁していましたが線の細いチームで、この年甲子園を席巻した近畿勢、春夏連覇の箕島、牛島ー香川のバッテリーを擁する浪商などにはまるで歯が立ちませんでした。ちなみにこのチームには、巨人のショートとして活躍した黒江選手のJrがレギュラーを張っていました。 夏初出場となった81年も同じようなチームカラーで初戦敗退。しかし85年の春に出場したチームは、それなりに期待されていたチームでした。秋季東京大会を制したチームは、その後行われた明治神宮大会でも優勝。(ただし、今のように各地区の優勝チームが集まる大会ではない。)ひょっとしたら・・・・・という期待を抱かせていたものの、選抜ではその明治神宮大会で大差で破った松商学園と再戦、見事に返り討ちにあったのでした。 この年はPLのKKコンビが3年生の春。圧倒的に強いと言われていましたが、準決勝で敗れてしまい、PLを破った伊野商が初出場で優勝。準優勝は前年秋の東京大会では国学院久我山が破った帝京でした。この80年初頭の選抜出場の東京勢、毎年のように活躍していました。80年帝京が準優勝、82年二松学舎準優勝、84年岩倉優勝、85年帝京準優勝、87年関東一準優勝(活躍したチームはすべて東東京のチーム)と続きますが、国学院久我山は結局甲子園で1勝も挙げることができず、ワタシの中では国学院久我山は残念ながら「全国では通用しないチーム」というイメージが色濃く残っています。初めて甲子園で1勝を挙げたのは直近に出場した2019年夏。初戦の相手が勝手知ったる関東の前橋育英だったのはラッキーだったですね。どうしても野球のうまい他の地区のチームと対戦すると、相手に翻弄されてしまって自分たちの力を出せないままズルズル・・・・・というのがこれまでのパターンでしたから。今年のチームも、3度目の秋季東京大会制覇という肩書で甲子園に参戦しますが、果たして力を出し切ることができるか。戦力的には厳しい国学院久我山が、どのように全国の強豪に立ち向かっていけるのか、注目しています。



東京代表   二松学舎大付      6度目(7年ぶり)  準優勝1回
                   夏4度出場     甲子園通算 8勝9敗 

二松学舎といえば、少し前までは「夏の選手権では、決勝で何度も壁に跳ね返されている悲劇のチーム」という認識で、何度東東京大会の決勝に進出しても、その都度跳ね返されてしまうというチームでした。しかし2014年に1年生の大江(現巨人)をエースに立てたチームで長かったその呪縛から解き放たれ、その後は「夏のチーム」として完全に生まれ変わっています。最近でも17年、18年、21年と4大会で3度の甲子園をつかんで、さらに甲子園では常に勝利をあげて実績を積み重ねていっています。しかしもともとは、春の選抜で全国に勇躍名を広めたチームです。1980年。初めて甲子園の土を踏んだチームは、なかなかの力強いチームでした。長身右腕の本格派西尾に、打線も鋭く「波に乗れば覇権を争うところまで行けるのではないか?」なんてひそかにワタシも思っていました。しかし初戦で対戦したのがその年の3強の一角であった柳川。エース中島は「テルシー」なんて呼ばれて、剛腕の名をほしいままにした投手でした。その優勝候補に、まったくの新顔ながら果敢に勝負を挑んだ二松学舎。敗れはしたものの、最終回にはあわやのところまで柳川を追い詰め、「何かやるチーム」という匂いを、甲子園に残して去っていきました。(ちなみに、秋季大会決勝で破った帝京が波に乗って準優勝まで駆け上がりました。) 2度目の春はその2年後。この年のチームは、秋季大会では荒木率いる早実に敗れて準優勝。東京2番手という位置づけのチームで、投打ともに初出場時よりは力が落ちるとされていました。しかし野球とは本当にわからないもの。組み合わせに恵まれたとはいえ、二松学舎はしぶとい攻守でどんどん勝ち進んで、気が付けば決勝に進出していました。その時の左の軟投派エースが、現在の市原監督です。当時の監督は、日大三監督なども歴任した青木監督。準決勝に勝ち決勝に進出した際には、インタビュー台の上で男泣きでした。決勝ではPLの猛攻に抗しきれず大差での敗退を余儀なくされましたが、「東京に二松学舎あり」を強く印象付けた大会でした。まだこの時代、東東京は早実1強時代で、それに対抗するのが帝京。現在の2強である二松学舎と関東一は、まだまだ新顔という時代でしたね。ちなみに二松学舎を強くした青木監督も、関東一を強くした小倉監督も、いずれも日大三の監督として甲子園の土を踏んでいる監督です。
二松学舎というと、伝統の白のユニで左胸にタテに二松学舎、そしてアンダーシャツと帽子は緑という、変わらない姿です。それがまた、ワタシにはうれしいですね。やっぱり思い入れの強いユニは変えないでほしい・・・・・というのが、ファンとして思うところです。余談ですが、中京大中京も伝統のユニに戻してから、ワタシはがぜん応援する気になりましたもんね。
  

(つづく)


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