昨日『レイシズム』(ルース・ベネディクト著)を読み終わりました。
ルース・ベネディクトは、外国人が書いた日本人論として有名な『菊と刀』で、日本では知られています。
でも実は『菊と刀』は、もう日本以外の国ではあまり読まれていないようです。
書かれたのが第二次大戦後期で、もはや視点が古くなり、現実の日本人も変わってしまったからでしょう。
実際、この本の中でも、人種的な精神・気質や文化というのは、時間とともに変化するものだという事を…
強調していますから、『菊と刀』が日本人論として現在にも通用するかどうか、著者がもし生きていて…
質問してみたならば「もうあの本は古いですね」と、おそらく言うのではないかと思います。
アメリカの先住民について書いた『文化の型』という作品は今も米国内で読まれているようですが…。
こちらは、人種の文化としては既にほぼ滅びてしまったものがテーマなので、また別かもしれません。
結局、ルース・ベネディクトの本の中で、一番普遍的なテーマについて書いた『レイシズム』こそが…
この著者の「主著」とも言える傑作でしょう。世に出たのは1940年と『菊と刀』より前ですが。
すべての「人種」や「民族」の間に優劣はないということ、また…
そもそも「純粋な人種」というものが存在しないという事を、遺伝学、解剖学、歴史学、文化人類学など…
様々な学問の見地から論理的に説明してみせて…
「レイシズム」というのは、一定の政治的な目的のための「明確な虚偽」だと論証しているこの本。
彼女が当時、米国の戦時情報戦に関わり始めていたことから、このテーマを書いた動機には…
人種のるつぼであった米国の、すべての人々を「同じ国民」として戦争に動員する目的があったとか…
レイシズムをイデオロギーの中核に置いていた、敵国ナチスドイツの思想への対抗のためであるとか…
様々言われていますが、そういう側面があったとしても、現代に通じる内容を持った名著だと思います。
この本の前に読んだ『全体主義の起源』(ハンナ・アーレント著)で、全体主義を生み出す土壌に…
民衆の「ルサンチマン」=社会への不満や、自分の生活への不安、うまくいかない事への怒り…
そしてうまく行っている者が他にいるという事への嫉妬心、にあるということが書かれていました。
こちらの『レイシズム』でもまた、レイシズムが生み出されてくる土壌には…
その社会で多数派を占める人々の、ルサンチマンがあることを指摘していました。
興味深いことです。ルース・ベネディクトはこのように書いています。
本質においてレイシズムとは「ぼく」が最優秀民族の一員であると主張する大言壮語である。…(それによって)自分にはそれほどの価値がないとか、あるいは他人から批判されているとか、そういうものをすべて無視することができる。自分がそれまでにやってきた恥ずかしいこと、思い出したくないことをすべて消し去ることができる…相手を「劣等な人種」と言ってしまうことで痛みを無化できる。母親の子宮の中にいるような究極のポジションが手に入るのだ。
だからレイシスト、人種差別をする人間は、いくら論理を尽くしてそれが誤りであると指摘しても…
自分の考えに固執して、決して手放そうとはしないのだ、とベネディクトは書いています。
そしてレイシズムを使えば、どんなに学問や理論だった考えに縁遠い人でも難しいことを考えなくて済み…
過去や未来についての、現実の困難から身をかわすことができる。
私たちが傲慢無知であったり、あるいは恐慌に煽られて平常心を失うとき、分かりやすくて耳に心地よい物語がそっと忍び寄る。自暴自棄になったとき、私たちは誰かを攻撃することによって自分を慰める。
こうして人の心を捕らえ、他人を不当に攻撃し、自分を「上げる」行為が好まれ…
結果的に殺人を含めた、大変な悲劇、惨劇のもとになってしまうというわけです。
では、レイシズムの跳梁跋扈を防ぐためには、どうすればいいのか。著者はこのように書きます。
失業者や低賃金で働かされている人たちが、自分たちの抱える恐怖や不安の代わりにレイシストの謳う「優等性」を吸い込む…社会が不景気の谷底にあるときに排斥感情は頂点に達する…
