昨日の続きです。
政治、社会学、哲学の分野で使われる「加速主義」について…
続いて日本の思想家として、宮台真司について、加速主義との類似点を問いました。
つまらないかとも思いますが、今の無料版ChatGPTの知識と思考のレベルがこのくらいで、考え方の傾向はこんな風だというところをご参考までに。
まあ折衷的で優等生的な発言には終始しますが「彼」は加速主義にはかなりネガティブな立場をはっきりと取りたがるのが分かります。
それが現代の標準的な思潮ということなんでしょうね。
では、どうぞ。最後に私の感想を述べますので、興味無いかたは飛ばして、そちらをお読みください。
去年は話にならない、知ったかぶりのデタラメくんだった「彼」が、たった1年でここまで成長したのですから…
感涙にむせぶ…わけにもいかないですよね。
来年は、再来年はどうなっているか。
その辺の大学で適当に一般教養科目を講義してる、研究もろくにしない文系の教授なんて、すぐにお払い箱になるのではないかと。
何より私みたいな外国語の翻訳や通訳をやっていた人間が、真っ先にお払い箱になっちゃったわけですが。笑
これから「AIの劣化版みたいな仕事しかできない」と言われないようにするためには、どうしたらいいか。
機械が取って代われないような、人間のプロフェッショナルとは、どういう者なのか。
なにしろ彼らマシンは、疲れを知らず休みを取らず、報酬も要求しないのですから…。
しかも世界中の電脳空間に蓄えられた情報、ビッグデータを自在に利用してものすごい速度で学び、進歩し続けるのですから。
経済効率優先の社会をこのまま続けるとなると、人間は頭脳でも肉体においても、労働市場で、マシンに対しての弱者にならざるを得なくなる可能性が高い。
コストがかからない、そしてより効率よく、たくさん儲かる、が至上価値であって、その自由な競走が正義だ、弱肉強食だ!
でやっていると、最終的な勝者が誰になるのか。何となくわかって来た気がします。
進歩と競争が全て、の世の中で大丈夫なのかどうか。生成AIを見て、よく考えないといけないのではないでしょうか。