スピリチュアルアート・不思議話・猫話・神話を紹介します

癒しのスピリチュアルアート・不思議なお話・可笑しい猫話・チョッと面白い為に成るかもしれない自作の神話を記載します。

スピリチュアル・確実に幸せに成る為の授業~☆~欲を学ぶ!色欲

2012-06-10 19:22:03 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・心の安らぎ・・・その3 ・・・・快楽(渇欲)と愛欲(渇愛)

その2(前回)をご覧の方は下記の青い文面は省略して下さい)

生きる為には、欲も多少は必要で有る。

しかし、多くの欲・もっともっとと言う限の無い欲を渇欲と言い、この渇欲が人間を自分を苦しめる結果と成る。欲を何処の時点で、どの位で留めるべきかのさじ加減が難しい。

欲が過ぎると不安も尽きず、渇欲の場には、悪が芽を出し悪心・悪行が起きる。結果、不幸と悲惨な結果を招く事と成る・・。心の安らぎは得られない。

ここでの学びは、過度の欲・・・渇欲を指すもので有り、渇欲によって齎される心の不安や悪の芽・悪心・悪行を招かない様に、そしてそれによって不幸や悲惨を招かない為の学びである。そして、心の安らぎと幸せを招く結果を齎す学びで有ります。

欲は何かを先ずは学び、そして何時でも自分が欲のさじ加減が出来る様になりましょう。

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■欲を学ぶ・・・五欲について・・・

五欲とは食欲・色欲・物欲(金銭欲)・権威欲・生命欲の五つを指します。

色欲・・・について

先ずは色欲の役目は、良い伴侶にめぐり合う事と、子孫継続の為の本能・行為ですそこには愛と言う心魂の存在が欠かせません。そして生まれた生命に対して、共同と協力の愛と責任が生まれる事の認識が欠かせません。

愛と言う心魂が備わっていなければ、ただの肉体疲労と快楽にしか他ならず、肉体疲労は実生活の活動の妨げとなります。

快楽が有っても心魂が満たされなければ、限りない欲(快楽)は、渇欲に陥ってしまいます。疲労感・性病と言う病魔を招く事に成る場合が有ります。奔放な快楽の渇欲はエイズと言う恐ろしい感染性病を招き不幸と悲惨を招いています。

また、過度の色欲・渇欲(快楽)は、時に犯罪と言う悪を招き、不幸と悲惨を招きます。

快楽から齎される渇欲に対し、心魂から齎される渇欲が有りますこれを愛欲又は渇愛と言います。

この愛欲(渇愛)は、男女関係(恋愛)に留まらず、親子関係、友達関係など様々な形(姿)で存在します。

愛欲(渇愛)とは相手の心と魂(心魂)を己の意のままにしようとする・・。相手の心魂を自分の心魂に取り込もうとする行為です。

本来の愛とは、全く違う性質のもので愛もどき・・・偽りの愛・・を指すものです。その性質は、権威欲・・・にも匹敵します。それを大いに人は、愛・・・或いは、愛している・・と勘違いをする所です。

例を上げてみましょう。(男女において)

愛しているのに・・・分ってもらえない・・。愛し合っているのに不安だ・・。愛しているのに失恋をしてしまった。愛欲は・・苦悩を伴います。それによって不幸を招き悲惨な結果を招く場合が有ります。

次に言い延べます事を知っておく(悟る)と、愛欲(渇欲)に落ち入り苦悩するを軽減する事が出来ます。

人は肉体と心と魂(心魂)で出来た存在です。

心魂は、あくまでも一人一人、独立したもので有り一個人のもので、決して、何が有っても、例え親子でも双子でも愛し合っていても、なにが何でも相手の心魂を自分のものには出来ない。一体には成れません。

相手の心魂を自分の心魂に取り込む事は、不可能で有る・・・この事を肝に銘じ認識しましょう。

もし、あなたが恋愛で、或いは肉親関係で友達関係で苦しんでいるとしたら、それは相手の心魂を己の意のまま・心魂を取り込もうとしている事に他成りません。

愛しているのに分って貰えない・・もっとこうして欲しい・・あ~してほしい・・・もっともっと・・と自分の思うように成らないと不平を言い相手を罵り怒る・・もっともっと・・・は、渇愛(渇欲)であるあなたの為にしいるのに・・・、こんない思っているのに・・こんなにしてあげているのに・・も、渇欲である。

相手の心魂を取り込み思うがままに操ろうとするは、悪・魔・・・魔神の行為そのもので有る。

神仏のみが、人の心魂と共存しますが、命令したり増して支配はしません

渇愛(愛欲)に溢れる心魂は嘆き悲しみ・・苦しみ・・怒り・・・憎しみ・・殺意・・などの悪を産みだ出し結局、自分の心魂を魔・・・魔神に取り込まれ支配され苦しみます。本来の自分を見失ってしまいます。

実は、みんな・・・これで大いに苦しんでいます。

何が有っても、人の心魂は人のもの・・・思うがままには成らない。神仏のみが己の魂に共存が可能である・・・と悟りましょう。

渇愛・愛欲は悪を招き相手の心魂を取り込もう・・・とする行為は、魔神の行為そのもので、己の心魂が魔神に取り込まれる・・・事を悟りましょう。

分って居る様で分っていない・・・心魂の独立(個人のもの)で有る事を悟っていれば、どんな場合でも、執着する事無く、新たに前に進めます。

心の動揺も苦悩も消え去ります。

 

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スピリチュアル~☆~釈迦の教え・・・自分の与えられているものに幸せを見る・・

2012-06-10 17:03:45 | 神仏から教えてもらった事

 スピリチュアル・迦に教えて貰った事~★~自分に与えられているものに幸せを見る・・・・

 自分の周りを見ると・・・分だって頑張っていると言うのに・・・どうしてこうも違うのだろうか・・・? 順調で幸せそうな人を見ると、つい・・そう思ってしまう。そして、自分の人生が・・空しく、悲しく成って仕方か無い・・。

そう思うと次には・・・皆んな・・・周りが幸せに見えて仕方が無い・・かと言って、たまに見る悲惨な人を見て、「まだ自分の方がましだ・・・。」なんて比較するのも空しい・・・・。人生と言うものが切なく成ってしまう・・。困ったものだ・・。

どうして、こうも自分と比較をしてしまうのだろうか・・・?。

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■ 自分の与えられているものに、幸せをを見る。(ブッダの言葉より)

君の手に与えられたものが、たとえどんなにわずかなものでも、君がそこに幸せを見つけるなら、「足りるを知る・・」充足感で心は綺麗に澄んで行く。その綺麗な心の波は、目に見えない高次の生きものを惹きつけるたろう。

高次(こうじ)・・・とは、高い次元・水準・或いは3次元の世界の意味で、惹き付けつるとは、神仏・守護神・守護霊などの見えない存在を指している。

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小さな庭だけど、この春、トマト・きゅうり・ピーマン・トウロク・ちそ・ナスなどの苗を植え、種も蒔いた・・。大分と大きく成って、ピーマン2個に茄子2本の収穫を既にしている。ちそも大いに食卓に役に立っている。

