そもそも我々一般市民はどうしようもない、蚊帳の外のことなんだし...
誰が総裁総理になろうが、後ろにいるのはスガ、アソーら老いたボスたちなんだし...
そいつらだって、日本会議だのトーイツキョーカイだの神社本庁だのの、影響下にあるわけだし...
それら全ても、直接間接に米国のジャパンハンドラーの意を受けていて、それに反したことは絶対しない。
アホらしい茶番ですね。
そして小泉進次郎...意味不明の語彙と文脈で展開される、お笑いポエム「小泉構文」があれだけバカにされた男なのに...
ここへ来て突然、メディアとネット言論で、持ち上げられ出しました。
大衆もそれに乗せられ始めてる。
あれほどコケにしてたのは、何だったの?
ほんと、チョロいですね。
どうせ「みんなが推すなら自分も推す」なんでしょ。
ちょっと前まで、自分もバカにしていたことは棚に上げて。
小泉......まあ確かにイケメンかもしれないけど、顔で選ぶのなら、元ジャニタレとかイケメン俳優を首相にした方がよほどいい。
まだその方があんなボンボンよりは、厳しい芸能界で生き残ってきた分、性根が座っていることでしょうから。
「誰がなっても同じ」という考えにしたって「誰がやっても自分の生活は大丈夫。関係ない」という甘っちょろいことには、もうなりませんからね。
かつての泰平の世ならともかく、この激動と危機の時代では。
まあ「勝ち馬」っぽい雰囲気さえ出せれば、誰でも乗っかって支持するのでしょう。とりあえず。
よく日本社会は同調圧力が強い、と言いますけれど、圧力というよりは「同調志向」と呼んだ方がいいのではないかと思います。
多数派でいたい、数と力で勝つ方の味方でいたい、という自主的な志向なんだから。
とにかくみんなと一緒でいれば間違いない、安心、と思う癖なんですね。
自分の考えや価値観で、何かを判断することがない。
いや、そもそも個人としての「自分」がない人が多いのかもしれない。そういうのを持つような教育を受けていないから。
だから「みんな」から外れないように、はぐれないように、遅れないようにと、それだけ。
蟻とか蜂とか、イワシの群れに似てますね。
「こいつバカだぜ」となったらみんなで一斉に「やーい、ばーかばーか!」とはやし立てる。
逆に雰囲気が「いやカッコイイんじゃね?」という感じになったら「そうだねカッコイイ!ついて行きたい!」となる。
そういう論調、雰囲気なんて、カネを持っててメディアを抑えていれば、簡単に作り出せる。
まあ、あとは「権威」ですね。
みんなが感心するような、立派な肩書とか、出自、それから「ブランド」があれば、信用される。なければ無視される。
物に関しては「価格」も権威の基準になりますけれどね。高ければいいものだと。
私の親たちも、典型的なニッポンの大衆のひとりなので、これまでいろんな情報や意見を、私が言っても全く相手にしないのに...
全く同じことを「テレビで言っていた」「新聞に書いてあった」ということになると、そのまま鵜呑みにして...
こんなことを見た読んだと言って、得々と教えてくれる。こんな「真実」があるんだと。
「だからそれ、何度も僕が言ってきたことじゃない」と言うと「そうか?」と。
息子の口から出ればたわごとに過ぎないものが、テレビや新聞に出てくる「専門家」「識者」「偉い先生」の口から出ると、いきなり疑う余地もない真実になるという。
ネット情報だって同じでしょう。
うちの親が特別に愚かなのではないと思います。そんな風に精神の芯まで権威主義が染み込んでいる人が、ほとんどなのではないかと。
仕方ないです。幼少のころから「親の言うこと」「学校で習うこと」には間違いがない。だから信じて従いなさい、と教えられて育ってきたんだから。
「上の人」が言うこと(指示)を素直に受け入れる訓練、もしそれが間尺に合わなくても我慢する訓練ばかりやらされて来たんだから。
上下の別なく話し合って考えること、疑ってみること、批判的に考えること(クリティカルシンキング)は、西洋では教育の大切な根幹であって。
もともと西洋風の様々な思想や社会システムも、サイエンスやテクノロジーも、そうした態度が基本にあってこそ成り立ち、発展してきたのです。
明治政府は「和魂洋才」を唱えて来たけれど「洋魂」と「洋才」との間には、切っても切れない紐帯があったのを、理解していなかった。
とにかく急いで西洋風の重武装をして、とりあえず軍事国家にして、植民地化を防ごうという意図があったからだけれど...
