昨日は小倉唯さん関連の、7月から始まるアニメのイベントに行ってきました。
とても楽しかったので、それについてブログを書こうと思ったんですが、一晩ネタを寝かせたのがいけなかった。
今朝起きて、ユーチューバー「じゅんちゃん」の動画を、朝飯食べながら何気なく見たら…
またしてもこの国の為政者…だけではなく、おそらく大衆の中にも潜んでいる「弱者への悪意」を感じてしまって…
胸糞が悪くて、楽しい記事なんて書けなくなってしまいました。
唯さんの記事は、後回しにするとして(書く気がなくなったらやめますけど)。
社会の片隅で、悪意を向けられたり攻撃されたり、見捨てられたりしている人たちと、それを見て見ぬふりする人って…
小中学校や高校のクラス内にいじめられたり、馬鹿にされたりしている子どもと…
それを知っていながら、見ていない、知らない、関わらないことにする子がいる構図がそっくりなんですよ。
たとえば学校では、いじめの加害者がいる一方、隣でいじめられたり、ひどい誹謗中傷をされている子がいるのに…
それを見せつけられ、聞かされている子が「関わりたくない」「見たくない聞きたくない!」となって…
目をつぶり耳を塞いだり、見えない聞こえないと自分に言い聞かせて、何か自分の事にかまけようと努力したりする。
そんな姿と、大人社会の「弱者バッシング」と、そういうことが見えないよう自分の趣味や楽しい事だけに没頭する…
そういう圧倒的多数派の「逃避的無関心」とが、ものすごく、重なって見えてしまうのです。
まあ、構図は同じですよね。
というか、大人たちが、日ごろからそういう態度をとって…
会社でも、電車の中みたいな公衆の場でも、近所づきあいの中でも、もっと大きな社会の中でも…
「面倒事には関わらないのが一番」「泣いてる人はほっときなさい」というメッセージを無言のうちに発しているから…
道に倒れている人がいるのに「どうせ酔っ払いだよ」と自分に言い聞かせて、黙って通り過ぎるようなことするから…
子どもの世界のいじめに、同じ構図が反映されるんですよ。
冷たい、他人に無関心な社会。
日本人の他人への無関心さは、はっきりいって、ちょっと異常なレベルですよ。みんな知らないかもしれないけど。
これ以上は、戦争でまさに市街戦が行われているか、空襲を受けているか、地震などの大災害が起きたかで…
道端に人の死体がゴロゴロ転がっていて、でもすぐに逃げないと自分も命がすぐになくなるという…
そんな地獄のような非常事態にでもなっているのでない限り、起き得ないのが普通です。
平穏でそこそこ豊かな社会生活が(少なくとも表面上は)送られているのに…
ここまで他人に、特に弱者に冷たく、無関心な人種って、おそらく日本人ぐらいじゃないですか?世界を見渡しても。
それとも、平穏さと豊かさは表面だけ糊塗された姿で、実情は地獄だったり、非常事態だったりするのかな。
実際「楽しいこと」にふけっているとき以外は、何だかイライラ、カリカリしている人が多いし。
宗教じゃなくてもカルトっぽい雰囲気のものが好きな人が多いし(参政党とか)。
陰謀論みたいなものには、すぐに釣られるし。
ニュースの中で何か騒ぎがあったり、みんなに叩かれてる者、というか公に叩いていいような人を見つけると
「もっとやれ!やっちまえ!」「こいつ許せねえ!」モードになって、集団リンチみたいなノリになったり。
怖いです。
ちょっと気を緩めると、弱い者いじめをしたくなってしまう心理、あなたの中にありませんか?
「目上」に逆らっちゃいけない、「お上」に盾突いたら怖いことになる、という強迫観念の裏返しですかね。
あるいはそういうのって、実は、それぞれが心の中に、暗闇や地獄を抱えているから…でもあるのかも。
それと向き合うのが怖いから、楽しいこと、美味しいもの、かわいいもの、スカッとすること、気分が上がること…
そういうものを見ることだけに集中して、社会の地獄な現実からも、自分の内面の闇からも目をそらしているのでは?
いや、いいんですよ。地獄や闇ばかり見つめていると、間違いなく気がおかしくなってしまいますから。
現実逃避は必要です。いや、ものすごく大事でさえあります。
私だって現実逃避、大好きですよ。言うまでもないですけど。
ペッピーノさんを運転して、小倉唯さんの出るイベントにウキウキ向かうのは、まさにそれです。
でも、それ「だけ」じゃ駄目なんですよ。
無視して背を向けて、目をそらしてばかりいると、いつか、その闇に飲み込まれるときが来るんですよ。
そうなったらそうなったでいいよ、その時までそっとしていてよ、と?
なんでそんなに弱虫なんですか?
目を開けて、耳をすませば感じられる、誰の身にもやがて迫るかもしれない脅威…
今その犠牲になって、倒れたり泣いたりしている他人の姿を見れば、はっきりとわかる脅威…
いまのうちに、みんなが避けられるように、手を打とうと思えば打つ余地がある脅威…
なんでそれを避けようとしないんですか?なんで避ける前から、あきらめちゃうんですか?
運命として受け入れるんですか?
いつからこんな風になったんでしょう。
この十数年?それとも21世紀になったころから?バブルとその崩壊前後から?
あるいは、戦中の特高警察や憲兵への恐れを、心理的遺伝子みたいにして、受け継いじゃってるから?
もしかしたら、江戸時代の「キリシタン狩り」ぐらいから?
もともと日本列島は、天災が多くて、避けられない災厄が多かったから?
いやいや、地震などと、圧政や貧困、戦争、弱い者いじめとかを同列に考えるのは、馬鹿馬鹿しいじゃないですか。
とにかく、異様です。
異様であるということが、中にいると気付かないのでしょうけれど。
その「マジなヤバさ」に気づかない限り、この社会はもうじき崩壊しますよ。間違いなく、です。
子どもや、孫兄弟甥姪など、守りたい者が誰もいない人、守るものを何も持っていない、それこそ「無敵の人」は…
「いいじゃん、それならそれで」かもしれないけれど。
そうじゃない人は、現実逃避だけにかまけていたら、本当にえらいことになりますよ。
誰だって、いつ「弱者」になるか分からないんだし。
明日、脳梗塞で倒れたり、交通事故で障害を負ったり、病気で動けなくなったりする可能性は誰にでもある。
そうでなくても、生き続ければ年老いて、必ず、間違いなく、弱者になってしまうんです。
そうしたときに「助けて」の声が聞いてもらえるためには、もしもの時のためにたくさん貯金する、とかじゃなくて…
倒れた人弱った人をすぐ助けてくれる、誰に対しても優しい社会を作ったほうが心配ない。
お金だって預金だって、はっきり言えば、社会が乱れたらいつ紙くずになるか分からないんですよ。
社会が破綻したら、「信用」で成り立っているお札は、実は紙とインクでできた、ただの物体だった…
あるいは、銀行のシステムの中に記録された、単なるデジタルな数字だったということがあからさまになる。
たとえて言えば、治安が悪いから自分一人が家の周りに高い塀を立て回して、外出時には防弾チョッキを着こんでも…
出かけたビルごと爆破されたら、あるいは街に核ミサイルでも撃ち込まれたら、結局なんの意味もなくなっちゃう。
高い塀とか防弾チョッキみたいな個人的対策が必要ない、安心平和な社会を作る方がずっと近道であるのと一緒です。
というわけで、こちらの動画をどうぞ。
20分強あるので、お時間があるときに。
マイナ保険証の強行と、紙の保険証廃止を遮二無二進めることの、裏にあるものについてです。