真っ当な家賃で清潔な住環境が手に入って、そして定められた労働時間で正当な賃金を得られるようになるまでは、生贄のヒツジが求められることだろう。産業界が自分たちに課せられた規制を社会的責務として受け止められるようになるまでは…レイシストたちがのさばることは止められない…
一方に飽食とモノ余りがあって、そしてもう一方に飢餓や失業が蔓延しているのを放置するのであれば、何もせずに大洪水がやって来るのを待つようなものである…全ての人間に、日々の糧が得られるような労働の機会を作ること…教育および健康と、そして万が一の場合には逃げ込むことができるシェルターを全ての人間が手に入れられるようにしなくてはならない。
つまり「差別はいけない」という啓蒙も大事だけれど、それよりもっと、社会にまん延する…
いわゆる「ルサンチマン」を解消するべく、具体的な社会の改良のための施策がとられなければならない。
とくに、最低生活水準の引き上げ、すべての人への市民権の保証が必要だと著者は語ります。
そして、こう警告しています。
全員にフルスペックの人権を保障することは、マイノリティのためだけの策ではない。少数派は生贄にされているだけであって…もしも私たちが平等のための対価を払わないのであれば、迫害する側にいた個人が、いつ罠にはめられて、そして反逆者として指さされることになってもおかしくない。
人種差別を最小化するためには、差別につながる社会状況を最小化しなければならない…差別の口実が人種であろうと、それ以外のことであろうと、このことは変わらない。いずれの場合にも、社会としてあらゆるマイノリティ差別の撤廃に向かって行くことこそ健全と言うべきではないだろうか。
少数派の生活を保障することは、マジョリティの側も、つまり今は迫害する側に立っている人も、将来の生活について安心できるような仕組みを作ることである。そうでなければどのような条文も、保護政策も、結局はまた新たな犠牲者を、絶望を忘れるための生贄を生み出してくることになるだろう。
全てのマイノリティ差別の撤廃を求める主張は、今から84年も前に書かれた本だという事を忘れさせる…
極めて現代的…というか、時代を超越した、すぐれた普遍性を感じさせます。
ルース・ベネディクト自身がレズビアン=性的マイノリティであったということも…
こうした思想の先進性に貢献したのでしょうか。
ちなみに私は…
差別の問題をはずしても、セクシャルマイノリティにはポジティブな存在の意味があると考えます。
近年、人間以外の哺乳類にも広く、様々な性指向に基づいた行動があることがわかってきていますし。
最後に著者は、教育の重要性についても書き記しています。ここには、二つの目標が挙げられています。
一つは、社会科を通じて人種のファクト(どのような観点からもそこに優劣は認められない)を教える事。
そしてどんな文明の中にも、多くの人種による貢献が入り混じっていることを、きちんと教える事。
二つ目は、異なる(人種の)グループもお互いに関係し合い、(経済など様々な面で)支え合い…
補完し合って存在しているのを教える事。
だということになっています。
日本人も、そうです。いくら中国が憎い、韓国が嫌いだと「レイシズム」に駆られて言っても…
中国は日本にとって最大の貿易相手国であり、経済的な依存の状況からは逃れられず…
韓国とも、文化、政治、経済のすべての面で、パートナーとならざるを得ない関係です。
(何より同盟国の米国が、日韓の協調を望んでもいます)
憎しみ合いからポジティブなものは何も生まれないし、憎しみを突き詰めて行けばその先には…
間違いなく、私たちの国と生活と命の破滅が待っています。
また、目を遠くに転じて見れば…
ウクライナ人とロシア人の戦争。そしてユダヤ人がパレスチナ人に対して行っている殺戮。
それらが世界中の人々の暮らしに与えている苦しみと、世界大戦に繋がる可能性から来る死の恐怖。
現在進行形で世界を破壊しつつあるのは「レイシズム」そのものだとも言えるでしょう。
こうした状況で、この著作はまさにエバーグリーンな、多くの示唆を私たちに与えています。
個人的評価は、文句なしのフルマーク★★★★★です。