いまだにお米、近所のスーパーでは数軒回っても買えません。
仕方ないのでペッピーノさんを走らせて、少し遠方の大型スーパーに行ってみたら、やっと買えました。
でも23年米じゃなく今年の新米。
しかも私が買った5kgの袋で、無洗米は売り切れ。
普通のもあと2、3袋で終わり。
超大型といえる、そのスーパーチェーンの旗艦店なのにですよ。
しかも例年の新米より値段がめちゃくちゃ高い!
本当はどこかにまだいっぱいあるはずの23年米はどうした?
それより古い備蓄米だってたっぷりあるはずなのに、この品不足に政府が何も手を打たないのはなぜ?
品薄でみんな困ってるのは分かってるのに「買い溜めに走らず落ち着いて」のアナウンスだけ。
なんとも不可解。
やっぱり流通を制限して、値段をわざと吊り上げて、米の先物取引で大もうけしてる奴らがいるんじゃないでしょうか。
政府はそれを知ってて放置してる?
政府行政もグル?米相場における一種のインサイダー取引なのか?
なんかほんとインチキ臭いにおいがしてしょうがない事案なんですよ、これ。
それなのにみんな黙って文句も言わないから。言っても陰で愚痴を言う程度で。そんなんじゃ悪い奴らは痛くも痒くもないから。
それじゃあやりたい放題、汚いことやったもん勝ちの世の中ですよ。
事が肝心かなめの「食べる事」...それも日本人の命ともいえる米の問題なのに。
それでもまだ黙って我慢したり、または自分の家庭さえ良ければというエゴイスティックな対応しかしない。
その間に...
能登の震災被災地はついに公的に「復興しない」という信じられない選択で見捨てられ。秋田の水災被災地も、どうなることやら。
今度の台風や、これからやってくる災害で被害を受ける「田舎」だって見捨てられかねない。
それでもみんな黙って、他人事で済ませ、目を背けて自分の楽しいことにかまけてる。
社会なんて変えられない。変えるのは「お上」だけだからと決めつけて。
日本国民は、奴隷根性が骨の髄まで染み通った腑抜けなんでしょうか。
ほんのちょっとだけでもフランス人とかをまねしてみる...のが怖いんでしょうね。
(フランス革命とかじゃなく現代のフランス人ですよ)
政府や権力より「世間」が怖いのかも。目立つことはやりたくない。変なことして「変わり者」「はぐれ者」として、世間からはじかれたくないと。
それが国民の総意なら真面目に仕方ないのですけれど、それなら「西側自由主義諸国」だの「民主主義国」だのという、嘘っぱちの看板は外さないと。
中国と同じ一党独裁の権威主義国家だという「正体」を、もう見せた方がいいんじゃ...いや本当は既に、世界は分かってるような気がしますけど。
アメリカとかは全部分かっていて、対中国の軍事戦略の「捨て石」に使うつもりなんだと、私は思ってます。
しょうがないです。多くの人が「見ざる聞かざる言わざる」で逃げてるばかりなんだから。
忙しい?いや仕事以外の楽しいことだって日常的にしてる人、いっぱいいるでしょ。
そんな余裕全くない人だって、このままじゃ米の飯を食うことさえ危うくなるかもなんだから、仕事の手を止めて「おいふざけんなよ!」と物申さないと。
それをどうしてもしない、できないのなら、これから何が起きてもどんな目にあっても、自業自得ということです。
まあ...それでも、ほんとに若い人たちは、我々世代とだいぶ様子が違ってきてますから、まだ希望はある。
権威権力や因習への、静かな抵抗の気配を感じます。
今朝もうちの前の通りを、スラックスの制服を着た女子中学生が、何人か歩いて行きました。
そういうのも「スカート男子」も、親世代、祖父母世代への、静かなるプロテストだ...と信じたいです。
がんばれ若者!周りの大人や、それをステルスコントロールする悪い白人にだまされて、戦争の「捨て石」になんかなるなよ!
ヘタレと言われてもいいから平和の徒になりなさい。
国家なんてものがなくなっても、命さえあれば、何度だって立ち上がれるんだから。
ということで、小倉唯さんのこちらの曲をおまけに。
<当たり前にある
そう思っていたものの全てが
当たり前じゃなくなっても
何度だって希望は
生まれてくるから>
いい歌詞だなあ。