とくにこれといったネタがないので、去年の7月に投稿した記事をほぼそのまま再投稿します。
この記事に、今レスポンスして下さったフォロワーさんがいらしたので、思い出しました。
ただ、貼り付けた動画の一部は今見られなくなっているようです。おそらくInstagramの仕様変更によるものだと思います。
そこはご容赦ください。また、文中に付けた私の息子の年齢は今現在のものに変えました。
ではどうぞ。
前の前の記事にも書いた通り、権力者は一般大衆を、大衆同士で分断して統治・支配しようとします。
弱い者同士が対立し、憎み合い、いがみ合っている限り、生活の不満や社会への怒りは、権力の方に向かないからです。
今の世の中では、マスメディアがその「分断統治」をサポートし、大衆の不満と怒りをうまくコントロールします。
テレビや新聞だけでなく、最近では芸人や芸能人、ネットのインフルエンサーなども、その役割に加担しています。
みんなで一緒に幸せになったり、幸せを分け合うのではなく…
分断された個人が個人を出し抜いて、相対的な経済的豊かさを得たり、社会的な特権を得たり…
そういう風にして「人に差をつける」「マウントをとる」ことが、幸せというものなのだと思い込ませているのです。
それに慣らされた私たちは、相当に豊かでも、隣人より「損をしている」「乏しい」と思うと不満に思い…
かなり貧しくても、隣人より「得をしている」「いくらかまし」と思うと満足していたりします。
日本は、他国の勃興や経済的進歩に遅れ、数十年の停滞をしているため、よそのことを知ると国民が不満になります。
なので為政者たちは、なるべく外国の生活事情や、経済的な進歩に国民の目が向かないように注意しています。
だから、ポジティブな海外情報はあまり報じず、ネガティブな物だけ見せて、やっぱり日本っていいなあ…
と思わせるような情報(とくにテレビ番組)を、積極的に国民に与えます。
世紀が変わる前後から、日本の為政者は、国の富全体を増やす政策から…
ステルス(不可視)な形で大衆=中間層の富を取り上げて、ほんの一部の特権を持つ人々に富を集中させる政策へと…
根本的な転換をしました。
それを気付かせないために「日本ってスゴイ!」「日本っていいなあ…」というマインドに、国民を誘導しました。
そうして、井の中の蛙、夜郎自大な国民性を作り上げるようにしたのです。
私も、そうしたメディア戦略に力を貸せば、美味しい仕事をいっぱい回してあげるよ、と誘われました。
その真意がわかったので、個人的な欲得の誘惑にかられながらも、お断りしました。
でも、その為政者側の目論見はまんまと当たってしまったのです。
どっちみち当たってしまうのなら、あのとき個人的欲得を追及しておけばよかった…
などとは思っていません。
でも、実はこの四半世紀ばかり、日本は進歩から取り残されて、相対的には衰退しているように見える…
という事実に、さすがに気付く人たちが出て来ました。
でも、正社員と非正規労働者、男と女、若者と老人、日本人と在日外国人など、みんなすっかり分断されて…
「みんなで幸せになる」「手をつなぐ」「弱っている人、困っている人を助ける」
ということを忘れて「自己責任」という呪いの言葉に、すっかり毒されてしまいました。
弱肉強食は自然の摂理?
いやいや!人間社会は、自然の摂理とは、もはや似ても似つかないものになってしまいましたよ!