朝に夕に眺め楽しみ癒しを感じている。緑のキューリのカーテンはもう1mの高さに成っている。夏にはさぞかし、これで涼しくなるだろうと勝手に想像し・・・暑く成るだろう夏も楽しみに成ってきている。

沢山、出来るだろうキュウリは漬物にしようか・・酢の物もたっぷり食べれるな~とか、トマトは、2本しか苗を買わなかったけれど、横から出てきた芽を沢山、挿し木してある。これで次々とトマトも出来て、沢山出来たらケチャップを作ろう・・・とか、結構、楽しんでいる。

今般、生活は益々厳しく成って行く・・。この先、消費税も上がるだろう。野菜も漬物も買わずに済めば、その分、生活も助かる・・。消費税もその分、払わなくって済む・・・小さな弱き者の反抗である。

植えてなければ、こうは楽しめないだろう厳しく成って行く生活を嘆くよりも、そんな中で工夫をし楽しみを見つける・・。

そ言った事も有りかもしれない。

皆さんも、きっと良い工夫をされているのでしょうね。

たっだ2個のピーマンも2本のナスも、愛おしく価値有る美味しさを味わっています。

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スピリチュアル~☆~釈迦の教え・・欲・・・食欲について。

2012-06-09 09:05:32 | 釈迦との会話・教え

 スピリチュアル~★~釈迦の教え・・食欲について・・

◎ 神仏から教えられる(声を聞く)時に、理解の出来ない難しい言葉は使かわれない。

聖書の様に、或いは経典の様に、難しい言葉は使わない・・。理解が可能な言葉を用いられる・・。頭の良い学者が専門用語を使ったり、如何にも威厳と権威を持って・・自分は頭が良いぞ・・偉いぞ・・・と言った政治家の様な言葉も使わない。

その本人の教養のレベルに合った言葉を用い分り易く説かれる・・。それは最初にそう言うものだ・・と天より教わった。聞いても説かれても分らない事は体感させられる・・。体感した後に説かれる場合もある。

理解の出来ない経典や聖書を100回読んでも、分らないものは分らない・・。時間の無駄・・である。その前に、私なら嫌になって諦める。読んでても眠くなってしまうだろう・・。万民が理解できてこその神仏の教えてある。

以前に、苦悩し続けた時に、いきなり「四面楚歌・・」と一言、説かれた(声がした)事があった。聞いた事の無い単語である

「シメンソカ・・なんや・・それ・・?」今の時代は便利である・・。辞典も有れば、パソコンで調べる事も出来る。後で調べて言葉の意味と由来が分った・・。調べてみて分った訳だが、私の教養レベルはその程度ある。苦悩と質問に対しての的確な導きの声(教え)だった。

理不尽・・・の尽きるに至って、導かれた本・・・ブッダの言葉は、本当にわかりやすい単語・言葉を用いて説かれてある。私のレベルに適した書物を与えられた訳で有る。

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以下、その本の内容を書き記します。

先ずは、欲の一つ食欲について・・。

食べ物に執着しない・・・。(ブッダの言葉より)

「君よ、私は食べ物に執着しない。故に、食料のストックが無くても「どうしよう、早く買いにいかなくちゃ・・」とせき立てられる苦痛は無い。食料が沢山ある時も適量で食べて終わるから「しまった・・!ストレスで過食してしまって、お腹が痛いよ」と言う苦痛は決して生じない・・。

故に、私は幸せ。

相応部経典の超訳

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こう言った言葉と単語を持って分り易く説かれている。私のレベルに適してる・・。有り難い・・。

色々と釈迦の説法を説かれた書物は有るだろうが・・・この本は全く持って私に適しており、苦行の末の導き教え・・「復習し悟りなさい」と言ったところだ。

釈迦の説法は、弟子に対して説かれたもので、それを弟子が聞きとめ覚えて居る事を後に書き記したものである。

短い簡単な教えだけれども、深く多様な意味と教えが説かれている。

今までの「確実に幸せに成る為の学び舎」のカテゴリーをずっと、ご覧頂いた方は、深い意味がお分かりになるでしょう。

食欲の根源・・食料を確保し減る無くなる事への不安・・そして又確保る・・・人間の尽きない欲を説いています。

欲に執着すると常に不安が付きまとう・・・そして食欲を満たし安心を得ようとする行為は、心の不安(ストレス)を食す事で消し、安心を得ようとするが、一時の安らぎにしかならず、また食す・・の繰り返しと成り過食と肥満になる

原始時代に、飢えに怯え不安を抱き、食を得て安心を得、一時的な幸せを感じたのだろう。そんな遺伝子が成せる過食は行動だろう。

食に執着をしない・・釈迦の教えは今も通ずる教えで有る。2550年ほど前から現代に至るまで何ら変わらない人間模様が今も続いている。

基本は、足りるを知る事が不安を無くし心が安らかで居られる。なによりも、その事が幸せだ・・と釈迦は言っています。

食欲について詳しく、前回のブログに記載しています。(ご覧ください) 

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スピリチュアル・確実に幸せに成る為の授業~☆~食欲!

2012-06-08 20:58:23 | 確実に幸せに成る為の学び舎

スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・心の安らぎ・・・その2 食欲

生きる為には、欲も多少は必要で有る。

しかし、多くの欲・もっともっとと言う限の無い欲を渇欲と言い、この渇欲が人間を自分を苦しめる結果と成る。欲を何処の時点で、どの位で留めるべきかのさじ加減が難しい。

欲が過ぎると不安も尽きず、渇欲の場には、悪が芽を出し悪心・悪行が起きる。結果、不幸と悲惨な結果を招く事と成る・・。心の安らぎは得られない。

ここでの学びは、過度の欲・・・渇欲を指すもので有り、渇欲によって齎される心の不安や悪の芽・悪心・悪行を招かない様に、そしてそれによって不幸や悲惨を招かない為の学びである。そして、心の安らぎと幸せを招く結果を齎す学びで有ります。

欲は何かを先ずは学び、そして何時でも自分が欲のさじ加減が出来る様になりましょう。

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■欲を学ぶ・・・五欲について・・・

五欲とは食欲・色欲・物欲(金銭欲)・権威欲・生命欲の五つを指します。

食欲

この欲は、より多くの満腹感とより美味しい物を食べたい・・欲を言います。過度の食欲と片寄った食事(美味しい物)は、健康を害し病気・・・病魔と言う魔を引き寄せます。食す・・は、生きる為の基本で有りますが、元々、人間の欲はここから始まったものです。

どの他種の生物を観ても、過度に食し病気を招き、それによって死んだりはしません。過度に食糧を溜め込む事もしません。他の生物で食糧を溜め込む種類も中には居ますが、限度を知っています。

原始時代の遠い昔、飢える・・を何より恐れた人間の遺伝子が、過度に食べる・・・食べてしまう行動に走らせてしまうのでしょう。

また、どの種の動物よりも肉体的劣等から食糧確保が下手だった為に、拾い食いをはじめ、色々とあらゆる物(種類)を口にし、美味しい物・美味しくない物の刺激や感動と興味・・・そんな遺伝子が食の好み・・を招いたのでしょう。

