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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・物欲・金銭欲・その空しさの・・例3

2012-06-23 23:02:24 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル・確実に幸せに成る為の学び~☆~物欲(金銭欲)・・その空しさ・・例3

◎ 絆・・・自分と繋がている絆・・・を図形にして考えてみると、果たしてその絆は、どれだけの繋がりが有るのだろうか?

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それぞれ人によって年齢によって立場によって違うだろうけれど、爺婆・両親・兄弟・子供などの家族、そして学校・職場・近所・町内などなど、そして特別な繋がりの異性や友達を全て上げて、自分を中心に書いてみる。

うざい煩わしい・・だから付き合わない・・差し支えの無い所から切ってしまうと、近所・町内・・と言った事に成るのだろうか。

例え、運命で血の繋がりで存在する家族でも、社会で関わってしまう絆も、向き合わなければ、ただのすれ違い人に他ならない。

絆・・・とは字を見れば、糸と糸を半分づつ寄り合わせて繋ぐ(結ぶ)・・と言う事になるだろう。その糸とは、愛であり思いやりの事で有り、一方的には結べない。双方が持ち合わせ、互いが向き合って初めて結ぶ事が出来る。

自分は、その糸を持たずして相手に求めるばかりでは、絆を結ぶ事など出来ない。

うざい・・めんどくさい・・しんどい・・楽がしたい・当然だ・・そんな思いで在るならば、自分は絆の糸を持って居ない事に成る・・相手に求めるばかりでは、絆の糸は結べない・・。絆の糸は半分半分つづ持っているから結べる。そして幸せに成れる求めるばかりでは、ただの我侭と言えよう。相手を不幸にしてしまう。

反対に、自分が絆の糸を持っていても、相手が持って居なければ、どんなに努力をしても結ぶ事は出来ない・・。やがて疲れてしまう・・空しさのみが残ってしまう。離れてしまう・・。例え、直ぐ側に居ても、遠い距離のすれ違い人と成ってしまう。

自分を中心に、関わりの在る人達を線で結び、絆が有るか・・・どうか?無かったらその線に斜線を加えてみよう・・。さー、どれだけの絆の線が残るだろうか?

■ 同じ屋根の下で絆を持たない家族・・その例

夫は、10年以上も前に病で倒れ、それ以来、無職である。母親は、夫に代わり3人の息子達を無事育て上げ、上、二人の息子達は家庭を既に持っている。長男は同じ敷地内に家を建て3人の孫にも恵まれ、夫(お爺さん)が良く子守をしていた。そんな家族の様子は、賑やかで幸せそうに誰からも見える。

所が、最近知った事が有る。

母親が、急に離婚をしたい・・と言い出した。長年働いていた仕事を、体調不良で辞め、最近は、パートで働いていたらしい。年齢はそろそろ60才くらいになるだろうか?。

長男の家は、母親がローンを払い水道光熱費も払っていたとの事。無職の夫は、後遺症は有るものの、家事や洗濯くらいは出来る状態だが、ほとんどしない。母親は、1人で多くを背負って働き生きてきた。しかし、背負い切れなく成ってしまった。疲れ切ってしまったのだろう。

仕事もパートに変わり、収入も激減したらしく、家のローンは終わってはいたものの、長男家族の光熱費の支払いも覚束無く成ってしまった。

離婚が調停に持ち込まれた頃に、母親が倒れた。以前から、脳腫瘍が有ったらしい。以前に入院をした事が有ったけれど、様子を見ながらずっと働いていた。

1人で何もかも抱え頑張ってここまで来たけれど、母親がそんな事態に成っても長男夫婦は助けようとはしないらしい。やっと、自分達の水道光熱費は支払う事に成ったらしいが・・。夫は、そんな母親の悪口を言っている。相変わらず競輪にも行っている。

敷地内に有る2つの家は、渡り廊下で繋がっているが、嫁がその間の扉に行き来が出来ない様に鍵を掛けているとの事。たまに、お米が足りなく成ると子供(孫)を使いによこす。

親にしてもらう事はしてもらっても、母親が困った時に手を差し伸べる事はしない。次男もである。

せめてもの救いは、三男が病院の送り迎えをしてくれる事らしい。

人は差さえあって生きるもの。家族で有ればなお更の事である。

今の世では、親は使い捨てのボロ雑巾なのだろうか?

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・・物欲・金銭欲・・・その空しさの・・例2

2012-06-23 01:27:59 | 確実に幸せに成る為の学び舎

 スピリチュアル・確実に幸せに成る為の学び~☆~物欲(金銭欲)・・その空しさ・・例2

前回、ブログの続き・・・↓

 親は、子供に迷惑と心配をかけまいとする言いたいけれど言えない頼りたいけれど口に出せない・・。ぎりぎりまで辛抱をする。慎ましく生活をし老後の為に病院代と葬儀費用を残し子や孫の為に資産を残そうとする。

親は息子や娘を何処かで信じている。世間の悲惨な有り様を見ても聞いても、うちの息子は娘は違う・・・と。

が大抵は裏切られてしまう・・。

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 そんな親の思いに甘え利用し、自分の事で手がいっぱいだと言い訳をし、見て見ぬ振りをし親の良い所取りをする。出来れば老後の面倒は見たく無い・・が、資産が有れば有るほどにその事ばかりに目と気持ちが向いてしまう・・。そう言った所だろうか。

 遠方だから離れているから仕方が無いと盆と正月・・或いはゴールデンウイークに帰る者も居る。

 小さなお土産を一つ持って帰り、親の作ってくれる故郷料理を頂きのんびりするか、遊びに出かけるか買い物に出かけるか勿論、親の支払いで・・。帰りには手土産をいっぱい頂き帰る・・。親が自分に孫に合いたがっている・・・。だから帰ってあげる・・。恩を売っている・・。これが恩返しなのだろうか?何時まで親に甘えるのだろうか?どこまで子供を甘えかすのだろうか・・?

