皆様お久しぶりです。
デジタルデトックスをしているので、精神衛生の状態は良好です。
とくに変わったことはないのですが、一昨日、実家の地域のケアマネさんとお話したら…
「お父さん、私の見たところではもうじき歩けなくなります。残念ですが…」
「今のお宅では車いすでの生活ができないし、そうなったらご本人の希望でもあるし…」
「施設を探すのを始められたほうが良いかと思います」と言われてしまいました。
早ければ夏前、どんなに遅くても年内には、歩けなくなるだろうとのこと。
認知機能のほうも、だいぶ怪しくなってきているし。
どうやら今の生活にも、区切りを付ける時期が来たようです。
父は案外いくじが無い方なので、施設に入ったら急速に衰えそうな気もしますが、仕方ないです。
父の世話と、母の施設への「通勤」で活躍してくれているペッピーノさんは、相変わらず元気。
タイヤの空気圧を少し上げてみたら、燃費も向上しました。
エアコンやオーディオなどの付属機器も含め、一切不具合はありません。常に快調そのもの。
今日、洗車したので写真を上げておきます。いつも代わり映えしないカットですみませんが…。
とにかく、もうじき車歴19年になる古車だなんて、全然思えないです。すべてが新車みたい。
走行距離も、もうすぐ10万キロに達しますけれど。
(グローブボックスの蓋がちょっとズレてるのが、古さを物語っているぐらいです)
まあ、先代のメメも20年以上経過するまで、エアコンとオーディオ以外に故障は全然なかったですから。
(いつも言ってますが、皮肉なことにメメの場合、エアコンとオーディオだけが日本製だったんです)
「アルファロメオは故障が多いから、手間も金もえらくかかる」という風説は…
私の経験上から言うと、嘘である、と言うしかないです。
やはり噂より、実体験ですよ。30年以上アルファオーナーをやって来た者として言わせてもらえば。
風説は、たまたまはずれの個体をつかんだ運の悪い人の体験談だけが、目立っちゃっているんでしょう。
それでなければ、メンテナンスの仕方か、使い方が悪いんだと思いますよ。
ところで、デジタルデトックスを進める代わりに、勉強の方はがんばって進めています。
こちらのハンナ・アーレント『全体主義の起源』第三巻を読み終わりました。
結論から言うと、めちゃくちゃ面白い本でした。勉強にもなったし、考えさせられたし…
全体主義国家について、しっかりした典拠をもとに描写、分析、評価されていて…
その実態は、心の底から戦慄せずにいられない、想像を絶するものでしたけれど。
個人的満足度で★を付けるとしたら、フルマークの五つ星です。
ただ、この本で扱っている「全体主義国家」の定義は、一般の人の理解とは違うと思います。
その例として、この本ではヒトラーのナチス・ドイツ(ナチズム)と…
スターリン統治下のソヴィエト・ロシア(ボルシェヴィズム-スターリニズム)が上がっていますが…
今現在、アーレントの定義での「全体主義国家」は、とりあえず地球上に存在していないかも。
敢えて言えば北朝鮮がそれに近いのかもしれませんが、実態をよく知らないので、何とも…。
ポル・ポト=クメールルージュ支配下のカンボジアはミニ「全体主義国家」だった可能性もあります。
今の中国や現在のロシアなどは、実態は権威主義国家、専制国家であるとは言えるでしょうが…
ここでいう、狭義の「全体主義」には、まだまだ達していないですね。
戦前戦中の大日本帝国も、国家神道を基本に置いた、宗教的権威主義国家ではあるけれど…
ここでいう「全体主義」ではないかなと思います。
「全体主義」の特徴は、猫の目のように刻々と変わる政策や、仕組みが安定しないことがむしろ望まれる…
外から見ると滅茶苦茶な官僚機構にその特徴がある、ということに、アーレントによるとなります。
なにより「全体主義国家」は、個人・集団の権力欲や名誉欲、経済的野望などで動くのではなく…
あくまでも、狂信的な「イデオロギー」の、現実世界における実現がその絶対的本義なのだと。
たとえば、権威主義国家や専制国家では、政治的反対分子や政敵の「粛清」が行われます。
また、差別されている人種集団や、ある「階級」の者、障害者などが捕まって収容所に入れられたり。
ところが…
「全体主義」の粛清の実体は、何もしていない市井の一般人まで、むやみやたらと理由をつけては…
信じられないほどの数を、逮捕して強制収容所に送り込んで「消して」しまうというのが特徴なのです。
スターリン統治下のソ連の場合だと、計画経済のために、立ち退いて潰された村の村人が…
国家の「機密に接触した」という理由で収容所に入れられたり。
戦争で国外の占領地域にしばらく駐屯し、帰国した兵士までが「外国人と接触した」という理由で…
強制収容所送りになってしまう、ということが普通にあったそうです。
国家や独裁者のために命を賭けて働いたり、大きな犠牲を払った人たちまで、容赦なく始末してしまう。
すべて、現在の世界と、未来における「イデオロギー」の貫徹のために。
それどころか、みずから国家のイデオロギーに賛同して、進んで政策に迎合したような人々も…
「自主的な思想を持っている」という理由で、むしろ危険分子とされて始末されたり。
さすがに、今の中国やロシアでもそここまでしないでしょう。すべては「イデオロギー」のため。
そんなことは、本来合理的、合目的的なことではない。
