葬儀のときにはさめざめと涙を流していた息子。その場で妻から「泣いてるの?」と訊かれると「泣いてない」としらばっくれていましたが...
あとから「そりゃあ泣くよ。僕にとってはいいおばあちゃんだったから」と。
ついでに「お父さんが、おばあちゃんの最期にあたって和解したという話を聞いたときも、良かったなと思って少し泣いた」と告白。
彼はもともと涙もろい性格で、何か本を読んだり映画を見たり、果ては家族から誉めてもらって...
ありがたさで感激したときにまで涙を流したりするので、まあそんな折には泣きますよね。
感激したり心が動いたとき泣きやすい性格はうちの妻、彼の母親譲りでしょうか。
ところで日本の男は「何があっても泣かないもの」とか「泣いてもいいのは自分の母親が亡くなったときだけ」とか言われたりします。
今となっては古い徳目?なのでしょうが。
外国では「男は泣くな!」などという徳目?は、私の知る限りどこにもないのですが、日本にだけそういうのがあるのはなぜでしょう。
(日本以外では男の子に泣くなと強制なんかしないという事実さえみんな知らない)
武士、侍の心得?
いやいや、そんなことは、どうもないらしいです。少なくとも江戸時代までは。
江戸期までの文学や芸能では男が普通に涙して、それを恥じる様子は別にないし。
もちろん平安文学に出てくる貴族の男たちはしょっちゅう涙で衣の袖を濡らしています。
侍でも、例えば「平家物語」の中の、一ノ谷の戦いにおいて平家の年若い公達、平敦盛を討ち取った熊谷次郎直実が...
我が子と同じくらいの少年を手にかけるつらさに、涙にくれる場面が出てきます。
荒くれ者揃いの源氏武者の中でも特に「剛の者」として名を馳せた熊谷直実でさえも、普通に泣く。
その報告を受けた大将の源義経も哀れに思い落涙しています。
この平家物語での逸話は、後に、能や幸若舞、歌舞伎や文楽の演目にもなって、長く、広く、身分も問わず多くの人々の涙を誘って来たものです。
「男は泣いてはいけない」というのはどうやら武士道とも関係ないようです。
もちろん西洋の騎士道にもない戒め。
時間的には、江戸時代までなかったこと。空間的には、世界の中で日本だけで言われること。
多分ですけれど、明治以来の富国強兵の流れを受けて、日本の男を全員「皇軍兵士」とするべき教育がなされる中で...
どんなに苦しい状況でも、悲しい場面でも、感情を動かされることなく兵隊の任務を果たせる男になることを求められたところから始まったのではないかと。
理想の兵士というのはターミネーターのような鋼の肉体と、サイコパス的な非情なメンタルを持った者に違いないですから。
戦闘用ロボットは、泣く必要が無いし泣くはずもない。
そういうのが理想の男だった時代の名残りが「男は泣くな!」なのではないかと推測します。
もうこの国も、カルト的軍事国家ではなくなったのだから(それに戻そうという力も強く働いていますが)いいんじゃないですか?男が泣くのを我慢しなくても。
人間性を捨ててまで理想の兵隊になることを求められる異常な時代が、どうか二度と来ないようにと願いながら、私も涙はこらえずに生きようと思います。