息子がまた、一瞬帰省しました。
そして昨日の晩「明日車でどっか行かない?」と、何とも嬉しいお誘い。
どういう風の吹き回し?と思いますが…
妻がまた、ひとりで横浜スタジアムに、野球観戦に行く予定があったのと…
急な帰省だったので、珍しく友達からの「飲みのお座敷」がかからなかったのと…
近く友達と長野にレンタカーで行く予定があるので、運転の慣らしを兼ねて出かけたかったのでしょう。
こちらとしては、息子と二人でドライブなんて願ってもない機会、渡りに船なので、即答OK。
とりあえず近場の観光地、高速を使わなくても行ける場所がいいと、息子がいうので…
三浦半島の突端、城ヶ島を目的地に。
もう若葉マークもとっくに取れて運転に慣れている息子ですけれど…
運転の慣らしということなので、往復とも下道を選びました。
行きは息子がハンドルを握り、帰りは私が運転しました。
ゴールデンウィークとはいえ、下道は、それほど混んでいませんでした。
着いたらお腹が空いていたので、まずは食事とトイレ。
三崎地域といえば三崎マグロが名物。
実際、マグロの水揚げで有名な三崎漁港から1キロも離れていません。
「まるか」というちょっとレトロな食堂兼お土産屋さんに入りました。
レトロで雰囲気のある店なので、テレビの旅番組やグルメ番組のロケにも使われるらしく…
ビートたけし、天童よしみ、山城新伍、地井武男など、芸能人が残していったサイン色紙だらけでした。
ふたりとも食べたのは、まぐろ三色丼。
赤身、漬け、ネギトロが乗っています。
サービスで岩海苔も付いてきました。
さすが三崎マグロ、美味で大満足。
それから近くの海岸を見物。
このあたりは歴史上繰り返されて来た大地震によって、土地が隆起したりと地形変化が多く…
地層が横倒しになっているところに、波による海蝕が進んで、奇観をなしている海岸が見所です。
また三浦半島の最先端にあたるため、海防上の要衝として、砲台など旧軍の施設が置かれていました。
旧軍用地は、現在県立公園になっていますが、島の東側に当たるそちらには、昨日は行きませんでした。
風が強かったので、海には白波が立って、海岸の巌頭には波しぶきが上がっています。
東映映画の上映前に出る映像みたい。
写真を撮っても髪の毛がぐしゃぐしゃに。笑
城ヶ島灯台も見て来ました。
城ヶ島なんて、たぶん幼少のころ行って以来でした。記憶もほとんどないぐらい。
息子は、中学のときに、京急の電車とバスを使って友達と来たことがあるそうです。
でもそのときは、島の東半分にある、旧軍用地=今は県立公園の部分にだけ行ったそうなので…
島の西端にあるこの辺りを見るのは初めてだった様子。
三崎マグロを本場で食べたのも、初めてだったそうです。
のんびりできて、本当に楽しかった!
でも城ヶ島観光そのものよりも、往復5時間近く、車の中でずーっとふたりでおしゃべりで来たのが楽しかった。
21歳男子で、こんなに父親とフランクにしゃべってくれる息子、そんなにいないんじゃないでしょうか。
ありがたいことです。
でもうちの場合、父親の権威とか威厳とか、そんなものとは無縁で…
ほぼ兄弟みたいな親子で、小学校の低学年ぐらいまでは、いちばんの遊び友達として接してきたから…
いまでもこうして、仲の良い友達みたいにおしゃべりできるんだと思います。
息子は誰が相手でも、とにかく話がうまくて、相手を楽しませる術に長けているのですが…
父親には、一番親しい友達と同じぐらいに、突っ込んだプライベートの話とかもしてくれます。
(恋バナとか、友達や、研究室仲間、教授の笑い話とか、他の研究室の批判とか)
また、個人的な生き方についてのまじめな話とか、悩みや人生相談みたいなこととか…
自分の専門の薬学研究について、絶対秘密の進行状況とかについても話してくれます。
車の中って密室な上に、面と向かう形でなく、お互い前を向いて話しているので、もしかすると…
いちばん率直に、自分の中にある深いものまで、口に出しやすい形なのかもしれませんね。
5時間も話して、彼が考えているいろんなことを知りました。
いつものごとく、とんでもない親馬鹿であることは承知の上で言うのですが…
彼は、創薬科学の分野では、やはり天才的なところがあるのではないかと思います。
ちょっと変人で、人がこれまで歩かなかった、道なきところを敢えて行こうとする独立独歩なところも…
社交的で分け隔てのない性格や、コミュニケーション力が高いためにいろんな人と接して影響を受けているところも…
いわゆる「理系」とは一見関係のない、人文系、社会学系の学問まで含めて、幅広い知識があるところも…
独創的なアイディアを生み出すための、源泉になっているみたいです。
なにより薬学についての「愛」が半端ないのだということが、じっくり話して、改めてわかりました。
ここまで自分の専門の学問に馬鹿みたいに惚れこんでいる人、そんなにいないんじゃないでしょうか。
大学の同級生たちは、学問にそこまでのめり込んでいること自体があまり理解できなくて「変人」と思っているみたい。
良い環境に置いて好きに研究させたら、専門分野を通じてものすごいイノベーションを起こして…
人類全体の幸福にまで大きな貢献をしてくれそうな気がします。