過ぎる食欲と美味しい物を食べたい・・・そんな食の渇欲は、病魔と言う魔を呼び寄せ、病気を・・そして病死と言う不幸と悲惨を招く。

足りるを知り、必要な量と片寄らないバランスの取れた食事を心がけましょう。

人間のあらゆる欲は、この地球そのものと、そこに生するもの全てのバランス(調和)を怖し、悪行と不幸と悲惨を招いている。それによって多くの種の生物が絶れてきた。

生き物にはそれぞれに食す食べ物が神より定められている・・。(それを破ったのは人間である・・。アダムとイブについて記載の箇所に詳しく書いています)狂牛病は、人間の食欲と物欲(金銭)がからんだ行為の結果である。食べては成らない動物の骨粉を牛に食べさせた結果で、悪行によって招いた不幸と悲惨な結果である。

今、海の魚が激減している。海に魚が居なくなれば養殖をすれば良いと思うかもしれないが、養殖の魚は、魚を加工し餌として与えている・・。だから、海に魚が居なく成れば養殖も出来なくなってしまう。

海に魚が減ってしまう・・・それも、人間の欲と悪行の招いた不幸と悲惨である。

たかが、食糧と侮ってはいけない。皆が足りるを知り実行が出来なければ、何れ、人間の一番恐れている(本能)・・・飢え・・が待っている。そして生きられない・・。

今、流行のサプリメント・・・それも食材の加工物である。

欲のさじ加減・・コントロールそれは、心(心魂)に留まらず、実生活においても大いに無駄を無くす結果を招く。心魂も身体も生活も無駄を無くしシンプルになれる。シンプル・・・それは、迷いも不安も軽減し、実生活においても経費節約と自分の時間を招く・・・。良い事が沢山待っています。幸せもです。共に、学びましょう。

つづく・・・次は・色欲を学びます。

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スピリチュアル~☆~釈迦の教え・・苦悩の末に偶然に、導かれた本がある・・・

2012-06-07 17:55:03 | 釈迦との会話・教え

スピリチュアル~★~苦悩と難儀と暗闇の末に出合った本がある・・。超訳・・・ブッダの言葉・・である。

 有る優れた霊能者が、「何とあなたは余りにも理不尽を受けているのだろうか・・.懸命に頑張って来たと言うにに・・・何故?・・・可愛そう・・。」と深く同情をされた事が有った。

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十数年・・・「もう駄目だ・・。」どれだけ思った事だろうか。首の皮一枚・・暗闇・・絶望・・地獄の底・・・そんなものはとっくに通り過ぎてしまっていた位置にいた。

そこは何処かと言うと、理不尽の尽きる(限り)と言った場所で有り位置である。己以外には何も無い・・・。

理不尽・・理念・道理に適わない・・報われない・・そういった事だ・・。

そこに至るまでに導いた者は、釈迦・・・・である。

神仏に試され、これほどの理不尽を味わっているのだろうか?イヤイヤ・・魔神に追い詰められこうなってしまったのだろうか・・。ここに至っては、分らなく成ってしまった。分って居るのは、自分の愚かさだけだった。

釈迦に命を助けられたけれど、釈迦を好きには成れなかった・・。何故なら、「お釈迦に成る・・・そんなことわざが有るが、何もかも無くし基に成る・・・そう言う意味で有り、釈迦と関われば、神仏に帰依する道を選べば・・何れそうなり兼ねない・・・と察していたからだ。

そんなに成ってしまった時に、全くもって物言わぬ釈迦・・・そして仏・・・神・・・。静かなものである。何にもない・・真っ暗だ・・。この場は、時間が無い・・音もな~んにもない・・。まるで独房だ・・。己と向き合うしかない・・。

家の整理をし、集まったCDをどうしようか?と思った・・。たまたま古本屋の看板の「CD買い取ります・・」の文字が目に飛び込んできた。

そうだ・・・あのCDを売ろう・・。売って入ったお金・・・その古本屋でたまたま偶然に目に飛び込んで来た本・・・それがブッダの言葉・・・たっだ。買ってしまった。

「そうか・・!何を聞いても、ここの所、無しのつぶて・・さっぱり、もの言わなかったが・・・そうか・・この手で来たか・・。釈迦らしい・・。直球では来ない・・」そう思った。

読んで・・・腹を立て・・・何回も読み直した・・。やっと理解が出来だかもしれない。

そして、導かれた事を悟った。

理不尽の尽きるに(限界)至った時、己と向き合うしかない・・・。ここに至って、神も仏も無い・そう感じるほどに・・静かで真っ暗で誰も居ない。しかし、・・・そこに神仏の真の深い愛・慈悲・慈愛が存在する。

ブッダの言葉の本を・・これから、徐々に一緒に、紐解いてみましょう。

 つづく

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スピリチュアルな出来事~☆~魔神との戦い篇・・・霊能力者Aとの事・・その6オウム教の場合

2012-06-06 22:01:41 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアルな出来事~★~魔神との戦い・・霊能者Aとの事・・・その6・・・・オウム教の場合・・・

◎ 最近、やたらとオウムの事が話題に出てくる・・。NHKでも数回に渡りオウムが放送され、再放送も深夜に連続で有った。再放送最終の、確か翌日に菊池が逮捕された。 NHKの放送は、予言めいたものだったのかもしれない・・。また、NHKの放送で、再度、オウムが再認識された影響も有るのだろうが、NHKの放送は、作成関係者の努力は、大いに役に立った事と成った。

遠い昔に、まだオウムが全くしられていない時代に、何処かの民間放送局で、宗教団体の代表者を何人も集めた企画番組が有った。

その内容は、全く覚えて無いが、オウムの浅原と、先に話した宗教団体の代表者がその中に居た。両者とも異様・・な印象だった事と、ふざけた番組だと思った事と、そして、覚えて居るのは、お金は幾らでも有る・・と札束を見せビラかして居た・・・その宗教団体がやがて大きく成って、私の近くに鎮座している。

この代表者二人は、今も目に焼きついている。もう数十年も前の話した。

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■ 悪しき宗教団体の正体

先のブログで、釈迦が教団・・・とか組織・・とかはあまり好きでは無い・・。己と直接に神仏と向き合う事の方が大切である。」と言っていた・・・と書いてあります。

また、その理由として、下記の様に書きました。

団体を成す・・・事は、善・愛の心魂が及ぶならば、それは「愛は地球を救う・・」と言った所で、世界に幸せと平和を齎すが悪しき心魂が怒涛を組めば戦争・虐待・・殺戮・・が起きてしまい地獄の場となってしまう・・そんな危うさを釈迦は述べたのである。

相対性の原理がここにも有る神仏に相対し魔神も存在している。神仏に関わりを持つほどに魔神とも関わる事も有りうる。心は何時も清く正しくなければ・・・尽くさなければ成らない。

