スピリチュアルアート・不思議話・猫話・神話を紹介します

癒しのスピリチュアルアート・不思議なお話・可笑しい猫話・チョッと面白い為に成るかもしれない自作の神話を記載します。

スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・・全てに執着をしない・・・2

2012-10-10 03:02:47 | スピリチュアルな出来事

  スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・何事にも執着をしない・・・2

お金に、物に人に時(過去・未来に)など、・・あらゆる物に事柄に過去や未来にさえも執着をしてはならない・・全てにおいて少し距離を置くべきだ・・・とも言えるのだろう・・。

~~~~~~~★~~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~~

一つの事柄に集中し諦めず頑張る事を美徳とし、懸命に頑張る・・。そう、特に、日本人は思うところが大きい。

しかし、一つの事柄に集中し懸命に頑張りすぎると、肝心な大切なものを見失ったり、ストレスを抱え込んだり、思う様に事が運ばなければ落胆をしてしまったり、生きる事が苦しくなってしまう場合がある・・。行き詰る・・そう成ってしまう場合も有る。

仕事・・・必死で頑張る・・・。朝から晩まで、家に帰ってからも仕事の事が頭から離れない・・。家族と一緒に居ても、ちっとも家族の方を見ていない・・。向き合う事が出来なく成ってしまっている・・。

仕事への思考は、帰り道の途中でキッパリと捨ててしまう・・。駅の改札口を通り抜けたら・・、或いは、橋を渡ったら、その道の角を曲がったら・・・すっかりと仕事への思考は捨ててしまい、そこから先は、大切な家族への思考へと自分の時間へと変換をする。

子供・・・

人並みの教育を与える為には、両親共に働いて、教育資金を稼ぐしかない時代・・。そうやって気が付けば、家族皆、時間に追われ、子供も塾で忙しい・・・。すれ違いの家族・・・。同じ屋根の下で生活をしていても、心が向き合える時間と心の余裕が無い・・。親の口にする言葉は、学校はどうだ・・勉強は成績はどうだ・・・と決まり文句の様に並べたて、子供は適当に答える。見ている様で見ていない。分っている様で何も分っていない家族の関係・・。何が大切なものが抜けては居ないのか・・・。

まるで、養鶏場の鶏が、煌々と明るい光の下で、夜中にも餌を与えられ、必死で食べ続け丸々と大きく、思惑道理に育って行く様によく似ている。教養ばかりが身となり肉と成って行く・・。肝心な人間形成が抜けてしまっている。教育ばかりに執着をしてはならない。

いじめ・・・

もしも、大切な子供が、学校でいじめに合い辛い思いをし、絶えがたきを忍び学校に今も通っているの成らば、安心をし学ぶ事の出来ないくだらない場所に執着をしては成らない・・。学ぶ方法も場所も他に幾らでも有る事を知り、そこが全てでは無いと言い、学校に執着をしては成らない。

何かに懸命に成り過ぎると、それはいつの間にか執着に変わってしまう事が有る・・。執着し過ぎると、肝心なものを見失ってしまう・・。人に対し自分にすらも・・・物事に対し全てにおいて少し距離を置くと良いだろう・・。近過ぎず遠すぎず・・の心持で丁度良い・・。その方が、何かと良く見えて来る・・。そして、心も安穏としていられる。

執着は・・・多くの欲を根源として成り立ち増幅して行く・・。欲によって生まれた執着は、人生を決して良きもの幸せに導く事は有り得ない・・。執着を集中とか継続とか懸命とか体の良い言葉に摩り替えてはいけない。執着は、心の自由と正しい思考を奪ってしまう・・。

釈迦の言葉・・・

持ち物に・・成果に・・食べ物に・・寝る場所に・・・我が子に・・パートナーに・・お金設けに・・・執着をしては成らない・・と釈迦は言っている

全てにおいて、距離を置くは・・・心のゆとりと安らぎを見出す。

あの時、釈迦から言われた言葉・・・、「自分の欲するものは、何一つ、あの世には持って行けない・・」と言われ、そして、「現状を良く見よ・・・」と・・・言われた。

それは、どう言った意味なのか・・・。

子供の頃は、将来の夢を色々と描く・・・。やがて大人に成って、その夢へと邁進が出来る者は少ない・・。

何を成すべきか・・・?このままで良いのだろうか・・・?そんな焦りと共に20代を終え、30代・・40代・・50代へと進んで行く・・。60代に成れば、子育ても大方に終わり、自分の余生を考える・・。その先は、段々と、体力も劣りえ、日常生活も思うように出来無くなり、認知症も始まって来る。

老いは誰にでもやって来る。事故や災害や病で途中、命が尽きる事無く無事に老いて行けば、誰もが経験をする

20代を境に、年を取る事が嫌に成る・・。30代に成れば先の40代を思い、40代に成れば、50代を思い50代に成れば60代を思い・・老いる事を恐れ嫌に成る。しかし、どの年齢に差し掛かっても、一番、重要視し大切と思えるのは、生きている今の年齢で有り、今、この時である過ぎ行く過去も未来も幻にしか過ぎない。

老いて、日常生活に不自由をし認知症に成ってしまえば、何も分らない様に周囲は思うかもしれないが、そう成っても尚も、悲しみ辛さ喜びや寂しさ楽しさなどの人としての感情・心は変わり無く働く。