一方で日本の、学術会議の人事や取り組む内容のあり方に、政治が口出しをして来るような現状や…
軍事関連の研究にだけ、大きな予算を割こうとする政府の姿勢に、やはり危機感を持っているようです。
「学の独立」というのは、ものすごく重要なことだと、古代から各文明圏で言われて来たことですから。
学問的な「真理」が、政治や経済の要請によって捻じ曲げられるようなことがあってはいけない。
「真理」は、目の前の国家や社会集団、個人の利害などを超えたものであって、学問的自由と独立は…
「人類全体の歴史、文明のあゆみといった、もっと大きな視点から守られなきゃいけないんだよ」
息子はそう言っていました。
「曲学阿世」の徒=「学を曲げて世に阿(おもね)る」者というのは、いちばん軽蔑されてきましたからね。
でも、今は政治権力や大資本が、学問に携わる人たちに、曲学阿世を強要してくる。
息子としては「薬物は人を救い、QOLを高めるために用いられなければならない」というのが信条で…
「人を殺すための薬物を作り出すことは、僕の愛する薬学に対しての、決定的な裏切りだ」と言っていました。
「軍事に貢献する研究をしなければならない状況なら、祖国でも、それ以外の国でも躊躇なく捨てて…」
「それをやらなくても良い国に移住、強制の度合いによっては亡命するしかない」と。
「それが、薬学に対する誠意なんだ」と。
正論ですね。
ただ、日本の科学とテクノロジーのレベルが相対的に落ちて来ていることについては…
今までは、政府が学術研究や、教育にかける予算をケチってきたのが原因だと思っていたそうです。
「でも、本当は政府だけのせいじゃなかったんだ、と気付いたよ」と。
「学問、勉強というものが、学歴のため、つまり人間を社会的に選別し、レッテル貼りするための道具であって…」
「学問なんて実用にはならない。生活のために役に立たない。日常生活とは関係ない」
「そんな風に思って、試験に通りさえすればいい、その結果いい仕事、いい地位を手に入れられればいい」
「勉強なんて、試験が終わったら忘れちゃってもいい」
「そうやって学問を矮小化させてきた、日本の一般国民の考え方がいけないんだ」
というのに、思い至ったそうです。
「普段やってる仕事も家事も遊びも、日常生活の端々に至るまで、実はいろんな学術の成果の上に立っている」
「そういうことに気づきもしないで『勉強は現実生活に役に立たない』なんていう傲慢なことを言っている」
「それが『反知性主義』の源泉で、そういう世間の理解をもとにしているから、政治も学問をないがしろにするんだ」
「研究費や教育予算の削減は、学術の衰退の、本当の意味での原因じゃないんだと気付いた」
「勉強が、学問が、知が、世の一般の人から軽んじられている、むしろその結果なんだと思う」
「政治が独走して悪政をしてるんじゃなくて、世の中の、なんとなくの総意を汲んでのことなんだよ」
「そうでなくても、日本には民主的な政治の手続きが、ちゃんと用意されているんだから…」
「悪政に具体的なNOを突き付けなかったのなら、世の中がどうなっても国民のせいなんだけどさ」
そういうことに気が付いたのは、身の回りの大学生たちの、物の考え方や…
研究室の選び方、普段、雑談で話していることの内容などから、察したそうです。
「学問上のイノベーションを起こしたいと考えている学生なんて、実はほとんどいなくて…」
「みんな安定した就職と、将来の社会的地位と、収入のことだけを考えていて…」
「今やっている学業そのものにたいしての興味や情熱が、本当はないんだよ」
「だからなるべくキツくない楽な研究室を選んで、無事にそこを終えて、学位だけ得たいと思ってる」
「そういう学生に限って、口だけうまい教授のプレゼンに引かれて、実際はそこで修行しても…」
「就職という観点から見てさえ、得るものが少ないような研究室に人が集中している」
「日本の製薬会社で、知名度はともかく、将来安定的に栄えそうなところなんてそう何社もあるわけじゃないのに」
「安定を求めて、逆に不安定なところに行こうとしている」
「手に入れたいのは知識やアイディアの作り方じゃなくて、学位の免状と、企業の内定だけなんだよね。とにかく…」
「日本の学術の未来は、誰がなんと言おうと、マスコミがどう盛り上げようと、どうしようもなく見通しが暗いよ」
もう、おっさんとしては、ぐうの音も出ない。そして、全面的にその通り、と思います。
うちの息子、ほんとに親馬鹿な発言で申し訳ないのですが…
科学者として、まじめに、ただものでない人材ですよ。
企業にとっては金の卵。社会にとっては宝。
そういう人材に、呆れられて、見放される国。それを作ったのが、我々世代以上の日本人です。
いまさら反省しても遅いのかもしれませんが…
せめて、やる気のある若者の邪魔だけはしないようにしたいものです。
そして遠い将来、そうした若者が海外で力をつけて、実績を積んでから帰って来て…
日本をもう一回、立て直す気になってくれることを願いつつ、今やれること、準備しておけることをしておく。
瓶の中に封じた手紙、メッセージ・イン・ア・ボトルを海に流すようなことを、やっておきたいものです。