自分と神仏とを直結し向き合う事が何より大切であるそこに、欲や野心を持てば、悪が生まれ神仏と思いきや魔神と向き合っている事と成る。魔神は自由自在に姿・形を変える・・。神にさえも化けてしまう

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以上の事柄を、オウムの浅原に当てはめてみましょう。

浅原は、最初から日本征服の野心を持っていた針灸の仕事をして居た頃に、誰かが、宗教団体を作る事を勧めアドバイスした。そして、「そう言った所に集まる者は、心の弱い者だから意のままに成る・・。」と言ったそうです。(NHK放送番組より)

普通、神仏に帰依する者は、欲を待たぬ様にと慎ましく有ろうとし、まして野望を抱く事は有りません。

ただし、特殊な能力を頂いた際に、団体或いは、先生、長と呼ばれ、金銭にも潤う立場に成った時に、己がしっかりとしていなければ、欲が起き悪しき者(魔神)を呼び寄せ、神に化けた魔神を崇める事に成ってしまいます。

以前、考えられないほどの災いが重なり、人に裏切られる事が重なり、心痛の思いをした時に魔神から「お前は、それでも人を信じるのか?人を見限り心魂を任せれば、思うように財を成し権威も手に入れさせてやる・・」と、誘いが有った際、きっぱりと断り、釈迦に助けられた話をしました。

人を見限り憎み落とし込める行為は悪魔の意図する処で有り、そこには魔神の存在と大いなる力が働く。

浅原は、身障者故に歪んだ心魂を宿し、卑屈を宿し、或いは権威を持つ野望を抱き、最初から魔神を崇めていたのだろう。世の中には、身障者でも心清く懸命に頑張って居る人も居ると言うのに・・。

神仏は、人を試す時に理不尽の限り・・・を与える場合が有る。理不尽の限りの処に神仏は大いなる愛・慈悲・慈愛を施す。それでも懸命に生きる・・・人を嫌いに成ったり恨んだり・憎んだりしない事を望まれる。

その逆に人を見限り憎み恨み落とし込めようとする者・野望を持つ者に魔神が宿る。あっと言う間に・・容易く財(金)と権威を与える・・。死後、その魂(心魂)は、魔神に取り込まれる事と成る。魔神・・の居場所・地獄・・・である。魔神は、人の悪しき心魂・渇欲が産み出した悪しき神(悪魔・おろち)で有り、地獄の場である。取り込まれれば、死後。天には決して昇れない。

だから、心魂を任せれば・・・と、私を誘惑(誘った)意味がそこに有る。

全ては、相対性で成り立つ・・。それは、電磁にプラスとマイナスが有り、同じ性質を持つ物質が引き寄せられ集まり、プラスとマイナスに別れ互いに反発し成り立っている様なもので、悪しき心魂が同様の性質を持つ魔神(地獄)に引き寄せられる理屈で・・・それは、物理的・科学的見地から見ても、当然の事で有る。

この世にも地獄が有る・・・。この世の地獄は、人の悪しき心魂が集まり大きな集団と成る処で有り魔神の大いなる力が働く。そしてこの世の地獄は、全うに生きて居る人も巻き込まれる場合が有る。

あれよあれよと言う間に巨大化し、一人歩きをしてしまう。その場に身を置く立場に成っても、己の心魂の善・愛の部分を決して見失ってはならない。

あれよあれよと大きく成り、思った以上に容易く浅原は、悪しき財と権威を手に入れた・・。そこに取り込まれた心魂・魔に取り込まれた者達(信者)・・・全うに生きて居て巻き込まれた人達(被害者)・・・この世の地獄とはそう言った場所である。

神仏は、全うに生きて居て巻き込まれた人達の所に鎮座する。

故に、釈迦の言う意味がそこに有る。

多くのお金を必要とする・・。命令をする・・。自分は、神で有るなどと言う・・そう言った類の宗教団体には、近寄らない事が肝要で有る。

座禅し、飛んだり跳ねたり・・・そんなものを奇跡とは言わない。

奇跡・・とは、神仏の多大な愛・慈悲・慈愛によって齎される現象を指すものである。

 

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スピリチュアルな出来事~☆~魔神との戦い篇・・・霊能力者Aとの事・・その5

2012-06-06 19:23:05 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアルな出来事~★~魔神との戦い・・霊能者Aとの事・・・その5

 霊能者Aの浅はかな野望と行いの為に、溜め込んだ悪神・・・それは規模が大きいもので、初めて彼女がやって来た時・・・そして帰り行くその空は、異様なほどの規模の悪しき黒い雲で覆われていた。 

それは、あの東日本大震災の直前に見た、黒し怪しい雲にそっくりだった。そして、震災直前に受けた言葉に成らないほどのしんどさは、彼女に合った時のしんどさと良く似ていた。

彼女の家に鎮座していた魔神・・・それは巨大な宗教団体の魔神で有る・・。

スサノオ尊で無ければ、決して倒せない・・。魔神は大きな一つの束となり現れる場合も有るが、彼女の家には数箇所に別れて、鎮座していた。

スナノオ尊は見事なまでに、天の剣を振るい魔神(おろち)を退治したのだが・・・。

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■ 魔神の反撃・・・

 この宗教団体は、我が家の近くに鎮座している。私が目覚める以前に私を唆そうと企んだ魔神で有り、そして考えられないほどの災いを私に及ぼしたのもこの宗教団体の魔神の仕業である。

彼女の家へ、スサノオ尊が出向き、おろち退治をしたのは、いき成りで有り、不意を付いた行動だった。そうしなければ、逃げられては困るからだ。

或る日の事、一階のテラスの扉がいき成りバタンー!!・・・と物凄い勢いで開いた・・。普通じゃない・・。

即、分った・・。「仕返しに・・・来たな・・・!」私は、幾つかのおろち(魔神)を見(透視し)た。

スサノオ尊が、表れ・・1匹・・・2匹・・3匹・・4匹・・・といとも簡単に退治をした。所が、あと1匹・・・気の弱い目を閉じたおろちが居て隠れていた。それも引きずり出し、退治した。

その数日後、彼女の相棒・・彼女を唆した本人がやって来た。

事の事情を説明するとその相棒は「馬鹿・・やな・・。いきなり来て・・。」その言葉には、こちら側では無い教団側の物言いだった。そして、「目の悪いまだ若い気の弱いおろちが居たので、それも退治した。」と伝えると・・。

あそこには、目の悪いまだ若い教団関係者がいる事を言っていた。その相棒は、疑う事無く事情が飲み込めたらしい・・。いきなり扉を開け勢い良く来たのは、教団関係者に付いているおろち・・・である。

いきなり、スサノオ尊が霊能者Aの所に出向き退治したものだから、向こうもいきなりやって来たのだった。・・・・返り討ちにしてやった・・。

その相棒は、様子を確かめ・・に来たのだった。

一般常識からすれば、狂った或いは考えられない馬鹿げた話に思えるだろうが、それは単に見えないからに他ならない・・。

見える者にとっては、それは常識の一環で有り、日常生活に置いて、私は狂人でも無く、常識人である。

以前に、釈迦が言っていた事だけども、「教団・・・とか組織・・とかは好きでは無い・・。己と直接に神仏と向き合うべきで有る・・。」と言っていた。

その理由は、団体に置いては、利権欲・金銭欲の渦巻く場に成りかねないから、そして共すれば魔神が鎮座する場となりかねないからとの事を言っていた。

日本でも遠い昔、仏教は武力を兼ね備えていた時代も有ったし、ローマ時代には宗教戦争も多々おきている。今もそんな場が世界には有る。太平洋戦争では、天皇の為と言い神格化し戦う事を強いられた。

