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アルファロメオと小倉唯

手遅れになってからでないと真剣に考えない

父のアテンドをする日々も、なんとなく先が見えて来ました。

 

昨日は、父と一緒に母との面会に行こうとしたのですけれど…

 

玄関のたたきで、自分で靴を履こうとした父、いつもは靴べらの先で靴を引き寄せて履くのですが…

 

昨日に限ってなぜか、かがんで靴に手を伸ばそうとしてバランスを崩し、その反動で後ろにひっくり返ってしまいました。

 

幸いけがはなかったのですけれど、お尻を床につけてしまうと、もう大変なことになってしまう父。

 

仰向けに倒れたのを、立ち上がるために腹ばいにさせることさえ、えらい苦労で。

 

腹ばいになっても、そこから立ち上がる力が、足にも腕にもない。

 

玄関付近にはつかまる所がないし、あったとしても、つかんで体重を支える握力もないですから、役に立たない。

 

しかもバランスを取るのが難しいし、廊下の床はつるつるしていて滑るしで、70キロ近い体を何とか直立させてあげるのに…

 

少なくとも15分は、二人とも汗だくで格闘することになってしまいました。

 

玄関に折り畳みの椅子でも置いておいて、そこに腰かけさせて、靴を履かせてあげるしかないのかも。

 

とにかくかがんで床に落ちた物を拾うのも、バランスを崩すので、危なくてできない状況ですから

 

というか、もう自立歩行は無理ですね。車いすに乗ってもらうしかない。

 

そうなったら、狭い廊下はどうしようもないし、トイレも狭くて使えない。

 

もはや「通い」の介護は限界に来ました。というか、もうとっくに限界に達していたんですけれど。

 

そうなったらもう介護施設に入る、と言っていた父。

 

いま母が入っている施設は、母も一応満足しているようなので、そこに入りたいと。

 

幸い、今なら空きもあるようです。

 

ただ、判断力と決断力が著しく衰えてしまって、買い物をしても、たとえばAを買うかBを買うか…

 

迷って、撤回して、棚の前で大げさでなく3往復ぐらいして…

 

その上、しばらくしてからまた気が変わって、何度も私が売り場に戻って取り換える、という作業をしないといけない状況。

 

商品のパッケージや、値札も良く見えないので「これは何だ」「こっちは何だ」と言われて、丁寧に説明してあげないといけないし。

 

とにかく、老人の世話は「効率」だの「タイパ」だの言っていたら、とてもできない。その真逆を行かないとうまく行かない。

 

非効率と、突然の変更、とにかく時間をかけること、これを嫌っていたら、できない。

 

人生経験を経て来て、その人なりにプライドが高いので、子どもを相手にするみたいに、せかしたり叱ったりしたら駄目だし。

 

特に男性は性格の攻撃性が強くて、公共の場所にいてもすぐに烈火のごとく怒ったり、怒鳴り出したりするので、難しい。

 

それを温かく見守ってくれる「世間」ではないですしね。みんな「自分もいずれああなるかも」とは夢にも思わないのでしょう。

 

そんな周囲に気を使いつつ、ひたすら気を長く持つこと、忍耐、辛抱が必須。

 

高齢になると、脳の、わがままや感情爆発を抑える機能が衰えてしまう、というのはもちろんありますが…

 

体や頭が思うように動かなくなっていることの自覚もあるので、そんな自分に自分でイラついてしまう部分もあるのだと思います。

 

そういうわけで、何か商品を一つ買うのにもえらい時間がかかってしまうし、ときにはイラついて大声で怒鳴るし。

 

棚の前や通路で、必ず、ぐずぐず立ち止まることになるし…

 

歩行速度自体もカタツムリの動きみたいなので、売り場の通路で、父の後ろに人の渋滞が出来てしまって…

 

周りの人も迷惑そうにするしで。

 

なので、最近はなるべく私がひとりで買い物をするようにしているのですけれど…

 

それでも、自分でスーパーの棚に立って、自分で買い物をしたいという気持ちが強いようです。

 