体の調子はどうか?困った事は無いか?何かしてもらいたい事は無いか?年を取って出来ない家のちょっとした修理や掃除をする箇所は無いか?何か手伝う事は無いか?・・・肩の一つも揉んで上げたのか?お風呂で背中を流してあげただろうか・・?美味しいお料理を作ってあげようか?そう考え、行動した事は有るだろうか?

親は帰って貰う為に、ご馳走を作り機嫌を壊さない様に気を使い孫に物を買ってやり手土産を渡し見送り・・後で相当に疲れる。帰った後は、また次に帰ってもらう為に節約の日々が始まる・・。言いたい事や困った事をちゃんと相談する事も出来ないままに・・。ただ、寂しいから・・。愛しいから・・。

そんな光景も、親が弱りもてなしも出来なくなり頻繁に病院通いをする頃には、孫も大きく成り子も孫もほとんど寄り付かなく成る。電話で事を済ませる・・。「元気にしているか・・・と。」そう言われれば「元気にしている」・・と言うしか有るまいて・・。

年老いてくれば、子供を頼るのも親の必要な役目であり、親に頼られ行動し一人前の大人に成れる・・。自分の子供を育て上げる・・・だけが大人に成った証には成らない。

 自分の人生において、過去がどれほどに恵まれ幸せだったとしても今が現実が、辛く苦悩に溢れていれば、恵まれた過去は何の価値も無い空しい幻にしか過ぎない。

自分のこの先が、こうなるだろうあ~なるだろう・・と希望に満ち溢れたものだったとしても、それもまた幻にしか過ぎない・・。今が、どれほどに大切で有るか・・好しとする現実が肝心だ・・。時の終わりにはその事が特に肝心になる。。90歳を過ぎて自殺をしたお婆さん・・・の気持ちを考えると空しくなる。多くの預金と資産は、決してお婆さんの自殺を止めてはくれなかった。

信長の最後の言葉に

人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり
ひとたび生を享け 滅せぬもののあるべきか

(人間の50年の生涯は儚く幻である。死なない者は存在しない。)

信長の終わりが好しとしたものならば、この名言も変わっていた事だろう。

人が最後を迎える時先は無い・・。過去も幻である。死ぬ瞬間である現実が幸せを感じていられるものならば、その人生は全て好し・・となる。老いた親に対して子は、全て好しと思って貰える様に導く責任が有る。

最後の時には、親に感謝をしありがとうと言い、親は老後の世話を面倒を見てもらい、子供にありがとう・・と言える・・。その事が大切なんだろう。

が、現実は甘くは無い。

釈迦の言葉より・・

かつて君の面倒を無償で見てくれた両親には借りがあるのだから、父母に優しく恩返しすることは精神的借金をきちんと完済したことになる・・.

また、どんなに善行をしても、両親を大切に出来ない者は失格である・・とも言っています。

人間が他の動物と違う所は、親の面倒をみる所である。

自分には人間の資格が有るのだろうか?・・・考えてみよう。

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■  生活保護を受けている夫婦・・・

なんだかんだと揉め事も難儀も有りながら夫婦二人で働き、二人の子供を育て上げた。結構な商売を長年していたが、この不景気と商売下手も有って、とうとう倒産をしてしまった。気が付けば家も財産もお金も綺麗さっぱり無くなってしまった。

子供は一男一女の2人である。共に結婚をし家庭をそれぞれに構えている。長男には子供が居ないが、長女には2人の孫が生まれている。母親は商売をしながらも孫の世話をして来た。お陰で長女は、働く事が出来た。長男も長女も共に家を建築し持ち家に住んでいる。

しかし、何もかも無くした両親の面倒は二人とも見なかった。空いた綺麗な部屋が有ると言うのに・・。夫は持病を持っているから働けない・・。母親は既に就職を見つけるのも難しい年齢で有る。結局の所、二人は、生活保護を受けているのが現状だ・・。

両親の面倒は見ないが、長女は未だに子供(孫)の世話をしてもらいに母親に預けに行っているらしい。

いつかしら、その長女が口にした言葉に私は、驚いた事が有った。何か問題が生じた時の事、「おかあさん・・もう○○ちゃんには(孫)合わさんからね・・。面倒みさせてあげんから・・。」と、憤慨していた・・。

資産を豊かに持って残すのも空しい・・。かと言って何も無い親はもっと惨めかもしれない。相手にされない・・。元気で有れば、そうやって孫の面倒でもさせて役に立ってもらおうとする・・。弱って寝込んだら・・近寄らなくなるだろう・・。

他人から見れば察する所だが、当の本人で有る親は気が付かない・・。分った時には遅すぎる・・。

母の日、父の日にせめてお義理でも何かプレゼントを貰っていれば、まだ救われるのだが・・。

何かが間違っている・・。つづく

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