団体を成す・・・事は、善・愛の心魂が及ぶならば、それは「愛は地球を救う・・」と言った所で、世界に幸せと平和を齎すが悪しき心魂が怒涛を組めば戦争・虐待・・殺戮・・が起きてしまい地獄の場となってしまう・・そんな危うさを釈迦は述べたのである。

相対性の原理がここにも有る神仏に相対し魔神も存在している。神仏に関わりを持つほどに魔神とも関わる事も有りうる。心は何時も清く正しくなければ・・・尽くさなければ成らない。

自分と神仏と直結し向き合う事が何より大切であるそこに、欲や野心を持てば、悪が生まれ神仏と思いきや魔神と向き合っている事と成る。魔神は自由自在に姿・形を変える・・。神にさえも化けてしまう

そんなものが、私の近くに(宗教団体)鎮座している。今、話題のオウム教も正に、そのもので有る。

つづく

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スピリチュアルな出来事~☆~弘法大師との会話・・・罰が当たった・・・!              

2012-06-06 11:21:54 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアルな出来事~★~弘法大師に聞いてみた・・

 ここの所、重い話が続いたもので、チョット頭安めに、弘法大師との会話とチョット面白い出来事を話しましょう。

 友達は、良く旅行に行きます・・。時間もお金も有って行く旅行は、さぞ楽しかろう・・と思う。そう言う身分に、何時かは成りたいものです。足腰が元気なうちに・・・。

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■ 弘法大師の罰・・が当たった・・。

そんな訳で、私と一緒では無く、他のお友達と四国八十八箇所遍路巡りを友達がした時の出来事です。

その友達は透視をする能力が有ります。そして、少々、口が過ぎる・・・冗談を言うもので、神仏に対しても、おちょくった過ぎる冗談を言う時が有ります。

そんな友達が巡礼に行った時に、起きた出来事を帰ってきて早速、話してくれました。

なんやかんやで巡礼をしていた際に、弘法大師を見たらしいのです。例の如く、弘法大師の悪口を冗談交じりに、ずーと話していたらしいのです。

その日、友達は連れと一緒に、疲れたので巡礼の宿に予約無しで、泊まったのですが、たまたま、宿屋のお風呂が壊れてしまい、お風呂に入る事が出来なかったとの事です。おまけに、たまたま宿屋に食材がほとんど無く、粗末な料理しか食べられなかったそうです。

旅行の最大の楽しみである・・・お風呂とお料理・・・が、散々だったと言っていました

本人の言う事には、弘法大師の悪口を言い過ぎた為に、罰が当たった・・と言っていました。

友達が弘法大師を見かけたのは、「いい加減・・悪口を止めんか・・。」と、弘法大師の注意の証だったのでしょう。しかし、そんな事、お構い無しで何時までも冗談の過ぎる悪口を言ったもので、えらい目な罰が当たったのでしょう

何時だったろうか、弘法大師にお会いした際に聞いた事が有ります。「とうしてあなたは、人に罰を当てるのですか・・?。」と聞いてみると、「痛い目をしないと人は罪を悟らず、悟った所で、直ぐに忘れてしまう・・・。」からだと、言われました。

衛門三郎の件に付いては色々と事情が有ったそうです。何れ、機会が有れば、お話をしましょう。

弘法大師様は、お優しい方です。石鎚登山においてもお導き下さいましたし・・色々と、他にも優しくして頂いた事も有ります。

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スピリチュアルな出来事~☆~チョットした不思議・・・ブータンの話題・・・

2012-06-05 11:40:33 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアルな出来事~☆~チョットした不思議・・あるんですよね・・。

◎ お金は頂けないないけれども・・・チョットした導きやサポートは頂けます。

梅を漬けたけれども失敗をしてしまった・・・。梅の大きさと塩分控えめに拘っている為、梅は毎年、自分で漬けていた。それなのに失敗をしてしまった。当に、がっかりしてしまった

もう梅は手に入らない季節だから・・・仕方が無い。漬け直しはもう出来ない・・。すると、自分がお気に入りの梅の大きさで、おまけに塩分控えめの自分が漬ける梅干そっくりの梅干が、思わぬ所から手に入ったり、炊飯器が壊れ困っていたら望みの大きさ(めったに無い大きさ)の物が、やはり偶然に頂けたり・・・そんな事は、数知れず有ります。

情報や知識・・知りたい事なども、偶然に知り得たり・・・そんな事も多々、有ります。

下記は、昨日、記載したブログの内容の一部ですブログにはブータンの事を書いて有ります。ブログ記載後に、ブータンの事を良く知りたいと思ったのです。その理由も、下記の文面(昨日のブログ)をご覧頂ければ、なるほど・・・と、知りたい理由を分って頂けるかと思います。

そんな事を思いながら、ブログ記載後、何と無く付けたテレビで、丁度、ブータンの生活が詳しく取材された特集番組が、テレビに出ていました。来週も、ブータンの特集との事で、楽しみにしています。

他愛も無い事だけれども、偶然では無・・・導きを感じます。ブログを書く意味も必要な事で有る事も分りました。

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昨日のブログ内容 ↓

間の欲望は、発展を齎してきた・・。豊かな暮らし豊かな物を・・そして便利な物を作り時間をも短縮してきた。差し詰め、日本は少なからず、そう言う風に成って来た。

なのにどうして発展もあまりしていない物もさほどに豊富でない便利でも無い・・・そんな国・・・ブータンの人々の方が幸せを実感しているのだろうか・・?。国民の確か90%くらいの人が幸せを感じている・・のは、何故だろうか・・。その国は、ゆったりと時間が流れている

つづく

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スピリチュアル・確実に幸せに成る為の授業~☆~欲・・・を学ぶ!その2

2012-06-04 22:38:14 | 確実に幸せに成る為の学び舎

スピリチュアル確実に幸せに成る為の学び~★~欲について学ぶ・・・その2

◎ 人間以外の動物だって欲は持っている食欲が有るから生きて行ける。色欲が有って子孫を残して行ける・・。生命が有って身を守り生き延びられる・・。権威欲が有って集団の統一と強い優れた子孫を残して行ける・・。

全く欲を無くし捨てる事は、生きる事には値しないし繋がらない・・。子孫も残せないだろう。

肉食動物にも猿にも劣る肉体的存在で有る人間は、食糧の保存を覚え知恵と学習と協力し支え合う事で、他種の動物をしのぎ数を増やし生き延びて来た。

人間は、物を確保し保存し安心をするが直ぐにまた・・減って行く失う事に怯え不安に成りまた、確保し保存し・・の繰り返しをする・・。欲の限り・・・を知らない。人間の進化と共に欲も増し多様化し不安も多様化してきたのだろう。