商品のパッケージや、値札も良く見えないので「これは何だ」「こっちは何だ」と言われて、丁寧に説明してあげないといけないし。

 

とにかく、身体と頭の機能が衰えた人を、公共の場に連れて行くのは、ストレスだし物凄く気疲れします。

 

で、話は戻りますが、玄関でひっくり返ったことは父もショックだったようで。

 

その後、母との面会は一応できたのですが「むしろお母さんのほうが元気そうだ」と。

 

お昼を食べながら「もういよいよ限界だな…」としみじみ。

 

右半身不随と、車いすに既に乗っているということはあるのですが、たしかに母の方が活力があって健康そう。

 

身の回りのことの、心配が全くない、というのもあるのでしょうか。

 

しかし父も、昨日決めた大事なことや、出来事、人と会ったことを、翌日には完全に忘れてしまうという認知機能の状況ですから。

 

介護施設に、納得して入所するというふうに、すんなりいくかどうか。

 

平滑で傾斜のあまりないところを、じりじりと歩行するのがやっとなのに、いまごろになって…

 

「入る墓がないな。あちこち見て回らないと」なんて言っていたり。

 

だから「元気なうちに何とかしないといけないよ」と、あれほど助言したのに。

 

「ゴルフの会員権が」とか「ゴルフ道具が貸物置にいっぱいある」とかいろいろ言い出したし。

 

いなくなってしまってから、葬式だ、墓だ、遺産や遺品の整理だと、大変なことになりそうです。

 

とくにうちの父は「最近まで、自分だけは死なないんじゃないかと真面目に思ってた」とか言ってるような、困った人なので。

 

後の処理は何もかも、一人っ子の私に、ぜんぶ丸投げされている、という。

 

人間、何につけ手遅れになってからでないと、真剣に考えないという悪いクセがあるみたいです。

 

個人的にも、社会全体としても。

 

 

そう、少子高齢化問題だって、70年代には既に、社会学者や統計学者によって予見され、警鐘が鳴らされていたのに…

 

みんな目の前の現実だけ見て「そんなことあるわけない」「机上の空論だ」と高をくくり、バカにしていたからこうなった。

 

そして、もう今や手遅れ。

 

いま、いろいろと警鐘が慣らされている不都合な未来だって、みんなまだどこかで…

 

「大げさだ」「まさかそんなことない」と高をくくってるでしょう?いまに後悔します。必ず。

 

それか、子や孫の世代が何とかすればいいと、責任放棄して、全部丸投げの押し付けで、いいと思っているか。

 

みんな、我が子が大事、孫がかわいい、などと言ったり思ったりしているけれど、本当に自分の心理を深く見つめてみると…

 

自分自身が一番大事で、子や孫を見て「かわいいな」と良い気分になる、自分を愛しているだけなんじゃないですかね。

 

でなかったらいろんな世の中のデタラメを放置して「忙しいから考えてる暇がない」と開き直ってる人が、こんなに多いわけがない。

 

ぜんぶ誰か他人がなんとかしてくれる、自分の子や孫たちが何とかするだろう…

 

あるいは、ほっといてもなるようになるさ、と。

 

本当にひまがない…ぎりぎりのカツカツで毎日のすべての時間を回している人も、もちろんいるでしょうけど…

 

いろんな趣味や娯楽、行楽を楽しむ時間があったり…少なくともこうやってブログなんて書いたり見たりしている私のような人間は…

 

そんな言い訳できない。

 

で、いよいよ眼前に苦難が迫って、にっちもさっちもいかなくなったら、そのときになってわーわー騒ぐという。

 

要するに、怠惰なのか、いろんなものをなめているのか、想像力が足りないのか、いくじがないのか、それとも根本的に無能なのか…

 

私自身を含め、今の大人たちは、みんなそのどれか、もしくは全部が当てはまる人たちなんですよ。厳しいことを言えば。

 

次の世代が気の毒です。

 

ああ…「終活」ね。せめて個人としては、ちゃんとしておかないといけないですね。


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