何事も無く、無事に年を取ると言う事は、やがて自分にもそう言った時がやって来ると言う事である。言い換えれば、老いを今の瞬間、時として迎える時がやがてやって来て、全ては過去と言う幻と成り、希望有る未来は無い・・・その瞬間がやがて来る・・。その時が、幸せで無ければ、輝かしい過去も溢れる財産も何の価値も無くなる。

老いの渦中に居ない自分達は、何処かで、老いてしまえばお仕舞いだ・・。老いた者に価値を見出さない・・。余計者・・。そう思っているだろう。社会の何処かの片隅に追いやり見て見ぬ振りをする・・。手が掛かる・・・。勝手にしてくれ・・。面倒だ・・。自分の事で手がいっぱいだ・・。そうやって言い訳をし、知らん顔をする・・。恵まれた財産が残っておれば、それをどうするか・・が、気になる所だろう・・。

老いて行く親を持て余す・それが今の社会であり、いい加減な大人に成った子供達である。その子供達は、我が子にばかり目が向けられている。やがて、自分達も、子供が離れ夫婦二人と成り、やがて一人と成る時が来る。子供達とは別々の方が気が楽だ・・・。そう思っているかもしれないが、その考えは、間違っていた事に、やがて気が付く時がやって来る・・。

社会の片隅で、一人暮らす老人・・。長く暮らした場所・故郷と言える場所で体が動く限り田畑を耕し守り続ける老人・・・。人知れず寂しく死んでしまう場合も有るだろう。または、やがてグループホームに入るのかも知れないし、老人ホームに入るのかもしれない。

大いなる出世をし皆から頭を下げられた人も、多くの富を築いた人も、どんなに気位の高い人も、そう言った場所に行けば、大方のものを持っては行けない。グループホームでは、小さな洋服ダンスに、小さな和ダンスは一つ・・。僅かな季節の洋服と下着くらいしか持って入れない。勿論、地位も名誉も気位も・・持っては行けない。残された財産は、子供達の物と成る。決められた生活に従い、生活を送る事と成る・・。

老人向けの病院は、重症の患者が入院をする。歩ける者は、早くに歩けなく成る。決められた時間にしかオムツも替えてもらえない事が多い。洋服もも何も大方は何も持って行けない・・。ここで、人生の終わりを迎える事と成る。例え、認知症でも感情は生きている。尊厳されるべき命がそこに有る。

97歳のおばあさん・・・大方が認知症だけれども、「まだ、死なへんから、連れて帰って・・・」多くの苦労を重ね、多くの富を築いた人だ。三人の娘を一人で育て上げた70代の母親・・・。認知症が始まったばかりだ。家族の手助けが有れば、まだ、歩けるし小さな手伝いなら出来るだろう・・。しかし、娘達は、誰も引き取らない・・。「早く、死にたい・・・。」そう言っていた。95歳のお爺さん・・・。節約し、多くの財産を残したけれど、入院し直ぐに歩けなく成ってしまった。「豪華客船に乗って世界一周でもするか・・。」娘に、出来ないと分っていて話してみた・・。時として、まともに戻る思考の中で、そんな事を発する時が有る・・。

老後は価値の無い時代・・と思っているかもしれないが、人生の最終章・・。本当は、それが一番に大切な時代でやがて自分達にも必ず来る時、瞬間であるその瞬間、時が幸せかどうか・・・?。それによって、生きて来た人生・過去が一気に変わってしまう。

幸せな人生の最終章・その時、瞬間は如何すれば、迎えられるか・・?それは、家族と共に終わりまで一緒に暮らす事である。そして、老いても尚も、家族の一員として、己の出来る事を最後まで全う・・協力し働く事に尽きる。必要とされる・・・。それは、自分から進んで働く事に有る。

腹の立つ事・うざい・・と思う事など嫌な所も含めて、一緒に食事をし、そこに居てこそが家族である。都合の良い事ばかりを求めたり、老いて手が掛かる事を避けたり逃げたり・・それは、もはや家族では無い・・。老いて、尚も働き、家族と共に過ごしてこそ、認知症を遅らせ生甲斐も幸せも存在する。家族の他愛もない話声を耳にする・・孫やひ孫の声が聞こえる・・・それだけで、幸せで居られる。

釈迦の言ったあの世には何も持っては行けない・・」それに続いての「現状を良く見よ・・。」その言葉は、人の最終章にお置いても、大方に何も無くなる・・。家族と過ごす時間こそが大切で有る。しかし、今の社会では、老いる者は家族から省かれ、一人、寂しく終わりを迎える・・悲しい現状を時代を指して言った言葉だろう。

終わりを幸せに過ごす・・。終わりを知る・・。それを悟れば、今をどう生きるべきかの大切なものが見えてくるだろう。

そして、執着をしない・・。 持ち物に・・成果に・・食べ物に・・寝る場所に・・・我が子に・・パートナーに・・お金設けに・・・。着かず離れず・・の心持で、思考する・・。その事が大切なのだろう。

90%以上の、人達が幸せだ・・・と、答えるブータン国の人達・・・。その国の人に、「どうして幸せなのか・・?」と尋ねたら、当たり前の様に、「それは、家族が一緒にいられるからだ・・・。」と、意とも簡単ににこやかに答えていた。

私達、日本人は、何か大きな勘違いをしては居ないだろうか・・。

 ←クイック宜しくお願いします。←スピリチュアルアート・自作神話  

スコティッシュの子猫・・・里親募集中→ フォトチャ  http://blog.goo.ne.jp/photo/18116