人には、欲が有る…欲は、大きく分けて5つの欲に分けられる。
食欲・性欲(色欲)・物欲(金銭欲)・権威欲・そして生命欲である。そして欲は尽きない・・。
欲を滅する事が何より大切で、安穏と暮らす為には必要不可欠な事で、
「安穏と暮らせる事が何よりの幸せである。」・・と釈迦は申しております。
所が人は、安穏と暮らす為には5欲が必要不可欠で、色んなものを欲(ホ)しようとする。
欲する事で安穏と幸せに暮らせると思い込んでいる。そしてその欲望(欲する)はもっともっとと尽きる事が無い。
その尽きる事の無い欲を渇欲と言う。人は、本当の幸せの真逆の思考を持って歩んでいる。
だから己の人生において悩み苦しみが尽きない。何か有ればすぐ動揺をしてしまう。
これは人間が生まれ持った本能とでも言うべきか性と言うべきものかもしれない。
だからこその釈迦の教えとも言える。その教えが必要なのである。
般若心経・・・だれでもが知っているだろう。しかし、内容についての解釈は難しい・・。
内容を超簡単に説明すると、「何も持っては行けませんよ・・。未練も思いも何もかも空(から)にして、さ~さ~
あの世に旅立ちましょう・・。」そう言った所だろうか。
欲する事から生まれる資産も権威も色んな思い恨みも悔しさも悲しみも怒りも、さ~さ~お捨てなさい。
捨てなければ、成仏は出来ない・・天には上れない・・魂は救われない。
どんな理不尽な死に方をしようとも、するべき事が残っていようとも幼子を残そうとも、先ずはあの世に行きましょう。
と言った事です。
欲深き魂は天には上れない。いつまでも留まろうとする。その魂がどうなるかは何れ詳しくお話をするとして、良くは無い事は当然である。
老いる・・・ほどに人は色んなものを失って行く。失ってはじめて解る事・・悟が有る。分かろうとしない者は何時までも悶え苦しむ。
そして、老いていくほどに5欲も当然に失せて行く。老いるほどに失うほどに悟り魂を軽くして行かなければならない。
人は何時死を迎えるかは分からない。だからこそ、日々を正しく懸命に過ごさなければならない。正しく懸命に生きる者は何時でも天昇できる。
人の欲は尽きる事が無い。己の思う様に財を成す(物欲)と、今度は、もっともっとと成る(渇欲)。財を成すと今度は人を世の中を己の思う様に操ろうとする(権威欲)。
女を沢山はべらしたく成るかも知れない(性欲)。美味い物を上等な物を沢山食べようとするかも知れない(食欲)。贅沢三昧をしたくなる。
そして今度は、何時までも長生きしたいと望む(生命欲)。それが無理となると今度はそれらを子孫に残そうとする。
死してなおも残したものが気にかかる。
欲深い者・欲する者・・・保(ホ)する者は死んでなおも欲が尽きない・・。だから天昇が出来ない。
誰もが知っている徳川家康・・・老いてなおも欲が尽きない者。老年にして天下を取り死しでなおも欲深く、
徳川家の繁栄を願い江戸城に向かって今も立ったままで埋葬されている。
権威欲で得た繁栄は何れは滅びる・・。滅びた今も彼は立ったままでいる。これからも未来永劫、死んでなおも心の休まる事は無い。
安穏・・・幸せなどとは程遠い。彼がもし、天下の者(国民)の繁栄と幸せを願っていたのであれば、天に向かい横たわり、手を合わせ天昇しただろう。
彼が望んだのは徳川家のみの未来永劫の繁栄である。
我々、凡人には権威欲などは程遠い・・・と安心をしてはいけない。家族が・・他人が・・職場で・・・思う様に成らない・・と思う事・・。
それは言い換えれば自分の思う様にしようとする事に当たる。他人(自分以外の者)を、その人の為とか愛しているとか正しい事だから・・と言い訳し、
自分の意思に従え押し付けようとそうとする事・・・。それもまた権威欲である事を忘れてはいけない。
思う様に成らないから腹を立てる・・怒る・・苦しく成る・・。安穏とはいられなくなる。
人は、欲深い・・・。欲したもの保したもの・・資産・権威…多ければ多いほど・・高ければ高いほど、失う事を恐れる。
それでいて、自分はそうはなならない(失う)・・と何処かで信じている。心配しなくても何れは空(から)になる。この世に残せば、
死してからも空になるを歯がゆく見守る事と成る。
己の魂が卑しければ卑しいほど苦しむ事と成る。故に、欲深き事は良しとしない。
欲した保っしたものが多い者ほど、自分の思考や言う事は正しいと勘違いをする。そんな愚かな者に惑わされてはならない・・。自分も愚か者に成ってしまうから。
子孫に多くの資産を残す必要は無い。目に見えないものこそ・・・そこに大切な残すべきものが有る。
欲が無ければ、人はやる気を無くすだろう・・。そんな心配はいらない。
自分の為に生きる・・・それは、自分を破滅に追い込んでしまう。心を魂を弱化し苦しむ。
人は、他人(自分以外の人)の為に生きる事で、強く正しく、めげずに生きる事が出来る。生きる価値観と希望と幸せを見出す様に成っている。
家族の為は勿論の事、仕事で言えば、レストランなら美味しい食事を作り喜んでもらう・・。製品なら、人の為に良い物を作ろう・・。
医師なら病気を治そう・・。どんな仕事もお金儲けが先に成ってはいけない。人の為、人が望む必要なもの・・が先ず来なくてはならない。
人は、人の笑顔を見て・・・ありがとう・・と言ってもらえる事で満足が出来る生きる価値を自分の存在感を見出し幸せを感じる事が出来る。
これもまた、持って生まれた人の性・・と言えよう。これを人は愛・・と呼ぶのだろう。
猿と人のDNAはほとんど一緒らしい。猿だって賢い。子供への愛情も深い。仲間意識も強い・・。ルールも有る。
しかし、大きな違いが有る。食べ物をいくら猿に与えても他の猿に分け与える事は無いらしい。
人は、わずかな食糧でも皆で分けて頂く・・。分かち合う・・助け合う・・・。遠い昔…人が人で有る・・始まりからの習性である。
愛の始まりなのだろう。
人の始まりの頃、人は強い力も早い足も無く夜に成ると目も見えず、猿の様に木から木へと飛びはね果実を頂く事も出来ない
猿にも劣る2本足の生き物だったのだろう。洞穴で隠れ住み、わずかな食糧をみんなで分かち合い助け合って生きていたのだろう。
そうする事で人間は滅ぶ事無く現在に続いて来たのだろう。
故に、人は助け合い分かち合う・・人が居なくては生きる価値を見出せない・・・自分を見失う。
愛が必要で与え与えられ関わっていかなければ強く生きては行けない。
欲を尽くしても人は満足はしない・・・渇欲は空しい。そんな満足感は、直ぐに失われまた次へと欲望が走る。
人に必要なのは人・・そして人の愛である。与え与えられ関わり生きる・・。
御仏の世界では、慈悲・慈愛と言うところだろうか。
人と関わる事がうざい煩わしいと思う事が多い時代に成ってしまったが、一人は気楽で良い・・と思っても、
一人でいると切れた電池の様にパワーを無くしてしまう。
周りに人が居ない・・「私は独りぼっち」・・と自分の孤独を哀れんではいけない。
先ずは一歩外に出て、自分から人に寄り添っていかなければいけない。
話の苦手な人は…人の行為に対し「ありがとう・・。」の一言から始めると良いだろう。
つづく