他種の動物の方が足りるを知り、何時も命の危険をさらしながらも、もしかすると人間よりも安らかで居られるのかも知れない・・。

欲に限りを付ければ・・欲が招く悪を知り不幸を知れば・・不安にも限りが付くかも知れない・・。

言い換えれば、足りるを知れば、不安も軽減されるだろう。

間の欲望は、発展を齎してきた・・。豊かな暮らし豊かな物を・・そして便利な物を作り時間をも短縮してきた。差し詰め、日本は少なからず、そう言う風に成って来た。

なのにどうして発展もあまりしていない物もさほどに豊富でない便利でも無い・・・そんな国・・・ブータンの人々の方が幸せを実感しているのだろうか・・?。国民の確か90%くらいの人が幸せを感じている・・のは、何故だろうか・・。その国は、ゆったりと時間が流れている

つづく

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スピリチュアルな出来事~☆~魔神との戦い篇・・・霊能力者Aとの事・・その4

2012-06-04 11:37:09 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアルな出来事~★~魔神との戦い・・霊能者Aとの事・・・その4

霊能者は、それぞれに色々な個性と能力を持っている。その能力は、事故に合い体の一部が不自由に成り、突然と目覚めた場合も有れば、血筋により受け継がれた能力も有れば、大きな理不尽が起こり突然に目覚める場合も有る。そして、生まれ持っての身障者などにも見られる場合も有る。

霊能者Aの場合は、生まれ持っての軽い身障者で有る。それ故に、与えられた能力で有ろう。私の従妹も彼女と同様の能力を少々持っている。この二人が揃って同じ様な事を言っている。「自分はエビスである・・。海から来た。」と・・・。

・・チョット変わっている。従妹の場合は、体に障害は無いが、表現が難しいがチョッと危なっかしい・・何かが一本足らない・・・そんな感じである。

二人が揃って言っているエビス・・・とはどう言った事なのだろうか?

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■ えびす・・・について

神代の昔の話古事記によればイザナギ命とイザナミ命の間に最初に生まれた子が体が不自由だった為、葦船に乗せ海に流して捨てられた・・・。と書かれて有ります。

その後アマテラス大神・月読命・スサノオ尊(三貴子)が生まれた・・と書かれて有ります。古事記には、神を人格化したお話が出てきます。

葦船に乗せられ海に流された子をヒルコ命と言い、その後の事は古事記には書かれてないが、おそらく常世の国(エビス神の故郷でもある)渡ったのではないか、或いは、海を漂流した後、漂着しその土地の人々に育てられ、夷三郎殿(えびすさぶろうどの)と呼ばれ後の夷三郎大明神、戎大神(えびすおおかみ)として祀られたとも言われています。

色々な説が有りますが、エビスは、ひるこ(蛭子)・戎・夷・恵比寿・恵比須と色々に表現されている。

古事記による神話との関係は難しいものの、身障者として生まれた者への神のご加護として愛・慈悲が大いに深く働いているのではないかと思われる。様は・彼女達が知ってか知らず、天より教えられた、えびす・・・とは、ひるこ(蛭子)の事を指すのだろう。

何かの話で、昔の話で有るが、ある店の前に少々、知恵遅れの男が、物乞い何時も来るもので、店の主人は、食べ物を何時も与えていた。そのお礼にと、その男が店の前をほうきで綺麗に何時も掃いていると、その店は、大いに繁盛をした為、その知恵遅れの男は、とても大切に皆にしてもらった・・・。

そんな話が有ります。今も、商売繁盛の守り神として、名前は忘れたが、福助・・かも知れないが、違うかもしれない・・。遠い記憶のお話である。

昔は、そう言った子達は、家の恥・・とされ、見えない場所で管理され邪見にされた事も有ったが、大切に可愛がり栄えた家も有る。そう言った者達には大いなる神の愛・慈愛・慈悲が存在するのは確かな事である。

そんな子達の中には大いなる才能を与えられた者も少なくは無い。山下清の様に絵に長けていたり、或いは美声の歌声・或いは、ピアノ・或いは書道・・など神が与えた特別の能力が有る。それを慈しみ育てた家族や周囲には大いなる恩恵が与えられる。

彼女達(従妹・霊能力者A)の様な能力も与えられる事も有って然るべきだろう。

従妹の場合、「誰にも言っては成らない・・・。」と言われて来たらしい。何故?だろうかと私は天に聞いてみた。すると「その能力を利用し儲け様とする者が出てくるからだ。そして、その能力は、知恵浅い者を導く為の天の声・指導である・・。」と言われた。

従妹は「あ~せよ・・こうしてはならない・・・。」と言われるらしいが、なかなか聞かず、何時も逆らい偉い目に合ってきた・・・。と言っていた。従妹からそんな能力が有る事を随分後に、はじめて聞いた訳だが、彼女の言っている事と、私が天より聞いた事が一致している事が多々あった為、彼女の能力が本物で有る事は間違い無い。

普通、本物の神仏は、「あ~せよ・こ~せよ・これはしてはならない。」・・・などとは、言わない。己の進む道に、選んだ道に寄り添い存在をする・・。以前に、言ったが、私が「従います・・。」と言った時に、「神は、支配者では無い。共に共存する・・。」と言われた、心魂を支配し命令するのは、魔神の存在に他ならない。

従妹の場合は、危なっかしい・・故に、常に指導される・・。3人もの子供を育てる為に、大いに神の愛と指導が存在したのである。

霊能力者Aの場合も従妹に似ている・・。それ故に、与えられた能力を利用し儲け様とした者が居た。彼女は、その者に踊らされ、怪しい宗教団体に取って変わろうと、浅はかな真似をしてしまった・・。

神が手を焼いている・・。子供を思う愛を感じたのも、何かを仕出かさないか・じっとしていて貰いたい・・・。そんな神の思いが伝わって来たのも良く理解が出来る。利用されたが為、大いに魔神を彼女は引き寄せてしまった訳だ。

私が、神と共に彼女の家に鎮座する魔神を退治した訳だが・・後に、魔神の反撃を受ける事と成った・・・。

偉い事だ・・・大変だ・・・!

