あれから55年・・アンヌのひとりごと

ズバリ!団塊の世代。ひし美ゆり子のブログsince・06・1・14

プロボクシングと私・・

2006年03月08日 17時14分56秒 | 地谷子のひとりごと
今夜、プロボクシング亀田三兄弟の長男”浪速の闘拳”こと
亀田興毅(19才)対カルロス・ボウチャン(メキシコ)の
世界タイトル前哨戦のゴングが鳴る。楽しみ~。
相手の選手”ボウチャン”何だか日本人に親しみやすい
可愛い名前だが、何とKO率70数パーセントと言うから
亀田選手も世界戦にむけてかなりの真剣勝負になること
間違い無しだ。

今夜の放送は21時からとゴールデンタイムだから良いが、
最近のボクシング放送は深夜だったり昼間だったり
見逃してしまう事が度々だ。先週の亀田大毅の試合も
楽しみにしていたのだが、後の祭り、見逃してしまった。
まさか昼間の4時放送だったとは・・。


昭和30年代半ば過ぎ日本のテレビは週4~5回はGタイムに
ボクシング中継をやっていたほど賑やかだった。
4チャン「ダイナミックグローブ」名解説者平沢雪村。。
6チャン「東洋チャンピオンスカウト」解説郡司信夫・白井義男。
あと「三菱ダイヤモンドグローブ」「リングサイドアワー」
といった放送も記憶にある。

私の少女期は父の影響もありボクシングが大好きだった。
世界タイトルマッチなんぞ放送する日にゃテレビの前で
真夏でも震えがきて毛布をかぶって観戦するほど興奮した。

私のお気に入りは関光徳選手だった。およそボクサーには
似つかわしくない甘い優しい顔した「眠り狂四郎」の異名をもつ
選手だが、世界フェザ-級タイトルマッチ、シュガーラモス
(キューバ)に挑戦した試合はTKOで負けたが、40年以上
経っても忘れられない選手のひとりである。

他にはF原田・海老原博幸・勝又行雄・高山一夫・
斉藤清作(タコ八郎)・海津文雄・益子勇治・野口恭・・
外国選手ではポーンキングピッチ・チャチャイラムファパー・
フラッシュエロルデ・エデルジョフレ等々、未だに覚えている。
あっジョーメデル(メキシコ)「ロープぎわの魔術師」と言われた
一番印象に深い外人ボクサーだ。
'61年8月13日の関光徳対メデルのビデオがあったら見たいものだ。
あっ遠山甲さん、学習院出身のいかしたレフェリーも居たナ。

こんな話を書いても団塊世代以上の人しか分からないだろうが、
ウフフ・私は今で言う「ボクシング・ヲタク」ですネ。
当時の私の愛読雑誌・・
『プロレス&ボクシング』(ベースボールマガジン社)
今でもあるのだろうか?まさかないよナ~。