肉食獣は、空腹が満たされているときに、どんな弱い動物が目の前を横切っても、見向きもしません。
人間だけが、満たされることを知らず「もっと、もっと」と、どん欲に求め続け…
他の生き物や、同族の仲間を搾取し続けて…
その「格差」が拡がっても拡がっても、まだ満足できず、果てしなく渇望し続けるのです。
強いものはもっと強く、弱い者はさらに踏みつけられる、というのは自然の摂理とは全然違いますよ。
食物連鎖の頂点にある生き物は、死ぬと、その底辺にある生き物の餌となります。
ここでの「連鎖」というのは、ピラミッド状に上下に積み重なっているのではなく、環状に循環しているのです。
弱い、強いの問題ではなく、それぞれが「自然」に肉体を与えることで、全体のバランスをとる仕組みなのです。
持てる者が、持たざる者のために、集めたものを再還元する、という発想がなく…
ただ独り占めし続けるような社会は…
自然の摂理からは遠く離れているのです。
摂理を離れた系は、やがて退廃に陥り、滅びへと向かいます。
人間社会に関して言えば、結局は、持っている者が持っていない者に与え、お互いに助け合う。
それが自然であり、結局は全体の豊かさを担保し、ひいては「持続可能性」にもつながるのです。
他人にかけた親切や思いやりは、社会を豊かにし、優しいものに変え、いつか自分に返って来ます。
「情けは人の為ならず」というのは、そういうことです。
ということを多くの人が知って、この世界を、狂った「弱肉強食」から脱却させない限り…
もうあと数十年、いや、ひょっとするとそんなにもたずに、あと10年ぐらいで…
人類の文明は滅びる……少なくとも、数万年単位で後戻りすることでしょう。
おそらく今は、人間が路線転換をする、ギリギリ、最後のチャンスだと思います。
ということを踏まえて、動画をいくつか集めてみました。
どれか一つでも、心に刺さるもの、あるでしょうか。
すべて、ごく短いショート動画です。
音が出ない場合は、画面の端にあるスピーカーマークをタップかクリックしてください。
いかがですか?
「ふん!」と思うものがあってもいいんです。
ひとつでも、共感するものがあればと思います。
最後の岡田斗司夫氏の言葉は、彼から聞いたからでも、彼以外の誰かに教えてもらったからでもなく…
私自身の、心の底からの実感として、自分の息子に言って聞かせたことと、ほぼ同じです。
0~3歳とは言いませんでしたが。
もうすこし、大きくなるまで楽しませてもらったし…
楽しかった以上に、私自身が子どもから、学ばせてもらった、成長させてもらったからです。
子どもを「育てさせてもらう」ことがなかったら、私はどんなに傲慢で、無知な人間で終わっていたか。
子育ては、一面で、親育てでもあるんです。
子どもは自分で全く意識せず、何の見返りも期待せずに、それをやってくれるのですけれど。
だから、よくいる親のように、恩を売ったりはしないのです。
「お父さんありがとう」と子どもから言われたら、私はいつも…
「こちらこそありがとう」と返しています。
うそじゃありません。ほんとにそうしています。いつも。
親孝行なんて、いらないんです。
ただ、そうしてくれる子もいる。
うちの子も「老害」という言葉が流行る、今の22歳の青年にしては親思い、祖父母思いだと思うけれど…
それはあくまでも、ありがたい「ボランティア」であって、当たり前の「義務」なんかじゃない。
育てたお返し、与えた愛情のお返しはとっくに済んでいるのに、さらに与えてくれているだけだと、私は思います。
相互に愛を与え合い、見返りは期待しない。そいいう人間関係が「親子」なんじゃないでしょうか。
儒教がもとの「道徳」なんて、はっきり言って多くが「くそくらえ」だと思いますよ。
あるいは日本の「通俗道徳」に…
「人に迷惑をかけないように生きなさい」
というものがあります。
でも人に迷惑をかけないなんて、本当は誰にもできないんです。そうしている「つもり」になることは可能ですが。
自分は人になんか一切迷惑をかけていない、人の世話にもならず自分で全部やって来た、と思っている人の多くは、人の優しさや…
他人から知らないうちに受けている恩恵、また、わがままで迷惑な自分を他人が赦したり、我慢してくれたりしていることに気が付かず、鈍感になっているだけです。
お互いに迷惑をかけない、ということに汲々として、窮屈に生きるよりも…
お互いに迷惑をかけ合いながら、赦し合い、助け合って、おおらかに生きたほうが、楽しくて幸せじゃないですか?
こんな動画もあります。
では、本日はこのへんで。