その先のビジョンがなかった。
そうしてボタンを掛け違えたままやっていれば、やがていろいろとつじつまが合わなくなって...
周囲の世界との間の齟齬も大きくなって行って、しまいに破綻するのは必然です。
結果、大日本帝国はやっぱり滅亡したわけですけれど…
国の「作り直し」の試みは、戦後たったの2年間しか続かなかった。
その後はアメリカのための「反共の防波堤」となることが至上命題となったため、社会の支配層は保存され、権威主義も、上意下達の基本精神も、全体主義的な同調志向も戦前のようになり。
またここへ来て「和魂洋才」の歪みが限界に達して、国ごと行き詰まってしまったようです。
この状態だと、民主主義の(中身のない形ばかりの)システムなど、もはや正常に機能せず、その悪い点ばかりが出てきてしまう。
なーんて、権威者でなく、権力も持っていない私が、こんなところでちまちま愚痴を言ったところで...
響く人たちに関しては、言わなくても最初から分かっていらっしゃる。響かない人には言っても響く可能性がない。
なら言うなよ!
ということで、分かってはいるし、なるべく言わないようにはしているんですけどね。ついつい...
昨日、立憲民主党の代表選の候補者たちの会見も見ましたけれど。
ダメですね、あれじゃ。
吉田はるみ候補は、こういう時代だから女性もひとり入れておくか、というポーズだけの存在なのが見え見えだし。
政権交代は(ないと思いますが)もしあったとしても時間稼ぎの効果が期待できるだけで...
国を本当に良くする形での変化は起こせないでしょう。
自公維国、プラス立憲もダメ。しかも立憲の党首候補は、維新や国民民主以外との選挙共力を拒否、なんだから。
そしてどの党首候補も、それぞれもっともらしいことを言うけれど、結局はそろって大筋「前政権との政策の連続性を保つ」なんだから。
ひるがえって、れいわ、共産、社民が主軸の政権交代なんて、今この時すぐにあり得ると思いますか?
将来的に、もし有り得るとしても、その下地が作られるまでに何年かかりますか?そんな悠長なことを言っている時間はない。
改憲し、緊急事態宣言をしたくてたまらない連中は、事を急いでいますよ。カネとコネクションとメディアの洗脳力を使って、大攻勢をかけてくる。
その時は目前に迫っています。もうほんとに時間がないんです。
「体を張って止める」と言ったって、じゃあダイナマイトでも体に巻いて、ISの戦闘員みたいなテロ行為でもしますか?
そんなことしたらかえって大衆を恐れさせ、反感を買って、事態を悪化させるだけ。
そもそも、国民のメンタリティが根本から変わるというのは、容易なことではないです。
「メジャーなタイプの」昭和のオッサン、オバチャンのメンタリティを社会から引っこ抜くのは、自力では無理だと思いますよ。
何らかの形の、破壊的なほどの外圧がないと。
もしくは国家システムが破滅的な打撃を受けるくらいの、大災害にでも見舞われない限り。
でも、大丈夫。
何度も繰り返している通り、国家が滅びても「人」は、ちゃんと残りますから。
たとえ多くの犠牲が出るとしても、人が全部死に絶えることは、おそらくないでしょう。
そして今度こそは、ちゃんと新しい人たちが、新しい思考と行動の仕方を確立して、新しい社会を建設してくれれば。
それを期待したい。そう信じたい。
でないと、この国に子どもはこれ以上生まれてこない方がいい、もう生まれさせちゃった子には...
取り返しのつかない過ちを犯して、本当にごめんなさい!ということになりますから。
そうは思いたくないです。
新しい世の中に、自分自身はおそらく生き残っていないから、その様をこの目で見られないのが残念ですけれど。