つづく

 

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スピリチュアル・確実に幸せに成る為の授業~☆~欲を学ぶ!心の安らぎを得る・・・

2012-06-03 13:41:07 | 確実に幸せに成る為の学び舎

スピリチュアル確実に幸せに成る為の学び~★~欲について学ぶ・・・その1

 心の安らぎこそが、最高に価値がある事だ・・・・(釈迦の言葉)

 心の安らぎを得る為には、不安を無くす事が必要で、不安を無くす為には、不安の原因と成る・・・欲を無くす事が大切だ。・・・その為には、欲について先ずは、学ぶ必要が有る様だ。

欲を・・・・・知る・・・・学ぶ・・・

   ~~~~~~★~~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~

■欲を学ぶ・・・五欲について・・・

五欲とは食欲・物欲(金銭欲)・色欲・権威欲・生命欲の五つを指します。

この教えは、天より教えられた重要な事柄の一つです。

教えられた当時、有る占い師を参考に・・・・「見てみよ!。」と言われた。

今は、その占い師は、ほとんどマスコミには登場しなく成ってしまったが、その頃は、意気盛んな頃だった。

多くのご馳走を食し良く太り、多くのブランド物と宝石を身に付け、年甲斐も無く若い異性が好きらしく、「私は偉いのよ・・。」と言わんばかりに上から目線でもの言い、「私は300歳まで生きるの・・・。」と言っていた。

「決してこうは成らない様に、肝に銘じて置く様に・・・。」との事で有る。

欲には、限りが無い・・・。「自分は、そんな事には決して成らない・・・。」と思っても、多くのものを手にしてしまうと、それ以上に・・・もっともっとと欲し目指し・・減る・無くす事を恐れてしまう様に成る。自分を見失ってしまう。それが人間で有るからだ。

故に、この欲を戒める為に、何が有ってもそうは成らない様にと、これでもかこれでもか・・・と、散々に苦行を難儀を強いられる・・。

或いは進んで、苦行に己の身と心魂を置く者も居る。多くのものが手に入る状態で有っても、決して溺れる事の無い動揺をしない己を養う為に、真実を悟る為に、苦行をする訳で有る。

欲が存在する所には、悪が存在する。そして犯罪が起きる・・。そして、嘆き・苦悩・悲しみ・恨み・憎しみ殺意・・・などの悪しき心魂が養われてしまう

故に、欲から離れる・・無くす・・・事の重要性がそこに有る。

釈迦の場合は・・・

美味しい高級な食事も何時でも好きなだけ食し、異性に思い存分溺れる事も出来、何でも欲する金銭にも恵まれ、地位も権威も、初めから持って生まれて来た環境だった。

釈迦は、五欲の全てを所有して居た。一国の王子だったのだから当然だろう。この頃、生・老・病・死について大いに向き合っていた。それなりの苦悩も有った様だ。

それらを全て捨て、を離れる・・・捨てる・・修行を自らに選び、菩提樹の元、死ぬ寸前に至るまで悟りの苦行をした訳で有る。

昔から、修行増と言われる人達も、同様の悟りを求めて来た。

イエス・キリストは、慎ましい環境に生まれ、父親を亡くし、その後懸命に家族(母親・兄弟)を養っている。慎ましい生活の中、聖書を学び神と向き合い、多くを神から教えられた。その後、洗礼を受けた後は、家も持たず物も持たず、食す事もほどほどとし、欲から離れ神の教えを説いて行った。

私達は、苦行をし修行僧の様に成りたい訳でも無いし、まして釈迦やイエスキリストの様に成りたい訳でも無い。

この時代にこの社会の中で、人と関わり家族を守り或いは守られ、協力し支え合い切磋琢磨しながら、生きて行かなくては成らない。現実に・・生活が有る。生活が生きる事なのである。

その生活の中で、幸せと心の安らぎを求めている。・・・。何もかも捨てる訳には行かない・・。

ある程度の、欲も必要であるだろう。

しかし、学び知る事は、そんな願いに大いに役に立つ事なんだろう・・

だから、学ぼう・・。

つづく

 

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スピリチュアルな出来事~☆~魔神との戦い篇・・・霊能力者Aとの事・・その3

2012-06-03 07:28:15 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアルな出来事~★~魔神との戦い篇・・霊能力者Aとの事・・・その3    

魔神との戦い篇・・霊能力者Aとの事・・2のつづき(再記載)

 

神懸り・・。

有る日の事、スサノオ尊がその彼女の家に幾匹かのおろちが居る為、退治に行く・・・と言い出し、私は言われたままにその準備をし、友といきなり彼女の家を訪問し、数箇所、おろち退治を始めた、、。いきなりである。

1匹目のおろちは家の横の草に覆われた空き地に居た。スサノオ尊が剣を振り降ろすと、天から稲妻の様な光がその場に、剣の如く鋭く差込み落ちた。周りに居た者はあっけに取られた。その後、家の中に入り数箇所、剣を振り、おろちを退治し本星のおろちが咥えた巻物(天の巻物)を取り戻し、天に放り上げ返した。

スサノオ尊は私の体に降り、私は神懸りとなり動かされた。訳の分からないまま体も動き言葉も出てくる。勿論、おろちが私にも見える。私は、自分で有りながら自分で無い。しかし、わずかながら約1%は、自分が存在する。物凄いパワーを感じながらも、1%の私は「なんやねん・・これ・・・。どうなっとるん・・。勝手に体動くし物言うし・・・変や・・・嘘やろ・・・。」そう思いながら動かされて居る。

スサノオ尊が入った際、一瞬にして分かった事は、彼女が大切な天の巻物を知らぬ間にその教団から、おろちと共に持ち帰って居た事。その教団に横恋慕しようと(言い方は悪いが横取り)しようとした事で、その教団のおろちが怒り居座って居た事。スサノオ尊からも神からも、彼女への多大な愛(小さな子供を思う様な)を感じ事。そして、その天の巻物には、神の教えが書かれて居る事。魔神がその巻物を神から横取りしていた事が分かった。

後に、数十万円もする何冊もの神の教えの書物がその教団には有り、彼女はそれを購入していた事を知った。

その教団は、神の教えを写し取り、自分の教団の教えとし高額で販売をしていた。その為、神はその天の巻物を取り上げたのだ。

80%、もっともらしい教えを言い事を成し、後の20%で、正体を現すとは、正にこの事だ。まだまだ、この教団には魔神が存在する。この後も、魔神退治は続く事と成る。

神と対座して魔神は存在する。神事をする者は、何時も清く謙虚で、渇欲に溺れる事無く、強い心魂を養っていなければ決して手を出してはならない。彼女は、子供の無邪気な心魂を持ち合わせているが、悪しき者を追い払う事も消滅する力も全く持って無い。にも拘らず事を起こす・・。なので、神も守護霊も彼女の子守に手をやいている状態だ。

 ~~~~~★~~~~★~~~~★~~~~

在り得ないお話をするのには、訳が有ります。神仏の存在を知って頂き、神々や御仏から教えて貰った事を、皆様に伝えたいからに他なりません。何故なら、その教えには、人が誰しもが、真の幸せや安らぎを得る為の教えが説いて有るからです。

天から私への教えは、教えに留まらず不思議な体感や神仏の手足と成り、共に働いた事もさることながら、何よりも難儀と苦悩の体感こそが、一番の学びと成りました。

あの時、人生のどん底・・と思ったけれど、まだまだ、どうしてどうして、そんなものでは無かったのです。

苦難は、かなりの年数を要し、終には限り無い理不尽に至り、そこには、神仏の存在は無かった。光は無く真っ暗で、目の前には死のみが存在しました。

ここに至って尚も私は、「例え貴方々(神仏)が、私を見放し嫌だと言っても、私は変わらずに貴方々(神仏)を愛し信じます。足だろうが衣の裾だろうが、私はしがみ付き離しません。」と叫んで言った。

