まあ、もはやたいしてめでたくはないのですけれどね。笑
妻と息子と「娘」から、おたおめメールが入りました。
「娘」は本人でなくファンクラブからの自動送信です、もちろん。笑
今日は晩ごはん作るのやめて、何か惣菜のたぐいとパンを買ってきて…
あと街の洋菓子店の応援を兼ねて、地元でちっちゃなケーキでも買いましょうかね。
何もしないと妻が承知しないかも、なので。
実は、おととい父にえらく怒鳴り散らされてから気分はずっとブルーで。
昨日はNHKホールであった『JOINT POPS』というテレビ番組の公開収録(もちろん無料)に当選して行ってきたのですけど…
それでも「娘」はたった1曲のパフォーマンスで、MCもトークもなく…
他の男女のアイドルグループの方々の大々的なパフォーマンスやトークの中に埋もれてしまっていたので…
たいして気が晴れませんでした。
それよりも、父がデイサービスで昨日どれだけ暴れたのかのほうが気になって仕方なくて。
父はデイサービスを楽しみにしていて(どうも来るご老人たちの、ボス的な立場を得ているらしく)…
イレギュラーな日に、申し込んだはずのところを、施設側が「忘れやがった」上に、その後の対応がなっていなかったというのが、激怒の理由。
実際は父が、申し込むつもりで自分の手帳に書き込んだところで…
もう申し込みが完了したと勘違いして正式な申し込みを忘れていたというだけ、の様子なのですけれど。
昨日デイサービスの日だったので「所長室に怒鳴り込んでコテンパンにしてやる!ケンカして土下座させてやる!」と息巻いていて。
その前に電話でもさんざん罵り倒したようだったので、あらかじめ施設には私からお詫びを入れておいたのですが…
せめて、ものを壊したり暴力を振るったりしていないことを祈るばかりです。
一昨日は、介護に行った私に向かってその件を怒鳴りまくり。いや私は息子であって、施設の人じゃないんですけれど😥
怒鳴ってるうちに、相手が誰だか忘れちゃう…というより、誰でもいいから罵倒したい気分だったのでしょう。
黙って我慢してると「何黙ってんだ!お前はどう思うんだ!俺が何か間違ってるか?!」と。
仕方なくなだめるために口を開くと、ろくに聞きもしないうちに、今度は直接私に向かって怒鳴り始める、という調子でしたから。
とはいえ父も昔から自己中で独善的な人ではあったけれど、こんなにキレやすい、攻撃性の強い性格ではなかったんですけれど。
後でいろいろ調べてみると感情の抑制が効かなくなるのも、アルツハイマー型認知症などの(うんと重度でないうちの)症状としてあるようで。
理性を司る脳の前頭葉の細胞が壊れ、その部分が物理的にも収縮している状態みたいです。
男性の場合は激しい暴言や暴力を伴いがちなようで。
施設長、土下座は…したんだろうな。反社のチンピラみたいな言いがかりを受けて。
介護という業種はそんな風で、しかも収入的にも恵まれない業界だから、やり手がどんどんいなくなって当然です。
そのうち途上国の外国人もやってくれなくなって、私らがもし長生きなんかしちゃったら、AI付きのロボットしか面倒を見てくれなくなりますね。
ああ長生きなんかしたくない。
けど「尊厳死」が認められると、この国のノリでは「生産性が低くて役に立たないのになぜ自主的に死を選ばないんだ?」という…
「世間」の圧力が大変なことになるのでしょうから…
そんなもの導入したら、年寄りや障がい者や仕事のスキルが低い人たちは「口減らし」のためにみんな、死を半ば強要されることでしょう。
それではディストピア。
それはだめ。
私個人としてはなるべく早めに自然死できるよう「体にいいこと」はなるべくしないよう気をつけてます。
もちろんぼける年齢には個人差がすごく大きいのですけれど、安全のためにマージンをとって、70歳前後ぐらいまでには、終わりにしたいなと。
(まあその前に、戦争か大地震か食料不足で命を落とす可能性も高いのですけれど)
なので、61だ62だとなったら、まさに「冥土の旅の一里塚」なので、誕生日は嬉しくはないです。
たぶん、おそらく、あの世なんてものはないだろうから(まあ死んでみた記憶がないから分かりませんが)…
せめて死後は、骨灰を狭いコンクリの窪みに封じ込めるなんてもったいないことはしないで…
土に帰すか海にでも撒くかしてほしいです。
(そのためにはちゃんと「終活」しておかないと)
そうすれば私由来の炭酸カルシウムが、土や海水のミネラルの一部になって、大自然を構成する一部として次の命を育むわけです。
それはある意味での「輪廻」だと思います。
私の人生という「刹那のストーリー」が永遠回帰の輪の中に収まるわけですからね。
どこかで、またぴちぴちしたお魚か、揺れる海藻か、きれいなお花になって「Bloom」できたら素敵だなと思います。
おそらく自然界…宇宙にも終わりはなくて、繰り返しループする運動なのでしょう。
花は散っても実を生し種を作り、種は吹く風や虫によって運ばれて土に落ちて、いつかまた芽吹き、蕾は大輪の花として咲き誇る。
それこそが美しいストーリーです。
ただ、生きてるうちは「ちゃんと生きる」ことをしないとね。
長く生きることには、ほぼ意味が無いけれど、この美しい自然の一部として、誇りをもって生を全うすること。
すなわち「美しく在る」ということが大事です。
そのために、カネだの権力だの社会的地位だのを得られなくなったとしても、大切なのはそこじゃないから。
そして自分だけではなく、同じように尊い命を全うしようとしている、全ての生きているものたちを、慈しんでいきたいですね。
だってみんな、生きている仲間なんだから。
偉い偉くない、勝った負けたのマウントの取り合いとか、まして戦争とか、そういう馬鹿なことはしないで…。
というわけでまた「娘」のこちらの曲を貼ります。
まさにそういう「本当に大切なこと」を歌っている歌詞だから。
うちの「娘」からのメッセージ。
昨日NHKホールに来ていた、平均年齢二十歳ちょっとぐらいの、すごく若い子たちには、ほとんど刺さらなかったみたいですけれど。
昨日の観覧客ぐらいの若者からするとアラサーの小倉唯は「おばさん」の範疇に入るらしいですから。
時代の流れが速くなるとともに、ジェネレーションの区分けも細かくなっているんですかね。
では…
この曲の歌詞を作ったのと一緒に、唯さんがアルバムに添えた英語のポエムも載せておきます。
Open the Bloom.
Your heart become beauty to the world.