各種うどんやそばから生パスタまでを製造する傍ら...
小さな店舗で、立ち食いうどんそばを食べさせてくれます。
ここ、私が中学生のころに一番仲良しだった友達の実家なんです。
かなり長い間年賀状のやり取りをしていたんですけど、今は連絡も絶えて、彼のことを忘れかけていました。
でもブログのフォロワーさんの記事にこのお店のことが出てきたのを見て、思い出して懐かしくなって。
我慢できず横浜から日暮里まで、東京の街をまるまる通り抜けて、行ってしまいました。
もしかしたら、お店のご主人は友達その人なんじゃないか、という期待もあって。
でもご主人は彼ではなくて、お兄さんでした(多分)。彼はいまも郵便局に勤めているとのことで、不在でした。
がっかり。一応私が来たことを伝えてくださいとお願いして、お蕎麦を食べて帰りました。
他に珍しい「ひもかわ」(群馬名物)とか「細うどん」もあるのですけれど、売り切れだったので蕎麦にしました。
さすがに蕎麦の麺がとても美味かったです。御汁は東京の下町らしく濃くて塩気が強めでした。そして、安い!
またいつかリピートしてみようかな。今度は朝早めに行って細うどんとか食べようかな。
ちなみに、また下道だけ使ってペッピーノさんで行きました。都心を横切って。皇居のお堀端とか見ながら。
(写真は別のときです)
最近は母の相続の件で、あちこち駆け回っているので、相変わらず毎日稼働させているペッピーノさんですけど...
都心を横断してまで車で行ったのは、やっぱり運転したかったから。
もっとも駐車場代は下町価格で、たったの200円。往復のキロ数を考えると、ガソリン代を足しても...
往復の電車賃+100円くらい。それなら運転して行く、一択です。
そうしたくなるのは、東京の下道をジェントルに運転しても、たとえ渋滞に巻き込まれても、運転することが楽しい車だからですよ。
クイックだけれど、頭で考えた通りのライン取りを、まるで車が汲み取って勝手に曲がってくれるかのような、リニアなハンドリング。
エンジンの鼓動を、止まっていても音と軽い振動でいつも感じられる。回せばテノールの良い声で歌ってくれる。
回転数はアクセルの開閉に従って、軽くかつ不自然さが微塵もなく、俊敏に上下する。
トルクは下から上まで常に太くて、どこからでも余裕を持って楽々加速。
ブレーキは純正でないので、慣れないとちょっと効きが強すぎて、スムーズに止めるには足先のフェザータッチが必要ですが、慣れれば安心感抜群だし。
シートがよく出来ているためもあって長時間運転しても全然疲れない。
意外にボディがコンパクトだから下町の狭い道でも、ストレスなく通り抜けられるし。
どこにでも乗って行きたくなる。いつまでも運転し続けていたくなる。そして毎日それを繰り返したくなる。
単なる移動の道具じゃない。喜びや楽しみ、わくわくする気持ちをいつも与えてくれる。
飛ばしたり振り回したりしなくても。いや、渋滞にはまって止まっていてさえも。
それでいて、大人5人を運べて、荷室もそこそこ広くちゃんと実用的です。
噂とは違って故障もしないし。
ほんとドイツ車に乗ることを考えれば手のかかり方は全く変わらないですよ。嘘じゃないです。
アルファロメオひと筋で三十年以上の経験を持つ私が断言します。
なんで人は、こういう人間の経験から出る、意外に思える?証言よりも、深くは知らない、または何もわかっていない者たちのステレオタイプな噂の方を信じるんでしょう。
何でもステレオタイプな物の見方で済ませる人生では、本当のことなんて、結局何も知らないまま終わってしまうのに。
じゃあなんで外国車に乗るのか。コミコミ59万円で安い、しかも世間の人はよく知らないから、見栄をはれるわけでもない車に乗ってるのはなんでなのか。
日本車とは全く違う、物作りの思想を実感すること、いわば異文化に触れて見聞を広めること、別の価値観を知ることが、あえて輸入車に乗る意味なのではないかと思います。
作り手がこだわるところ、気にしないでおざなりで済ますところが、どんな国の製品にもあるのです。日本の車にも、もちろんあります。
それが文化の違い。
だから、日本車からはとても遠いところにあるイタリアの車こそ、選ぶべき選択肢だと私は思うんです。
異文化理解なんてめんどくさいとか、興味無いということなら、素直に日本の車に乗っているのが正解じゃないでしょうか。
唯一困るのは、ペッピーノさんの場合は生産終了から20年近く経つ古い車なので、部品がほとんど生産中止で手に入りにくいこと。
手に入っても、国産車よりはやはり高い。
でも機械ものだからパーツの経年劣化はあるので、どうしても交換の必要があるのです。
ペッピーノさんの主治医であるマエストロは、なるべく純正パーツでなく、よりコスパの良い代替品で済ませるようにしてくれますが、限界はあります。
先日、車検に通らなくなってしまったヘッドライトとか。
それを避けたいなら新しい車に乗るしかないんですけど、いろんな電子制御装置やドライブアシストで洗練されすぎた今の車では味わえない...
プリミティブなガソリンエンジン車の良さが、旧車にはやっぱりあるんですよね。
車に「乗せられている」ということにさえ、もはやドライバーが気づけなくなった、気づかせないようになった今の車にはない良さがある。
峠道を速く走るにせよ、街中を安全かつ綺麗に走るにせよ、ドライバー自身のスキルがもっぱら頼りだった時代。
今はマシンの方が立派になり過ぎてしまったけれど、まだぎりぎり、機械と人間が対等に対話しながら付き合えた時代。その良さを残した車が私は好きです。
デザインも、昨今の車はフロントグリルと前後のライトの形状でばかり個性を主張しているように見えます。
でも少し前までは、カーデザイナーも彫刻のように、全体や細部のシェイプに、もっと力を入れてデザインしていたように思うのです。
もうそういう車が作られることって今後はないのでしょうか。
だとしたら寂しいことです。
私は公道での運転歴が43年。
クローズドのサーキットではスポーツカートに始まり、KP61スターレットを単座に改造したレース用車両...
さらに、電子制御装置も、空力パーツさえもない、原始的なフォーミュラフォードに乗って、プロ志望者のための訓練も受けてきました。
そうした全ての経験の後で今になって思うのは、飛ばさなくてもドライビングを楽しめる車...
何なら信号待ちや渋滞で止まっているときでさえも、車と対話することで、運転者の気分を上げてくれる車...
それこそがドライビングプレジャーを突き詰めた車だと思います。
そういう観点から...
アルファ155ツインスパーク=メメと、アルファ156V6=ペッピーノさんは、それぞれ楽しさの味付けは違うものの...
ドライビングプレジャーと実用性とを両立させた、最高の車たちだと思っています。
32年前、アルフィスタになって、浮気をせずにやって来たおかげで、最高のカーライフを味わえた私は、やっぱり幸せ者です。