しかも独裁者以外に、国内に「安定した権威者」「権威集団」が生じることを極端に恐れるあまり…
政策を実行する官僚組織を頻繁に作り替えたり、重要な仕事に就く人間を次々と取り換える。
ナチの場合は、新たな組織や人間に権限を委譲して、古い方は完全に無力化するだけでしたが…
スターリンの場合は、いちいち「粛清」して、すべての関係者をこの世から抹殺していたようです。
とにかくこれでは、本当のテクノクラート集団や、専門技能を持った人間が出て来ないから…
生産性が下がり、経済活動や、軍事行動の面にも明らかな悪影響が出ます。
ナチス・ドイツ軍が大戦の後半、指揮命令系統に問題が生じ、戦況が悪化したのは…
前線から有能な指揮官がいなくなってしまったから、という一面もあったようです。
アーレントの説によれば「全体主義国家」は、目の前の事業の成功を目指しているのではなく…
ナチズムの場合は、それこそ数百年をかけて「優等人種」だけによる世界=千年王国を建設するため。
スターリニズムの場合も、淘汰されつくす「階級」を、完全に地球の隅々まで駆逐し尽くして…
社会主義による世界国家を建設するという、イデオロギー的大義のため。
そのためには目の前の失敗や損失、当面の敗北など何ほどの物でもない、という。
まさに、狂気の沙汰です。イデオロギー、イズムの恐ろしい一面です。
これが本当の「全体主義」の姿、だとアーレントは主張しているのです。
そして、そんな「あってはならない事」が、現実に起きたのが、二十世紀という時代だったと。
もちろん、アーレントの定義や論の展開が、すべて正当というわけではないでしょう。
実際に、社会学、政治学、歴史学、哲学、それぞれの世界で、彼女が唱える「全体主義」の定義が…
どれほど受け入れられているのかも、今のところ、私には分かりません。
でも実際に、そういう信じられないような狂気の国家が、過去に存在していたのは確かなのでしょう。
そして、この後の未来に、そうした「全体主義」の悪夢が、復活して来ないという保証はない。
そんな悪夢を蘇らせないための、処方箋のようなものを、とりあえずアーレントは提示していません。
ただ…
この本は、今から70年以上も前に書かれた、もはや「古典」になりかかっている作品です。
しかし現代の私たちは、ここに書かれている恐怖の世界を、過去のこととして片付けられるでしょうか。
今日の「マルチメディア社会」「ネット社会」に生きている大衆には、こうしたプロパガンダに…
引っかかってしまい易い傾向がみられる、と私は思うのです。
国が、世界が、不安定化し、大衆の間に、社会への不満、不安、疑いの気持ちが充満していて…
しかもネットなどに溢れる情報の洪水の中で、リアルな経験や、密な人間関係に恵まれていない…
孤立した、バラバラの、「根っこのない」人々が増えている現在。
結果として、デマや陰謀論に飛びつく人が、そこら中に溢れています。
分かりやすい幻想と、確固たる世界観を与えてくれる(気がする)「全体主義」のプロパガンダは…
今現在の状況では、案外、人々の心をとらえるかもしれない、と私は思います。
それを避けるためには…
人間に均一さを求める、単純な世界観や、わかりやすい正義に惑わされないこと。
日本人、中国人、アメリカ人、などという「単数形」の大雑把な枠組みに…
自分自身も、他の人々も、雑に投げ込んだりせず、きちんと「個」であり続けること。
人や考え方を「好き」と「嫌い」、「善」と「悪」、「敵」と「味方」といった二分法で捉えないこと。
勝ち負けだけにこだわって、ただむやみに他人と競ったり、戦ったりしないこと。
優劣や差異にこだわって人の間に壁を立てるのでなく、ちゃんとコミュニケートしようと努めること。
この複雑で多様な世界を、複雑で多様なまま……そのまま受け入れること。
そうしたことが、あってはならない「全体主義」の復活を食い止めるのではないか、と私は思います。
最後にこの本の中から、私たちに刺さるかな、という文章を抜き出しておきます。
実体験に基づかない、架空の情報やデマに踊らされ…
また「生産性のない人間は必要ない」などという言説がまかり通る…
そんな今の私たちの状況を考えて、読んでみて下さい。
この大衆時代ー失業の亡霊が徘徊していないときにすらも、すべての人間が自分は〈余計者〉ではないかと恐れている時代において、いかに多くの人間が何らかのイデオロギー的口実のもとに、一定の期間を置いてこの〈余計者〉を淘汰してくれるあの人口政策家たちに、欣然として賛同しているか知らない。さらにまた我々は、いかに多くの人間が現代の状況下で重荷を担い、かつそれに耐える能力がますます失われていくのを知って、自己決定を奪うとともに、自分自身の生活についての責任をも解除してくれる体制に、自分の意志で服従するか…それを感じることはできるのである。
この体系の本当の異常性は…あらゆる実在経験(リアリティ)を無視した結論にある。一義的な世界像を、まったく矛盾を含まない世界観を持ちたい、というよく知られた願望は、現代の大衆が経験というものを奪われていることの結果であって…すでにこの願望の中に、かぎりない多様性を持っていて、決して一元的に把握することのできない、純粋な所与としての現実や事実への蔑視がある。この蔑視こそ全体主義の虚構的な世界の、顕著な特徴の一つをなしているのだ。