そこから、真の教えをより深く悟る事が出来たのでした。導かれたのです。

究極の理不尽は、正しく、理不神(理に適わない。報われない。神の存在は無い。)そのものと言えます。しかし、そこに至った時こそ、深い深い神仏の愛が存在します。真っ暗闇には、深い神仏の愛が存在します。

目覚めてから気が付けば10年余り経っていました。浦島太郎では有りませんが、すっかり容姿は老婆に成っていました。30才は老けた感じです。或る日、自分でもびっくりしました。「何時の間に、こんなになった~んやろ。」鏡なんてこの10年余りろくろく見た事が有りませんでしたから。強烈な苦難は、身も心魂もぼろぼろにしてしまったのです。

目覚めた時、もうこれで救われる・・。そう思ったけれども、おっとどっこい、そこからが、苦行の始まりだった。星一つ無い、真っ暗闇、死のみが存在するに至るまで、追い詰められ試されて初めて解る真の神仏の教えが有る。

この世は無常である(釈迦の言葉)。常に変わっています。明日は分からない・・と言う事です。だから、悔いの無い様に、今を生きなくては成りません。私も同様です。明日は、生きているとは限りません。まだまだ修行の身で、至らない者でありますが、明日が分からないからこそ、教えて頂いた事を伝える必要が有ると思ったのです。

私は、天より教えられた事を伝え、一人でも多くの人に幸せに成って頂きたいと願っております。

近日、カテゴリーの中で、幸せに成る為の学び舎を開校します。多少、難しい事も出てきますが、それは、しっかりと自分と向き合う事に他なりません。

どうか、ブログをご覧頂きたいと深く願っております。

そして、真の安らぎと不動の幸せを手に入れて行きましょう。

共に・・・。

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スピリチュアル・確実に幸せに成る為の授業~☆~不安を無くす・原因を探る!4

2012-06-02 19:33:32 | 確実に幸せに成る為の学び舎

 確実に幸せに成る為の学び~★~不安を探る・・自分の中の不安を取り除く為には・・・

◎ 心の安らぎこそが、最高に価値がある事だ・・・とお釈迦様も言っています。・・・なので、その方法を探って行きましょう。

■自分の中の不安は・・・一体、何なのか・・・正体は・・?

生まれた時代・社会とその経済・民族性・人との関わり・社会的価値観によって影響を受け起きる不安を外的影響による不安と言うのに対し、それらに関係無く自分の中から、ふすふすと沸き上がる不安を、内的不安(自己的不安)と言う事にしましょう。

では、内的不安は、何故、起きるのか・・・を一言で言えば、それは己の・・・によって起きるものです。

欲・・・が、何故、どうして起きるかは、以前に書いて有ります。分らない方は、(5月8日記載・アダムとイブの神話について)をご参照下さい。

一言で言えば、欲を無くせば、不安は無くなります・・。 

が・・・・難しい・・出来ない!・・・では、欲を出来るだけ少なくすれば、不安も軽減される・・・そして、安心・・安らぎを得る事が出来る・・・。

では、その欲に付について・・解明・・して行きましょう。

先ずは、己の中の敵(欲)を知ってこそ出来る事ですから・・・。

つづく

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スピリチュアルな出来事~☆~魔神との戦い篇・・・霊能力者Aとの事・・その2

2012-06-02 18:03:19 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアルな出来事~★~スサノオ尊現る・・天から稲光が・・・・・

魔神との戦い篇・・・霊能力者Aとの事・・・1の詳細です。(再記載)

■スサノオ尊が現われ・・・おろち退治をする!

信じられないだろうが、本当の話で有る。

以前に、お話をしたけれど、悪しき事が度々起こり、得体の知れない者の仕業を感じ、人生のどん底を味わった時に、「お前は、それでも人を信じるのか。人を見限り身を任せれば、楽に大金を与える。全て思い道理に成る。」と突然、声が聞こえた。

その後、釈迦に助けられたお話をしたけれども、助けられたのには訳が幾つか有る。どんなに理不尽な目に有っても、私は自分の至らなさを責めたものの、相手を憎み恨む事は無かった事と、得体の知れない者の誘いを「例え殺されても嫌た!」とキッパリ断った事に有る。だから、釈迦に助けられたのだった。

実は、釈迦に助けられる前に、あの恐ろしい誘いを断った後、私は突然に目覚めた。

天からのあらゆる声を聞く事となり、あらゆる教えと神仏に出合う機会を与えられた。世にも不思議な出来事にも度々、出会い経験をした。

そんな体験の一つにスサノオ尊との出会いが有った。

あの恐ろしい得体の知れない者は、悪魔とも言い、魔神とも言い、おろちとも言い呼び名も姿も変える。日本の神道では、おろちと表現をしている。

その恐ろしい悪魔(おろち)を、私はこの肉眼で見たのだった。通常、見る場合は、心魂又は第三の目で見る。第三の目は、仏像などで表している場合が有るから思い当たるかと思う。とにかく、肉眼でいきなりあんな者見たら、心臓が止まってしまう。足の爪先、手の指先、髪の毛一本づつ、産毛まで震え上がる。あんな思いはもう御免だ。

あの魔神(おろち)は、私の住む数百メート近くに近年現われた怪しい宗教団体の主である。魔神は化けるのが上手い。神にも平気で化ける。80%もっともらしい神事を言い行い20%で本性を現す。

その宗教団体の信者の中には、500万円、300万円、100万円ともっと資財を投じた者も居る。中には、社員に払うはずの給与やボーナスまでもつぎ込みそれでも信じる者も居る。魔神(おろち・あくま)とは、渇欲の塊(かたまり)である。楽くに願いを叶え、もっともらしい教えを説き、相手を信用させ、大切なものを代償に奪い取る。有る時はお金、有る時は命や魂までも奪い取る。

特殊な能力を持つもの又は与えられた者は、得てしてその能力を持つ事を偉いと勘違いし五欲に落ちる。食欲・物欲(金銭も込み)・色欲・権威欲・生命欲である。その能力によって大きな財を成す者も居るが、それは如何なものかと思う。

最初は、確かに神仏を崇めているが、段々と渇欲が増すと、神仏に化けた魔神を崇めている場合が有る。いつも清い心魂と謙虚さが肝要である。

この怪しげな宗教団体に横恋慕した身の程知らずの霊能者が居た。そこの信者を自分の下に呼び寄せ、信者を集め長と成り、その宗教団体に取って変わろうとしていた。能力は自分が上で有ると自負していた。

その霊能者にひょんな事から合う機会が有った。容姿は大人でも、まるで子供の魂だった。そのくせ野心も持っている。子供の様に無邪気で純真で白い部分と、権威を持ちたい野心の黒い部分が真っ二つに心魂に対座している。まるで、左腕と右腕を同時に神と魔神が引っ張り合いをしている様だった。

初めて出合った際、お供を連れてやって来たが、彼女が帰って行く空の上は黒い雲(透視)で覆われていた。あれは、正に魔・・・そのものだ。異様な疲れに私は襲われたそれから、縁が出来てしまった。

つづく

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